第19話:解熱薬と血統書
帝都に秋風が吹き始めた頃、ユウは王宮の薬寮に呼び出されていた。
表向きは「一部薬方の監修依頼」だったが、書簡の送り主は伏せられていた。
だが、その文面には見覚えがあった。
――かつて、ユウに「白葉散」を処方した元医官、【カシュ】の筆跡。
「何年ぶりかね、ユウ君。いや……“ユーリ”と呼ぶべきだったか」
「……その名は、記録から消えてるはずですが」
ユウの口元には皮肉が浮かんでいた。
「記録は消せても、記憶までは消えんよ。わしがあの時処方した“白葉散”の量では、完全には効かぬとわかっていた。だが……命令だった」
カシュはゆっくりと立ち上がり、壁の棚から一本の硝子筒を取り出した。
中には、まっ白な紙が封じられていた。封蝋は王家の紋。
「これが君の“出生簿”。封印されて久しいが……おそらく今夜、焼かれる」
「なぜ今になって?」
「“王の血”が静かに動いている。お前は、知らぬうちに“前王の側妃の子”として生まれ、病死とされた」
「……は?」
「本来なら、王宮で育つはずだった。だが、側妃の死後、前王の命で地方に“処分”された。だが、一部の医官がその命に逆らい、お前を辺境の医師家に預けた。……我らの罪だ」
ユウは長い間、黙っていた。
そして口を開いた。
「つまり、僕は“王族”だった。でも、正式には“捨てられた子”。だから記録は塗り替えられ、薬で記憶も曇らされた。……そう言いたいんですね?」
「すまぬ。だが、それでも君は医者になった。どんな嘘の上でも、君の診た命は本物だ」
「……王宮が、また何かを企んでるんですか?」
「おそらく、現王の“正統性”を強調するため、過去の綻びを消したいのだろう。“前王の血を引く者”が生きていては、都合が悪い」
「それをわざわざ僕に伝えに来たのは、どうしてです?」
カシュの声は、ひどく静かだった。
「……お前の命を“今後守れない”という意味でもある」
その夜、診療院に戻ったユウは、小さな調合器に向かっていた。
彼の前には二つの粉末。
ひとつは、通常の解熱剤――「藍晶散」。
もう一つは、前王妃の死に使われたとされる“静血薬”。
「成分が……似すぎている」
ユウは天秤を傾け、二種の粉末を混ぜた液を反応させた。
シュウッ……という音と共に、液は無色に。だが一瞬だけ、青白く発光した。
「やはり、“毒”として使われた薬だ……。だが元は解熱薬。使い方次第で“死”にも“治療”にもなる」
ユウの中で、何かが明確になっていく。
「誰かが薬を“毒”に変えていた。そして、毒で殺した後、“医者”に罪を着せた……。それが王家の医官制度の一部だった?」
人の命を救うはずの薬が、記憶の霧と権力の帳の中で、刃となって使われていた。
そしてその薬を“診る力”を持った自分は——
もしかすれば、“王家にとって一番厄介な存在”なのかもしれない。
翌朝、カガリが一報を持って駆け込んできた。
「ユウ様、薬寮の倉庫が……焼けました」
「……中にあったのは?」
「王妃時代の薬方と、前王の主治医たちの記録です。全部、灰に」
ユウは静かに目を閉じた。
“証拠”が消された。だが、それは逆にひとつの確信でもあった。
自分がいま触れているのは、「表層の謎」ではなく——
「この国の根幹にある“毒”」そのものなのだと。
「じゃあ……診ようか」
「え?」
「この国の“血の病”を」
カガリはその言葉に一瞬戸惑い、そして笑った。
「さすが、異端医ですね。診察料、高そうだ」
ユウは微笑んだ。だがその瞳の奥には、まるで手術の前にすべてを見通す医者のような冷ややかさがあった。
一度完結済みにしておきます。
明日以降執筆が終わり次第、再開します。