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第18話:記録は嘘をつかないが、人が嘘をつく

帝都・東区の公文書館は、城とは違った意味での沈黙に満ちている。


紙の匂い。硝子に封じられた湿度計。蝋引きの記録簿たち。

そして、背を曲げた老人たちが一言も発せずに記録を記す姿は、まるで“時間そのものの墓守”のようだった。


「……ここだ」


ユウが目を細めたのは、約十一年前の記録簿。

一人の医官に関する異動履歴の中に、不自然な“空白”があった。


「九年前に辞職。理由、病没。ところが、その三ヶ月後に別名で王宮へ再就任」


ページをなぞる指に、カガリが息をのむ。


「また……?」


ユウはうなずいた。


「これは偶然じゃない。“制度死”のパターンは他にもある。しかもその大半は、医官か薬官に集中してる」


「……処分されず、記録だけが死んでいる」


「そう。生きたまま“別人”になる。だとしたら——」


ユウは、ぴたりと動きを止めた。


「僕の記録も……“塗り替えられる”かもしれない、ということだ」



夜。診療院。


ユウの元に、密かに届けられた小箱があった。


上質な黒檀。刻印なし。開けると中には、ひとつの香袋と手紙。


《診療院の記録に注意せよ。おまえの“出生”は、帝都にある。》


差出人はない。ただ、香袋の中に忍ばせてあった古い薬包だけが異様だった。


ユウは懐から硝子器を取り出し、粉末を一滴溶かす。沈殿しない。水色が広がる。


「これは……“白葉散”。十年前に廃止されたはずの、記憶抑制薬」


脳内の神経伝達物質のバランスを意図的に崩し、特定の記憶を霧状に曇らせる薬。

「精神安定剤」として使われていたが、数例の“不自然な転属”とセットで処方されていた。


ユウは震えた手で書棚の奥から、一冊の古い診療録を引き抜く。


「この薬、確かに一度だけ……“僕自身”に処方されている」


 


——七歳のとき。高熱の後、“記憶障害あり。安静措置”と書かれた記録。


だがその前後の記述が丸ごと欠けていた。


「俺の記憶は、どこからが本物で、どこからが“処方された記憶”なんだ?」


喉の奥が焼けるように熱くなった。


医者として、他人の記憶を診てきたユウは、

この時、自分の“人生のカルテ”がどこかで書き換えられている可能性に気づいてしまった。




その晩、カガリが診療院の裏手で、密かに動く影を見た。


その影は、書庫の小窓をこじ開け、何かの書簡を抜き取っている。


「止まれ!」


カガリが刀を抜いて駆け寄ると、その男は火打ち石で書簡に火を放った。


白い火花と共に、紙が焼け落ちる。


「……残念だな。医者ごときが、王家の“血の記録”に触れてはいけなかった」


「なにを……」


「ユウ様の記録は、既に改竄されている。だが、ほんとうの“彼”の名を知る者は、まだ数人だけ残っている」


「おまえは誰だ……!」


カガリが斬りかかるも、相手は香の煙玉を床に叩きつけ、闇に消えた。


夜風に、かすかに香ったのは、白葉散——記憶を曇らせる香だった。



「俺は……誰なんだ?」


ユウはその夜、診療院の天井を見つめながら、唇を噛んだ。


どこまでが“異端”で、どこからが“真実”なのか。


だが、医者としての手だけは震えていなかった。


「記憶が嘘でも、身体は嘘をつかない。診ればわかる」


目の前の命を診ること。それだけは、たとえ過去が奪われても——


変わらない。

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