第15話:毒と密書と、雨の夜
乾いた大地に、ようやく雨が降った。
だが、その静かな夜に紛れて、血と鉄の匂いが診療所に運び込まれた。
「ユウ様、大変です!」
扉を叩いて飛び込んできたのは、村の若い衛兵だった。濡れた肩には血のしみが浮いている。
「……何があったんですか?」
ユウが視線を向けると、衛兵の後ろには、男が一人――担架に乗せられて運び込まれた。意識は混濁し、胸元には刺し傷。そして、手には何か握られている。
「道の脇で倒れていました。荷を漁る者もおらず、妙でした。ですが……」
衛兵は、少し戸惑いながら続けた。
「……この者、茶葉を売っていた商人では?」
ユウの眉がピクリと動いた。毒入り茶葉をばらまいた張本人。その男が、今――何者かに刺され、戻ってきた?
ユウは担架に近づき、男の手をこじ開けた。
そこには、雨に濡れてもなお乾かぬよう封じられた、小さな油紙――密書だった。
「まさか、死ぬ間際まで手放さなかったの……」
ユウは密書を慎重に開いた。そこに記されていたのは、流麗な書で描かれた文字。
《試料の効果確認。辺境の識者を排除し、計画を進行せよ。万が一の場合、収束剤を“青羽の蔵”に隠す。》
それは、薬草の毒性を用いた人為的実験が目的だったと告げるものだった。
しかも、“辺境の識者を排除せよ”という一文。
ユウの胸に嫌な汗が浮かぶ。
――自分が、狙われていた?
水平思考の鍵は、「誰が利益を得るか」だった。毒による混乱。恐怖による支配。そして“収束剤”の独占。
「これは、辺境では終わらない話だな」
ユウは患者の容体を確認しながら、密かに“青羽の蔵”へ向かう決意を固めた。
翌朝。診療所の裏にある古い倉庫、“青羽の蔵”。
湿った空気の中、ユウは瓦礫をどけ、隠された床板の下から小さな木箱を発見した。
中にあったのは、数本の薬瓶――“収束剤”と呼ばれる解毒の完全処方だった。
「これを使えば……毒の作用は無効化できる」
しかし、それと共に、もう一枚の文が見つかった。
《処方が漏洩すれば、後宮の“楓妃”に影響を与える。慎重に。》
――後宮?
なぜ辺境と関係がある?
ユウの中で、点が線に変わっていく。
毒入り茶の事件は辺境での実験ではあるが、本当の目的地は都。
毒の知識を持つユウをここで排除し、都での毒殺計画に誰も気づかせないようにする――。
そして、“楓妃”とは、後宮でも名の知れた勢力の娘。
つまり、政治的な毒殺のための予行演習だった。
「……面倒なことになったな」
ユウは呟く。
毒の根は深い。そしてそれは、政治にすら絡みつく。
彼女の知識と冷静さが、いよいよ後宮と国家の陰謀に引き込まれていく序章になるとは、この時まだ誰も知らない。