第13話:狼の血と、真夜中の狩人
夜の帳が降りると、辺境の森は豹変する。
小動物の鳴き声は止み、闇が音を呑みこむように静まり返る。だが今夜、その沈黙を破るものがいた。
「ユウ先生! 診療所の裏で、家畜が襲われました!」
青年エルクが駆け込んできたのは、夕食を終えたばかりの診療所だった。息を切らし、肩に担いでいるのは瀕死の子ヤギ。腹部には鋭い裂傷があり、骨が露出していた。
「これは……噛み傷。でも、狼のものにしては妙ね」
ユウは素早く傷口を洗浄し、止血薬を塗る。だが目の奥には深い懸念が浮かんでいた。
何かがおかしい。狼にしては噛み方が執拗すぎるし、狙いが明確だ。臓器を探っていたようにも見える。
「最近、ほかの家畜も……同じような傷で死んでるんです。まるで“狩り”じゃなく、“解体”されてるみたいで……」
ユウは思案する。
狩りは飢えのため。だがこの殺しは、違う。まるで目的を持った殺戮だ。
「先生、少し前に“月喰い”の噂、聞いたことありませんか?」
夕暮れ時、ルカがぽつりと口にした。
「月喰い? 伝承の?」
「はい。満月の晩、獣の姿をして人を襲う……“血を継いだ者”の話です。最近、それを見たって人が現れたんです。夜中に光る目が森にいて、人間の声で鳴いたとか」
「それはただの迷信よ」
そう即答しながらも、ユウは胸中で言葉を飲み込んだ。
──迷信にしては、あまりに一致しすぎている。
連日の家畜の惨殺、村人の不安、そして今宵は満月。
ユウは決意する。
「罠を張りましょう。明け方まで、私も現場に残るわ」
深夜。
冷たい風が草をなでるように吹き抜ける。
ユウは木陰に身を潜め、息を殺していた。
そのとき——森の奥で、低い唸り声が響いた。
続いて、軋むような足音。
そして、現れた。
──人間の輪郭を保ったまま、顔は獣。
だがその眼は、確かに知性を宿していた。
(やっぱり……これは人間だ)
ユウはとっさに懐から銀の針を抜き放ち、投げた。
針は獣の肩に刺さり、黒い煙が立ちのぼる。
咆哮。
姿を翻し、獣は闇に溶けた。
翌日、村の外れで一人の男が倒れていた。肩には火傷のような痕があり、口からは黒い泡を吹いていた。
「まさか……」
ユウはその男が、かつて王都で呪術研究に関わっていた追放者であることを知っていた。
「“月喰い”の正体は、呪術によって自らを獣に変えた人間。だとすれば……」
彼は言葉にならない断末魔を残し、息絶えた。
ユウはその場に膝をつき、冷たい地面に手を当てる。
「……誰かが、呪術を実験していた。ここ、辺境で」
診療所に戻ったユウは、ルカに語りかける。
「この地には、思った以上に“闇”が根を張ってるわ」
「それでも、私たちは、照らす灯を絶やしませんよね?」
少女の澄んだ声に、ユウは微笑を返した。
「もちろんよ。たとえ相手が夜の狩人でも、ね」