第12話:毒の影は、雪に隠れる
雪が降る夜だった。
灰色の雲が空を覆い、凍てついた風が辺境の診療院に吹きつけていた。木造の診療棟の中は暖炉の熱でぬくもってはいたが、どこかひどく冷え込んでいた。
「ユウ様、患者の娘が倒れました」
サラの慌てた声が響いたのは、夜も更けた頃だった。帳簿の整理をしていたユウは、すぐさま立ち上がり、雪の舞う中をサラとともに村の民家へ向かった。
部屋の中にいたのは、頬を赤らめて布団に伏す少女、名をミリカという。彼女の母親は、数日前に高熱と腹痛でこの世を去ったばかりだった。
「お前も、母と同じものを口にしたのか?」
ユウは静かに問うた。ミリカは怯えたようにうなずいた。
「母が好きだったから……雪見草の葉を……お茶に……」
その名が出た瞬間、ユウの眉がわずかに動いた。
「……やはり、そうか」
雪見草──白い六弁の花をつける美しい植物。その名の通り、雪の降る地方にしか咲かない。しかし、この草には、ある秘密があった。
「雪見草には、毒性のある成分が含まれている。ただし、毒となるのは、ある条件が揃ったときだけだ」
ユウはサラに命じて、診療院からいくつかの薬草と道具を持ってこさせた。少女の容態はまだ軽く、間に合う見込みがあった。
解毒に使ったのは、マヤカの根。強い苦味を持つが、雪見草の毒性を中和できるのはこれしかない。
ユウがその処置を終え、静かにミリカの額の汗を拭ったとき、母親を亡くしたばかりの少女は、涙を流しながら囁いた。
「……母も、助かったのかな……」
ユウは何も言わなかった。ただ、その目に宿る光が、彼の答えだった。
診療院に戻ったユウは、暖炉の前で帳簿をめくっていた。
「ユウ様、雪見草が毒になる“条件”とは?」
沈黙を破ったのはサラだった。彼女の目は真剣だった。
「乾燥させた雪見草の葉を、熱湯で煮出すと、アロイジンという成分が変化する。これが、肝臓に致命的な負担を与える毒になるんだ」
「……でも、それならなぜ……村では昔から雪見草をお茶にしていたのでは?」
「昔は、葉を生で噛んだり、さっと湯にくぐらせるだけだった。しかし最近、“香りを強く出すために長く煮出す”という風習が流行しはじめた」
それを広めたのが誰なのか──ユウの脳裏に、一人の名が浮かんでいた。
三日後。
村の集会所で、冬の保存食についての講習会が開かれた。仕切っていたのは、村の商人・ハルエだった。
「この茶葉は雪見草からできてまして、保存も効くし香りもいいんですよ。皆さんも……」
「やめたほうがいい」
その声に皆が振り返った。ユウが静かに現れ、雪見草の茶葉を手に取る。
「この保存茶は、危険な方法で加工されている。長く煮出された乾燥葉には、毒性がある。先日亡くなった方も、それが原因だ」
ざわつく村人たちの中、ハルエが顔色を変えた。
「そ、そんなこと……証拠が……!」
「すでに、診療院の分析で毒性の変質が確認されている。加えて、村に雪見草茶を売り歩いたのが、君のところの者だったことも──」
ハルエの口が開いたまま、閉じなかった。
毒を故意にばらまいたわけではない。だが、商売のために知識を省き、確認もせず、結果として人の命を奪った。
ユウは静かに言った。
「毒とは、“毒を知らぬ者”が手にしたときに、真に恐ろしいものとなる」
その夜、雪はやまなかった。
ミリカの容態は快方に向かい、診療院の空気はわずかにやわらいだ。
ユウは診療台の上で、乾いた雪見草の花弁を見つめていた。白い、静かな、美しい毒。
それでも、誰かにとっては、大切な思い出の味だったのかもしれない。
そして──毒にすら、理由がある。
2話更新が終わったので、一度完結済みにしておきます。
明日以降執筆が終わり次第、再開します。