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第11話:毒の王女と影の楽士

 診療院の朝は、湿った空気と共に始まる。窓を開けると、山間の霧がまだ離れず、白くにじんだ光が診療室の棚に並ぶ薬瓶を曇らせていた。


「……昨夜の患者、まだ目を覚まさないのか」


 ユウは小声でつぶやいた。昨晩運び込まれた少女――フーシャ公国の第八王女、イリーナ殿下は、意識を失ったままだった。


 王女の周囲には謎が多い。最初は毒殺未遂と見られていたが、血液検査では異常な数値がいくつも浮かび上がった。肝機能の異常、脱水症状、そして不可解な皮膚の硬化。


 看護師のサラがカーテンの隙間から顔をのぞかせた。


「ユウ先生、あの件……もう、お聞きになりました?」


「どの件?」


「王女殿下の付き人だった楽士が……密かに首を吊っていたと」


 ユウの指先が止まった。


「……楽士?」


「はい。身分は低いけれど、王女殿下のそばに常にいて、彼女のためだけに演奏する役割だったとか」


 静かに棚から薬瓶を取り出しながら、ユウは考えを巡らせる。毒、そして音楽。いったいどう繋がるのか。


 王女の部屋を訪れたユウは、付き人だった少年楽士――ラフィの遺した譜面を手にした。それはまるで音を通じて誰かに何かを告げようとしたかのような、不自然な曲だった。楽譜の一部には、妙な記号が書き込まれている。


(音階……いや、これは暗号か)


 その時、王女のまぶたがかすかに動いた。


「……あなたが、ユウ……?」


 かすれた声。彼女は目を細めて、喉を痛めた蛇のように呻いた。


「大丈夫です。ここは〈辺境診療院〉。あなたは運ばれてきたんですよ。毒を盛られたようですが……それについて、覚えていますか?」


 イリーナは、うっすらと首を横に振った後、小さくつぶやいた。


「ラフィ……彼、死んだの……?」


 涙がこぼれた。


「彼は、私を助けるために……音に毒を……」


「――音に毒?」


 ユウの脳裏に閃いたものがあった。かつて読んだ古文書。音波によって人体に異常を及ぼすという伝説の毒――〈セリファ・トーン〉。


 それは、ある周波数と持続音によって、自律神経を狂わせ、肝臓の解毒機能を失わせる“音の毒”だった。


 ユウはすぐに、ラフィの残した譜面をオルゴール技師に依頼し、再現音を得た。その音を聞いて、王女の目が怯える。


「それ……それよ。毎夜、私の寝室で鳴ってた音。ラフィが弾いたふりをして……でも、きっとあれは」


 王女は唇を噛み締めた。


「彼は気づいたの。楽譜に仕込まれた、殺意に。あれは、わたくしの姉上が……」


「待ってください、姉とは?」


「……第一王女、セリーネ。彼女は私の存在を疎ましく思っていたから。母も違うし、私だけ……」


 話は、王位継承争いにまで遡る。イリーナ王女は第四継承権を持つが、政略婚で急激に影響力を強めていた。彼女を排除したい誰かが、楽譜に“音の毒”を仕込んだ――それに気づいたラフィは、身代わりとなって死を選んだ。


 ユウは診療室へ戻り、王女の血液に含まれる毒の代謝過程を検査した。分析の結果、音波によって肝酵素が一時的に抑制され、特定の薬草成分――セリファ草の抽出物が解毒を阻害していたことが判明する。


「これだ……音の毒が、“解毒できない体”を作っていたのか」


 王女は回復しつつあった。だが、真実はまだ宙に浮いている。


 そして夜――。


 ユウは一通の文を見つけた。ラフィが自らの血で書いたと思われる紙切れが、王女の枕の下に仕込まれていた。


《――もしこの音が、彼女の死を招くのなら。僕の命で、終止符を打とう。君が奏でるその旋律に、毒が混じらぬように》


 王女の頬に一筋の涙が伝った。


 人は、毒にも、音にも、心にも殺される。

 そして、それでもなお、誰かのために弾く音がある。


 翌朝。


 ユウは王女の手を取り、静かに言った。


「回復は時間がかかります。けれど、あなたの心が壊れていないなら、大丈夫。毒は、抜けていきます」

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