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第10話:矛盾する遺言

 夜半、診療院の内庭にひそやかな気配があった。


 音もなく歩く者の足音は、月下の白砂に吸い込まれていく。だがその背後には、さらに気配を探る者のまなざしがあった。


 ──その者は、柳葉だった。


 今宵、彼女が追っていたのは、診療院の書庫へ忍び入った細身の影。だがそれは、盗人ではなかった。


 「……あの方の、遺言状を探しているのです」


 月明かりの中で、顔を上げた影は、皇太子の側近・允嘉いんかだった。


 ──遺言?


 柳葉のまなざしが、夜気のなかで鋭く揺れた。


 診療院で病没した内密の宮人――“沈衣ちんい様”の死。それは一見、自然死として片付けられていたが、柳葉は既にそこに違和感を抱いていた。


 そして、允嘉の口から漏れた「遺言状」の存在は、その違和感を決定的なものへと変える。




 翌日、柳葉はひとり静かに内密の死に関する記録を洗っていた。


 ──沈衣様は、死亡の数日前、自ら“死後の整理”について診療院の医員と話していたという。


 「もし私が死んだら……彼女にすべてを託します」


 と、たしかに医員は聞いたという。が、その“彼女”の名は、なぜか記録されていなかった。


 加えて、診療記録には不可解な空白があった。


 死の前日、急に容態が悪化したとされるが、前後の診察記録に矛盾がある。むしろ「快方に向かっていた」という記述さえ、残っていたのだ。


 ──診療院内での死。その割に、記録は曖昧で、証人も少ない。


 なにより、あの沈衣という女性は「誰にも信頼されていなかった」はずなのだ。


 それなのに、死の直前になって「誰かにすべてを託した」と言う。それは──


 「誰にも信じられていなかったはずの人間が、遺言で“誰かを信じた”と語る。これ自体が、すでに矛盾しているのでは?」


 柳葉は小声で呟いた。


 “信じる者がいなかった”とされていた沈衣。だが、彼女が「信じられる誰か」を残していたとすれば──その“誰か”が、彼女の死に何らかの鍵を握っているはず。


 問題は、その“誰か”が誰なのか。そしてなぜ、記録からその人物の名前が消されているのか。


 柳葉は、真夜中の書庫に忍び込んだ允嘉の言葉を思い返す。


 「遺言状があるのです。ですが、それが……誰かにすり替えられた形跡がありました」


 水平思考が問う。


 ──“遺言”が偽物だとすれば、本物はどこに?


 ──本物がすり替えられた理由は?


 ──そして、その遺言で「託された」はずの人物とは誰なのか。


 通常の論理では、死後に偽造された遺言にばかり注目しがちだ。だが柳葉は、逆に考えた。


 「もし、“託される側”が遺言の存在を知らなかったら?」


 つまり、それは──


 「遺言を知らない本人こそが、本当に託された者だった可能性がある」


 だとすれば、沈衣は、その者を巻き込みたくなかったのかもしれない。信じてはいたが、守りたかったのだ。


 「“真に託された者”は、遺言の存在すら知らず、今も診療院のどこかで普通に働いている──?」


 そうだとすれば。


 その者を探し出すことこそが、真実に近づく第一歩になる。



 その夜。


 柳葉は、ひとつの賭けに出る。


 診療院の食堂で、沈衣の死に際して「妙に沈んでいた」者をいくつかの証言から選び出し、名もなき助手の一人――名を「菱佳りょうか」という少女に話しかけた。


 「……あの方が亡くなる直前、何か言葉をもらっていませんか?」


 菱佳の手が止まる。だが、すぐにかぶりを振った。


 「……いえ、私はただ……ずっと黙って、お布団を直したりしていただけで……」


 だが、その手元を柳葉は見逃さなかった。


 袖口の刺繍に、沈衣が好んでいた独特の糸模様が隠れていたのだ。


 ──刺繍など、診療院の下働きには禁止されている。


 だとすれば、それは──密かに贈られた“私物”だったのでは。


 柳葉は、確信する。


 「この娘が、“託された者”だ」


 そして彼女自身、それに気づいていない。


 今も、遺言の重みも、沈衣が何を守ろうとしたのかも。


 ──それでも、糸はつながり始めている。


 診療院の片隅で、静かに、確実に。

書き終わった話の掲載が終わったので、一度完結済みにします。

明日以降執筆が終わり次第、再開します。

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