その後の二人
大きな影が近付いてきて、ぶわりと風が巻き起こる。フォルは慌てて着地のための空間をあけた。
降りてきたのは、飛竜とその主人だ。彼はいつも影を先触れにして風と共に帰ってくる。
「フォル! お腹空いた!」
酷い人だとフォルは思う。十日で帰って来るはずが、ひと月も自分を放置していた癖に。『ただいま』も『久しぶり』も謝罪もなく、食事の催促とは。
「スープならありますよ。パンとオムレツも焼きましょうか」
それでも対応できた自分に、フォルは概ね満足していた。主人とは呼ばなくなっても、彼の世話をするのは自分の役目だ。
彼は相棒の飛竜に近くで待機するよう言い聞かせた。そのいい加減な指示でよく従うものだとフォルは呆れる。風が二人の髪を乱し、飛竜が飛び立っていった。
「おかえりなさいませ、リーンハルト様」
フォルが笑いかけると、彼はちょっとムッとして答えた。
「何度も言っているのに。リーンでいいし敬語は要らないって」
「リーンハルト様は僕の恩人ですし、愛称で呼び捨てというのはちょっと……」
フォルは困ったように笑った。すると、わざとらしいため息をついて、リーンハルトはようやく「ただいま」と言う。フォルと彼は再会のたびに似たようなやり取りをしてきた。『賢者様』と呼ばなくなっただけでも、フォルとしてはかなり譲歩しているのだが。
「目的の素材は入手できましたか?」
リーンハルトがこの森の中の家を離れていたのは、薬の材料を手に入れるためだった。
「うん。それはもうしっかりと」
ホクホクと笑う顔に、何か満足できるようなことがあったのだろうとフォルは思う。かつて『緑の賢者』と呼ばれていた天才薬師は、転生しても薬への興味関心を失っていない。
今回は何だろう。珍しい素材か、新しい本か、それとも知らない薬でも見つけたか。
何にせよ、この様子ならしばらくはここに居てくれるだろうとフォルは考えた。新しく珍しいものに当分は夢中になるはずだ。
フォルは逃亡奴隷である。隷属の首輪を壊して、フォルを解放し、逃してくれたのがリーンハルトだ。
この辺りでは珍しいハーフエルフであるフォルを隠すために、リーンハルトはこの森の奥の家を建てた。
職人の手を借りることもなく、植物魔法と土魔法で本当にあっという間に一軒家を建ててしまったのだ。その姿を見て、フォルは決して逆らわないことを改めて心に決めた。
一体どれだけの魔力があるのかと戦慄したからだ。今の本業は従魔術士じゃなかったのか。
「今回見つけた薬はすごいぞ、フォル!」
リーンハルトが『すごい』と言ったものがフォルから見たら全然すごくなかったことが何度もあるので、あまり期待はせずに聞いた。
「今度は何を見つけたんです? しもやけの薬ですか?」
「変装薬だ!」
リーンハルトはフォルを振り返って得意げな顔をする。
「人間の街に潜んでいたエルフに教えてもらった、エルフの長い耳を隠すために使う薬だ」
「え……」
フォルが立ち竦んで、リーンハルトがにひひと笑う。
「フォルトゥナート。これで君も人里に行けるようになるよ」
この人はそのためにここを留守にしていたのかと考えて、フォルは少し恥ずかしくなった。早く帰ってきてくれなかったことに拗ねていたという自覚があったから。
「材料を揃えるのに少し手間取って、余計な時間がかかったんだ。連絡もせずに悪かった」
「いえ、それは……構いませんが」
「街に行こう、フォル。君は人間のようには年を取らないから、定住はせずに旅をするのが良いかもな。どこか行きたい場所はあるかい?」
フォルは滲む視界をどうにか抑えつつ、笑った。これでやっと、本当にようやく、置き去りにされるばかりだった時間が終わるのだ。
「あなたと一緒なら僕はどこまででも行きますよ、リーンハルト様」