第二十二話 約束【1/2】
朝の光が、ウィンドミルの街をやわらかく包んでいた。
昨日の押し問答が、どこか遠い出来事のように感じられるほど、空は澄んでいる。
訓練所を目指して、朝のジョギングを行う。
セオドアは曲がり角を曲がったところで足を止めた。
そこには黒い外套姿の男が壁に寄りかかって立っていた。
バルトだった。
鋭さを帯びていたその瞳は、今はどこか静けさを宿している。
「……ルーキー」
その低い声に、セオドアは立ち止まった。
「お、おはようございます......バルトさん」
「......そう身構えるな」
バルトは内ポケットからひとつの革製の小さな手帳を取り出した。使い込まれ、角は擦り切れ、紙は何度もめくられた跡があった。
「これは......」
「私が、これまでの冒険で記してきた記録だ」
「……!」
セオドアは息をのんで、その手帳を受け取る。重さはないのに、掌に沈み込むような感触があった。
「私は不器用でな。大概は頭で覚えているが、中には書き出したものもある......必要だろう?」
目を合わせずにそう呟いたバルトの声は、どこか照れくさそうだった。
「いいんですか......?」
「いらぬなら返せ......」
「いえいえいえ!是非頂戴致します!」
セオドアが深く頭を下げると、バルトは鼻を鳴らす。
「……反対派の奴らには、もう無駄な嫌がらせはするなっと私の口から言っておいた」
「え……」
「これで終いだ。私から伝えるのは、それだけだ」
そう言って、バルトはその場を離れようと背を向けた。
「バルトさん!」
セオドアが呼び止める。
「何故......これを......」
バルトはわずかに立ち止まると、振り返らずに応えた。
「......年甲斐になく、青い夢に当てられただけだ......」
バルトはそう言って、訓練所の方を遠い目で見つめる。
セオドアがその視線の方を見ると一人訓練を始めるリオの姿があった。
「毎朝......一人で家を出ていくのは知っていたが......貴様と訓練をしていたのだな......」
「えぇ......リオ君はいつも貴方の様に強くなろうと......」
「そうか......」
そしてその背中は、朝の光に紛れるようにして、静かに通路の奥へと消えていった。
セオドアは手にした手帳を胸に抱き、そっと目を閉じた。
セオドアが歩みを進めて訓練場に入るとリオがセオドアを見つけてニヤリと笑みを浮かべる。
「遅いぞ!セオドア!俺の方が早く強くなっちゃうぞ!」
セオドアはそんな無邪気なリオに笑みを浮かべる。
アトラス商会の旧事務所の会議室。
朝の訓練を終えたセオドアは、まだ湯気の立つノエルの入れたハーブティーを前に、真剣な顔つきで皆を見渡した。
フィオナ、ノエル、ドラン、セリカ、マックス――いつもの仲間たちが、彼の言葉を待っていた。
「……僕はループしていました......」
口を開いたセオドアに、皆が一斉に視線を集中させる。フィオナ、ノエル、ドランは真剣な眼差しとなり、マックスとセリカは何の話かと言った様子で首を傾げる。
今回のループではまだ二人はセオドアのタイムループを伝えていなかったセオドアはタイムループからゆっくりと説明に入る。
次はこれまでのループあった出来事を説明していく。
仲間達はセオドアの口から語られる想像を絶する様な出来事に一喜一憂しながらも話を聞く。
バルトが冒険の書に反対する理由。かつての仲間の死。そして、セオドアとの押し問答の末に、バルトが自ら歩み寄ってくれたこと――。
「今日、バルトさんからこの手帳をもらいました。彼が冒険者として歩んできた記録です。
そして……反対派の仲間たちにも、もう余計な嫌がらせはするなと、自分の口で伝えてくれたそうです」
セオドアが胸に抱いていた革の手帳を見せると、室内に静かなざわめきが広がった。
「……じゃあ、それって」
フィオナが、ゆっくりと口を開く。
「反対派との騒動……終わったってこと?」
セオドアは、静かに頷いた。
「ええ。これで、本当に終わったんだと思います」
その言葉に、ノエルとドランが目を見合わせる。セリカも小さく息をついた。
だが――。
「……もっと早く言ってくれればよかったのに!今回は私たち何もしてないわよ!」
フィオナが思わず立ち上がった。目には涙すら浮かんでいる。
「私たちだって、バルトとの話し合いにだって......一人で全部抱え込んで……!」
「フィオナさん……」
セオドアは静かに視線を合わせ、ゆっくりと首を横に振った。
「皆さんには……この結果を迎えるために、数えきれない程支えてもらいました。
僕だけじゃ駄目だった。前のループで、みんなが訓練を重ねて、傷ついて、それでも諦めずに支えてくれたからこそ……バルトさんの心に届いたんです。
記憶はないかも知れませんが......皆さんのお陰でこうして今日を迎えられているんです」
そう語るセオドアの瞳には、確かな覚悟と、感謝が宿っていた。
マックスが静かに呟いた。
「……全く、こっちはタイムループという現象さえ、初耳だったというのに......では嫌がらせの対策として事務所の移転を計画していたのですが必要はなさそうですね」
「はい。もう大丈夫です」
「そうですか......セオドア代表。本当にお疲れ様でした」
マックスはセオドアに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます......」
セオドアは穏やかな笑みを浮かべる。するとノエルが肩を震わせながら、涙を流し始める。
「セオドアぐ〜ん!本当によく頑張っだよ〜!」
ノエルがセオドアに泣きつく。そんな様子を見てフィオナとドランはアイコンタクトを取るとさらに上からセオドアを抱きしめる。
「ちょっとみんな......!」
圧縮されそうになるセオドアを一歩引いたところで見ていたマックスとセリカが呆気に取られている。
それに気づいたフィオナがマックスの手を引き、ドランがセリカの手引いて輪の中に引き込む。
「わ、私は遠慮しておきます......!」
「いやいやいや......!私も......!」
「いいからいいから!」
フィオナとドランは満面の笑みで二人を引き込み、アトラス商会全員でセオドアを抱きしめた。
そこには仲間たちの団結が確かにあった。
反対派の騒動が収束してから数日。
ウィンドミルには、ようやく本当の意味で穏やかな日常が戻ってきていた。
朝、セオドアはいつも通り訓練場へ向かう。
そこには、先に来て素振りをしているリオの姿があった。
「遅いぞセオドア! 昨日は俺の方が十本多く振ったからな!」
笑いながら木剣を構えるリオに、セオドアも肩をすくめる。
「最後は振るというよりも震えていただけじゃなかったですか?」
「うるさい!それでもセオドアより長く剣を構えてたぞ!」
二人は軽く打ち合いながら、肩を並べるようにして動く。
互いの足音と剣の打ち合う音だけが、静かな訓練場に心地よく響いた。
リオの真っ直ぐな眼差しは変わらない。あの未来はバルトと和解したことにより、リオが歪む事なくこれからもまっすぐ成長していけるとセオドアは確信した。
訓練の後、セオドアはいつもの書斎に戻る。
机の上には冒険の書《中級編》の草案が広げられていた。数々の戦いの記録、訓練の成果、スキルの習得条件。どれも仲間たちが体を張って得たものだ。
「……ようやく、ここまで来た」
静かに呟き、ペンを走らせる。
その手元には、バルトから受け取った手帳も開かれていた。
一方、仲間たちもそれぞれの目標に向かって歩き始めていた。
フィオナ、ノエル、ドランの三人は、セオドアがまとめた《スキル習得の心得》をもとに、日々の訓練に励んでいた。
「セオドアの話じゃ私たちのスキル習得したんでしょ!なんでこんなに難しいのよ!」
フィオナは弓を構える姿勢を調整しながら悪態をつく。
ドランは巨大な盾を地面に叩きつけるようにして立てる。
「......簡単に行くわけないだろう」
と汗を拭う。
ノエルもまた、精霊たちと共に魔力の流れを制御しようと奮闘していた。
「水の精霊さん、ちょっと協力してくれないかな~?そんなに怒らないで~!」
悪戦苦闘しつつも、その表情には確かな自信が宿りはじめていた。
セリカは、セオドアから渡された設計図を手に、研究室の机の上に素材を広げていた。
「ふふ……なるほどなるほど!未来の私わかってるじゃない!」
彼女はセオドアから託された設計図を元に、仲間たちの武具に組み込める新しい素材の活用に着手していた。
横ではマックスはセオドアから受け取った事業計画を眺めながら笑みを浮かべる。
「未来の自分から事業計画を受け取る日がくるとは......この規模なら、新しい契約先にも対応できますね……アトラス商会の未来は明るいかも知れませんね......」
皆がそれぞれの持ち場で力を尽くすなか、ウィンドミルの街には、確かな前進の気配が広がっていた。
セオドアは、訓練と執筆の合間に情報収集の依頼もこなしていた。
フィールドワークで得た知見もまた、冒険の書の中級編に活かされる。街で交わす言葉の中に、ほんの少し冒険の書の名が浸透し始めているのを感じていた。
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