第二十一話 裏切り者【1/2】
――朝靄の街に、ようやく穏やかな風が戻り始めていた。
アトラス商会の新しい事務所では、久しぶりに平穏な空気が流れていた。
ノエルは簡素な朝食を用意しながら、精霊たちとひとしきり小さな言い争いを繰り広げており、ドランは庭での訓練に向けて盾のメンテナンスを進めている。
フィオナは部屋の窓際で弓の弦を調整しながら、穏やかに笑っていた。
大きな犠牲もあったが、それでもこの数日の騒動は終わったのだと、皆が少しずつ思えるようになっていた。
「これからは、少し落ち着けるかな……」
フィオナのこぼれたその言葉に、沈んでいた空気がやんわりと和らぐ。
だが、その中にいて――セオドアだけは、何かを押し込めるように無理に笑っていた。
「……そうですね......」
心の奥に、拭えない影があった。
そんなセオドアの様子に耐えかねた様にフィオナが呼びかける。
「セオドア......ミアに聞いたんだけど、リオは今日別の街に行くそうよ」
その言葉にセオドアはすくりと立ち上がる。
「見送りに行ってきます......」
「なんて声をかけるの......?」
フィオナの問いかけにセオドアは黙り込んで下を向いた。
『お前がいたからこうなったの......?』
リオの言葉が今だに胸の奥底に突き刺さっている。
「わかりません......ただ......この平穏がリオ君の犠牲に成り立っているのなら僕は......」
セオドアそう言って、黙り込む。
しばしの沈黙にフィオナはため息を一つつく。
「わかったわ。私も一緒に行くわ」
セオドアは目を伏せ、わずかに息を吐いた。
「ありがとうございます……」
ウィンドミルの街門――。
朝の霧がまだ地面に残る時間、移送馬車が静かに準備されていた。
衛兵たちが淡々と手続きを進め、旅支度をしたリオは、フードを目深にかぶったまま、その場に立っていた。
「……いた。リオ君」
セオドアの声に、リオはわずかに肩を揺らしたが、振り返らなかった。
フィオナは少し距離を置き、セオドアの背を見守るように立っている。
「……話がしたいんだ」
セオドアはゆっくりとリオに近づいた。
「……話すことなんてない」
リオの声は冷たく、感情を押し殺したようだった。
「君が怒るのは当然だ。お父さんのことも、僕のことも……でも、君に何も言わずに送り出すなんて……僕には、それこそ許せなかったんだ」
セオドアの言葉に、リオはようやく振り返る。だがその眼差しは、かつてのものとは違っていた。
「何も言わずに……?言ったって変わらない。だって、父さんは捕まって、俺は“罪人の息子”になった。全部、現実だろ」
「……それでも、僕は君に、謝りたかった。救えなかったことも、何もできなかったことも――全部、僕のせいなんだ」
セオドアが言葉を吐き出すようにしてそう言うと、リオは小さく息を吐き、笑う。
その笑みに、かつての無邪気さはなかった。
「謝るぐらいならー、
最初から黙ってセオドアが父さんに殺されていたら良かったんだよ。
そうすれば父さんは捕まらずに済んだ」
リオのあまりにも非情な言葉にフィオナは「はっ」と息を呑む。
セオドアの胸に刺さっていたナイフがより深く貫いていく。セオドアは呼吸ができないほどの胸が締め付けられた。
しばらく沈黙が流れたのち、リオは馬車に歩を進める。
「……俺は、あんたを尊敬してた。でももうどうでもいい。何もかも......」
その背に向かって、セオドアは言葉を投げかけようとするも、もう言葉が見つからない。
リオは黙って、馬車に乗り込む。
車輪がゆっくりと回り始め、朝靄の中へと遠ざかっていく。
その後ろ姿を、セオドアはただ黙って見送っていた。
「……僕はリオ君になんて声をかければ良かったんでしょうか......」
セオドアは涙を流しながら震えた声でフィオナに問いかける。
返す言葉はなかった。ただ、胸の奥に残った重たいものだけが、消えないまま残っていた。
胸に鋭い痛みを感じる。
「いっ......!」
セオドアが胸を抑えてその場でふらつく。
「セオドア!どうしたの!?」
フィオナが倒れ込みそうになるセオドアをすぐさま支える。
「わかりません......急に胸が......」
セオドアはそう言って胸を抑えていた手にじんわりと湿りがあるのを感じる。
セオドアはゆっくりと自身の手を確認する。
セオドアの手は赤く染まっていた。
「ごふっ......!」
セオドアの口から血が噴き出す。
「セオドア!?なんで!?」
セオドアは突然の吐血に思考がまとまらない。
これは......死の同期......?
死の同期が起こるはずなのはあと3日も先じゃないか......?
「誰か!助けて!セオドアが!」
フィオナが取り乱した様に周りの門兵に助けを求める。
「フィオナさん......これは死の同期です......もう......助かりません......」
セオドアは口元から血を流しながら助けを呼ぶフィオナの手を掴む。
「なんで!?死の同期は三日後のはずでしょ!?それにバルト達から生き延びたんだから!」
フィオナの言う通り、スキル習得の訓練で死の同期を繰り返していたセオドアは死の同期が起こる日付と時間は完璧に把握している。
しかし、現実に三日早く死の同期がセオドアに起こっていた。
「わかりません......バルトさん達の奇襲を生き抜く事はハルトを救う未来に関係はしていなかったんだと......思います......」
いつかのループでマックスが言っていた言葉を思い出す。
『ビジョンで見た死の回避は保留とします』
ビジョンの情報の少なさから、死の回避については保留していた。
セオドアはその場で膝から崩れ落ちる。
「セオドア!!そんな!みんなでスキルまで習得してバルトを倒したのに!!あんまりよ!」
「すいません。これで最後だと思ったんですけどね......」
セオドアはフィオナの腕に抱かれながら、力無く笑みを浮かべる。
「......!」
フィオナはセオドアの顔を涙を流しながら見下ろす。
「セオドア!セオドア!......ドア!......!」
フィオナがセオドアを呼びかける声が段々と遠のいていき、視界も闇に覆われた。
夕暮れのような、血のような赤。
焼け落ちた瓦礫の影の中、一人の青年が膝をついていた。
その姿は――ハルト。
セオドアが命をかけて導こうとしてきた少年。
だが。
彼の背後には、誰かの気配。
静かに忍び寄るその影が、躊躇なく剣を突き立てた。
刃が、ハルトの背に突き立つ。小さくハルトは痛みに呻いた。
「な、ぜ……貴方が……?」
驚愕に満ちた声。
その目に映っていたのは、信じがたい“誰か”だったのだろうか。
今までは顔が隠れていたが今回のビジョンではどこか感情的に激しくハルトに剣を突き立てる。
その際に顔を隠していたフードがめくれ、顔が露わになる。
右眉に特徴的な傷がある、中年の男。顔には深いシワが刻まれ、憎悪に満ちた顔を浮かべていた。
セオドアはその顔に見覚えがあった。
(そんな......)
中年の男の顔にセオドアは過去の記憶が想起させられる。
『うわー、なにやってんの?朝っぱらからそんなに頑張って……』
セオドアが振り向くと、そこにはまだ幼さの残る少年が立っていた。
年の頃は十二、三歳。整った顔立ちではあるが右眉あたりに傷跡があった。
ビジョンに見える未来は五十年後......
あの男は......
ハルトを裏切ったのは......
リオ......君......なのか......?
「ぐっ......!」
ハルトに突き立てた剣を力強く捻っていく。
「……さらばだ、勇者様」
鮮血が宙を舞い、ハルトの身体が崩れ落ち、ビジョンも闇に包まれていく。
「リオ君っ!!!!」
セオドアが飛び起きるとそこには旧事務所の自身の書斎であった。
セオドアの頬にはポロポロと涙が流れる。
「裏切り者は......リオ君......だった......」
セオドアは机に自身の拳を叩きつける。
「僕の所為でリオ君は......勇者のハルトを裏切る程に歪ませてしまった......!」
セオドアは力無く倒れ込む様に椅子に座る。
ふと窓を見る。ウィンドミルの空に、鳥が群れをなして飛んでいた。
セオドアは窓にフラフラと歩み寄り開け放つ。
まだ朝の光が地平線を越えたばかり。ウィンドミルの村の上空、わずかに白む空に黒い影がすっと弧を描いて横切っていく。
風もない。葉も揺れない。ただ羽音だけが遠く、規則的に響いた。
その群れは、一度上昇し、また緩やかに高度を落とし、まるで見えない線をなぞるように、東の空へと消えていった。
残されたのは、薄くかかる朝霧と、まだ眠りきった村の屋根の影。屋根の上の煙突から、ひとすじの煙がのぼっていた。
セオドアは初めてこの朝を迎えた時の事を思い出す。
『今日も性懲りも無く現れたな!』
訓練場でリオがニヤリとした表情で佇んでいたのを思い出す。
気が付けばセオドアは旧事務所を飛び出し、訓練場へと駆け出していた。
朝の訓練場には、まだ夜の冷たさがわずかに残っていた。
セオドアがあたりを見渡していると不意に声をかけられる。
「今日も性懲りも無く現れたな!」
リオがニヤリとした表情で佇んでいた。
いつもの嫌味を含んだ様な無邪気な少年の笑顔にセオドアは安堵する。
「なんだよ?俺の顔になんかついてるか?」
「いえ、おはようございます、リオ君」
「こないだまで顔出さなかったのに最近は毎日またき始めやがったな!」
リオの言葉に懐かしみを感じる。初めてこの日を迎えた日からもう何度もループを重ねて、セオドアに取っては一年も前の様な感覚があった。
「少し......いや、結構忙しかったんですよ」
「まぁ、お前が来ない間も俺は一人で特訓してたからその分、俺の方が強くなったかもな!」
「リオ君も真面目ですね」
「はん!冒険者になったらあっという間にセオドアなんか超えてやるんだからな!」
「そうですか、僕も負けてられませんね」
セオドアとリオはトレーニングを始める。
朝の光が差し込む訓練場に、木剣のぶつかる乾いた音が響いていた。
リオはいつも通り、真剣な眼差しで黙々とトレーニングに打ち込んでいる。その額には汗が浮かび、呼吸は荒い。けれど、その動きには一切の迷いがなかった。
セオドアはそんな彼の姿を、斜め横からそっと見つめていた。
(……本当に、まっすぐな子だ)
そのひたむきさにセオドアは目を細める。
この子は将来、勇者ハルトを裏切る。
だがその言葉が、どうしても結びつかないほど、リオは清廉だった。
「リオ君……」
思わず名前を呼ぶと、リオは肩越しに振り返る。
「なんだよ?……もう、ギブアップか?」
からかうような声音と一緒に、口の端を吊り上げて嫌味な笑みを向けてくる。
セオドアは苦笑して首を横に振った。
「まさか……。ただ、ちょっと聞きたくなって」
木剣を構えたまま、ほんの少しだけ視線を落とす。
「リオ君は……なんで、冒険者になりたいの?」
一瞬だけ、リオの動きが止まった。だが次の瞬間には、まるで迷いのない声で即答してくる。
「なんで……って、父さんみたいな……強い男になりたいからさ!」
その声には、誇らしさと憧れが混じっていた。
セオドアは思わず視線を落とす。心の中に、バルトの姿が浮かんでいた。冷静沈着で、力強く、そして――あまりにも重い過去を背負った男。
「強くて……みんなを助けて……みんなに頼られる。そんな父さんみたいな冒険者になりたい……!」
胸を張ってそう言い切るリオの表情には、一片の曇りもない。どこまでも真っ直ぐな希望だけが宿っていた。
「そっか……」
セオドアがぽつりと返すと、リオは顔をしかめてセオドアを睨んだ。
「なんだよ……急に!気持ち悪いな!」
気恥ずかしさを隠すようなその言葉に、セオドアは肩をすくめて微笑む。
「気持ち悪いは酷いですよ……」
その穏やかなやり取りに、一瞬だけ、胸の痛みが和らぐ。
「じゃあセオドアはなんで冒険者をやってんだよ!」
木剣を肩に担ぎながら、リオは意外そうに問いかけてくる。
セオドアは少しだけ考えるそぶりを見せてから、静かに答えた。
「僕も……リオ君と同じですよ。みんなを助けられる、そんな冒険者になりたいんです」
過去も、未来も――すべてを背負ったその言葉は、まるで祈るようだった。
「へぇ! じゃあ、俺とセオドア!」
リオがニカッと笑う。
その笑顔は、あまりにまぶしくて。
「どっちが先にそんな冒険者になれるのか勝負だな!」
突き出された木剣が、ぐっとセオドアの胸を押す。
セオドアはその“挑戦”を、まるで贈り物のように受け取った。
「……わかりました。勝負です」
短く返し、構えを取り直す。
この時間が、ほんの少しでも永く続くように――
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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