第十七話 今度こそ【1/2】
時間が巻き戻る。
セオドアが気がつくと旧事務所の書斎であった。セオドアはループに動じることなく、机に広げられた自身の手帳に向かって羽ペンを持つ。
その目に絶望の灰色はなく、火を灯したかの様に熱意に溢れていた。
フィオナやノエル、ドランが最後に残した感覚を手帳に書き込んでいく。
感覚の書き込みを終えたセオドアは次にそれぞれにあった訓練内容を計画していく。
「まず初めは魔力操作の訓練......次は魔力を全身に巡らせる為に......次は全身に魔力を巡らせてから動ける様に訓練を......」
書斎にペンが素早く紙の上を走る音だけが響いている。いつのまにか窓からは朝日が差し込み始める。
ペンの音にノエルの鼻歌が混じり始める。ノエルが2階へと上がってくる。
「2階の明かりつけっぱなしだねー。セオドアくんいるの〜?」
ノエルが書斎に入ってくるとセオドアはゆっくりと椅子を引き立ち上がった。
「おはようございます。ノエルさん」
「セオドアくんおはよ〜。まさか徹夜で作業してたの?」
「まぁ、そんなところです。あと、ループしました」
セオドアの唐突で軽い告白にノエルは目を丸くして固まった。
そして数十分後、旧事務所のテーブルにアトラス商会のメンバーが揃っていた。
マックスが腕を組み、セリカが書類をまとめ、ドランが背もたれに大きな身体を預けている。
フィオナとノエルは、じっとセオドアを見つめていた。
セオドアは立ち上がり、真っ直ぐ彼らを見据える。そこには緊張もなくあるのは安心感であった。
「――ループが、起きました」
薄っすらと笑みを浮かべたセオドアの告白にアトラス商会のみんなは沈黙した。
だが、それは驚きではなく、受け止めるための間だった。
セオドアは穏やかにタイムループについてマックスとセリカに伝える。
次に計画していた実地訓練が反対派の奇襲にあって、全滅した事。そして黒幕がバルトであった事を伝えた。
「バルト......?ウィンドミル最強の冒険者がなんで?」
フィオナの問いにセオドアは首を振った。
「冒険の書を反対している......ということしかわかっていません。
ただ僕らを殺してまでも冒険の書の制作を止めたかったという並々ならぬ感情があるのは確かです......」
セオドアの言葉に全員が沈黙する。
「なので、前のループでの僕達の目標は僕とフィオナさん、ノエルさんにドランさんの四人が全員スキルを習得し、バルトと対峙しても生きて証拠を持ち帰る事でした」
マックスが頷きながら言う。
「つまり、ブックメーカーの主戦力である、あなた方が全員がスキルを開花させ、バルトとの遭遇にも耐えうる“戦力”となる必要がある......そういうわけですね?」
「はい」
セオドアは全員を見渡した。
その表情には、かつての迷いや恐れはもうなかった。
「スキル。いつかは......って思っていたけどまさかこんなにすぐに習得に取り掛かるとは思ってなかったわ」
フィオナは感慨深いと言った様に呟くとそれを聞いたノエルが首を傾げた。
「私はスキル持ってるけど?」
「はぁ!?ノエル、スキル持ちだったの!?」
「え〜知ってると思ってた!」
「知らないわよ!どんなスキル持ってるのよ!」
「えっとね、エレメントチャットって言って精霊さんとお話しできるの。だから私は精霊魔法が使えるんだよ」
「......生まれつきか」
ドランが静かに呟く。セオドアは見計らった様に口を開く。
「......なので、ノエルさんには新たなスキルの取得を目指して貰います」
「まじ?」
「安心してください。今回のループでは、全員のスキル習得訓練を、前回の皆さんから教えてもらった感覚をもとに僕が最初から教えます」
「つまり前回の私たちはスキル習得の訓練を始めていたってわけね......」
フィオナが言うと、セオドアは頷いた。
「はい。今回の死の同期までの期限は――おそらく一ヶ月。
限られた時間の中で、全員がスキルを習得するまで僕は何度でも繰り返し、皆さんの感覚を次の皆さんに伝えていきます」
「ちょっと!それじゃあセオドアが何回も死ぬって事じゃ......!」
セオドアの言葉にフィオナは涙目になりながら立ち上がった。しかし、セオドアは穏やかな表情でフィオナをみる。
「ありがとうございます、フィオナさん。けれど、こんなにも安心してループを迎えられているのは今回が始めてなんです」
「安心......?」
「はい。みんなに囲まれてループして、みんなに囲まれて目覚める......
みんながずっと一緒にいてくれる......こんなにも心強い事はありません」
セオドアがそう言うとフィオナは反論しようと口を開きかけたが、セオドアの真っ直ぐな瞳に口を強く結んだ。
「わかったわ、セオドア。今度こそ、やり遂げましょう」
こうして、彼らの再出発が静かに始まった。
今度は、決して独りではない。
セオドアの背中には、確かなこれまでのループで託された仲間の気配があった。
旧事務所から新事務所への移転は、もはや手慣れたものだった。
セオドアとマックスが先導し、セリカが荷物を振り分け、ドランとフィオナが力仕事を担う。ノエルは途中で歌い出し、フィオナに睨まれて黙る――そんないつもの風景が、セオドアの胸に優しく灯った。
だが、彼の頭の中には、一つの目的が強く根を張っていた。
(一ヶ月――それが今回の死の同期までの猶予)
セオドアは新事務所の庭に立ち、朝の風に髪を揺らしながら仲間たちを見渡す。
「ここからは、スキル習得の特訓に入ります。まずはフィオナさん、ドランさんは魔力操作を習得していただきます」
フィオナがうなずき、次にドランは無言で頷いた。
「私は〜?」
「ノエルさんは既に魔力操作ができるので、スキル習得の特訓に入って貰います」
「イェーイ!一番乗り〜!」
「魔法使いがプラチナに上がりやすいって言われるのはこういう事ね......」
フィオナは負け惜しみの様に呟く。
セオドアは手帳を開く。
「これは魔力操作を覚えた時のフィオナさんとドランさんの感覚を聞いて書き出したものです」
「前の私の感覚......」
「フィオナさんは自分の意識を先に先に引き延ばす感覚。ドランさんは身体に岩を纏わせていく様な感覚であったと言っていました」
「なるほど......」
「つまり、“前の自分”が“今の自分”に教える立場になるんです。今お伝えした以上にわかりやすい感覚やコツが掴めたら僕に教えてください。僕が必ず次の皆さんに伝えます」
沈黙が流れた。
だが、それは重さではなかった。覚悟の共有だった。
そして、訓練が始まった。
フィオナとドランは魔力操作。ノエルはスキル習得に取り掛かった。
フィオナとドランは前回では一週間はかかっていた魔力操作を今回は四日でマスターした。
「前の私が言っていた、先へ先へってのはもっと具体的に言うと、辺り一帯に私の意識を溶け込ませる様な感覚だったわ」
「なるほど......」
セオドアはフィオナの感覚をメモする。
「......岩を纏わせて......その岩に亀裂を入れる様に静かに気を流している......」
「岩を纏わせ......静かに......」
セオドアはドランの感覚も記録していく。
次は魔力を全身に巡らせる訓練に入る。
その次は魔力を全身に巡らせたまま動ける様に訓練する。
そして......スキル習得の為の訓練に入る。
フィオナは弓に魔力を通すため、朝から晩まで矢をつがえては放ち続けた。セオドアが隣につき、矢尻の意識を言語化して伝え、失敗すればノートをめくり原因を探った。
ドランは静かな集中の中、筋肉の緊張と呼吸のタイミングを合わせては模擬戦を繰り返した。ノエルとフィオナが交互に打ち込み、彼の盾が揺れるたび、魔力の感覚が身体に馴染んでいった。
ノエルは、もともと持っている《精霊会話》とは別に、精霊魔法を強化する方法を模索した。
セオドアと夜遅くまで口の形や息の強さについて語り合い、彼女なりの“魔力の歌”を少しずつ作り上げていった。
そうやって数日が過ぎていく。
セオドアの心の奥では、時間が刻まれる音が絶え間なく鳴っていた。
(まだ……まだ時間はある……)
たとえ彼らが次のループで記憶を失っても、僕一人が彼らのすべての努力を記憶している。
必ずみんなの努力を無駄にはしない。
死の同期が訪れる瞬間にはまたみんなに感覚を声に出してもらう。
そしてまたあの朝が訪れる。
セオドアはめげる事もなく、ループを迎えると、手帳に向かって訓練の内容をできるだけ思い出して手帳に書き出していく。
何度も白紙に戻る手帳に何度でもペンを走らせる。
このループでの訓練も、すでに半ばを過ぎていた。
セオドアは、いつものように訓練場の端に座り、羽ペンを走らせていた。
庭の中央では、フィオナが弓を構え、矢をつがえている。
彼女の額には汗が滲んでいたが、その瞳には確かな光があった。
――魔力を通す。
矢尻に集中する。
呼吸を整え、心を研ぎ澄ます。
幾度となく試みてきた動作。そのどれもが、あと一歩のところで届かなかった。
(……この感覚、確かに何かが違う)
フィオナの中で、何かが“噛み合って”いくのを、彼女自身が感じていた。
セオドアは立ち上がり、彼女の背後からそっと声をかける。
「フィオナさん、今の呼吸、そのままです……“矢尻に力が吸い込まれる”イメージを保ってください」
「……やってみる」
彼女はそっと矢を引いた。
空気が張り詰める。
その瞬間――
フィオナの弓が、かすかに赤く輝いた。
次の瞬間、矢は風を裂き、まっすぐに的の中心を射抜く。
的が、弾け飛んだ。
「えっ……?」
最初に声を漏らしたのはノエルだった。
風が収まった後、残ったのは静寂と、一本の煙を上げる的の残骸。
フィオナの手には、まだかすかに揺らめく赤い魔力の名残。
セオドアはそれを見届け、そっと微笑んだ。
「……スキルの発現です。おめでとうございます、フィオナさん」
「私……スキル、習得したの……?」
フィオナは息を呑んだまま、自分の手を見る。
鼓動が速くなる。
これまでの苦労が、全て報われたように思えた。
「セオドア......ありがとう」
「……いえ。僕は、前のフィオナさんから伝えてくれたものを、ただ渡しただけです」
そのやり取りを聞いていたドランが、ふっと鼻で笑った。
「次は……俺だ」
「負けてられないね〜」
ノエルが拳を掲げる。
スキル習得に向けて、訓練はさらに熱を帯びていく。
セオドアの手帳には、新たな文字が加えられた。
――《烈風穿矢〈れっぷうせんし〉》:魔力を帯びた矢で敵の防御を貫くスキル。
確かな足音が、未来へと踏み出された。
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