第十一話 調査線上の黒【2/2】
ウィンドミル商会ギルド――
冒険者ギルドとは異なる静けさと計算が支配する場所。帳簿の音、計算珠の転がる音。日常に紛れた駆け引きが、誰にも気づかれぬまま交わされる。
その一角に、静かに歩を進める男の姿があった。
以前は商業ギルドの監査室にいたアトラス商会――マックス。
受付で身分を告げると、慣れた様子の書記官がすぐに裏の記録室へと案内した。
「本日も“定例照会”という名目でよろしいでしょうか?」
「ああ、可能な限り静かに頼みますね」
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
鍵のかかった扉が開かれると、帳簿と仕入れ記録が並ぶ記録室の空気が、ひやりと迎え入れた。
マックスは机に腰を下ろすと、懐から一枚の紙を取り出した。セリカがまとめた“クラッグハウンドを扇動した香”の主成分――
《ハシリドコ草》と《カクリ根》。
この組み合わせの仕入れ履歴を追う。セリカの分析によれば、この二種を特定の配合比で精製すれば、クラッグハウンドの行動を一時的に狂わせる効果がある。
「――さて。少なくとも、今月と先月にこの二つを揃えて買った“個人”がいたはずだ」
彼の手は慣れた動きで、複数の商会の仕入れ帳簿を捲っていく。
──そして、数十分後。
「……見つけましたよ」
マックスの指が止まったのは、ノース通りの薬草商“アルバ草舗”の記録。
購入者の名は――《キール》。
「……キール。たしか、フィオナさんが持ってきた情報ではの中年テイマー……ノルフェンから移ってきたばかりでしたね」
購入履歴はこの三ヶ月で三回。すべて“通常では考えにくい量と比率”で、ハシリドコ草とカクリ根をセットで仕入れていた。
しかも、名義は毎回異なる中間業者を通していた。だが、届け先の“受取人”はすべてキールだった。
「間違いない。……この男は“香”の精製者、もしくは使用者だ」
マックスは素早く照会番号と証拠の写しを手帳に写すと、静かに席を立った。
扉の外に出ると、風が一段と強く吹き抜け、街の喧騒が遠くから聞こえてきた。
「……少なくとも、テイマーの線は“確定”とみてよさそうですね。残るは……杭の魔法使い......」
マックスは眉をひそめながら歩き出す。
だが、足取りは確かだった。
黒装束の正体へと至る道筋が、一歩、確実に明らかになったのだ。
新事務所の会議室に、緊迫した空気が漂っていた。
机の上にはフィオナ達が冒険者ギルドで調べた情報の該当者のメモ、マックスが商会ギルドから持ち帰った報告書と、セリカが記した香の調合素材のリストが広げられている。
「――間違いありません。クラッグハウンドを誘導した香の素材、《ハシリドコ草》と《カクリ根》を、不自然な比率で複数回購入していた者がひとりだけいます」
マックスが手元の資料を示しながら、低い声で続ける。
「名前は《キール》。中年の男性テイマー。以前はノルフェンのギルドに所属し、昨年からウィンドミルへ移籍。かつて“猛獣使いのキール”と呼ばれていたこともあるそうです」
フィオナが目を細め、ドランの拳が静かに握られる。
そして――
「……こいつが……!」
セオドアの声が震えた。
「セオドア.......?」
椅子をきしませて立ち上がり、拳を震わせながら、書類を睨みつける。
呼吸が荒くなる。
あの惨状が脳裏をよぎる。
視界が灰色に染まっていく。
「――あいつが、黒装束の一人……! フィオナさんを……ノエルさんを……ドランさんを……みんなを.......!」
怒りが言葉にならないほど膨れ上がっていた。額に汗がにじみ、歯を食いしばるセオドア。
ノエルとドランがわずかに身じろぎする。セリカも顔をこわばらせた。
その時――
「セオドア」
フィオナが立ち上がり、彼の前に回り込んだ。
そして、そっと、その胸に手を当てる。
「気持ちはわかる。でも……復讐だけを考えていたら、あなたまで壊れてしまう」
その声音は優しかったが、芯が通っていた。
セオドアは息を呑み、拳をほどいて、ぎゅっと目を閉じた。瞳から灰色は徐々になくなっていく。
「……すみません……。一瞬、見境を失ってました」
フィオナはにこりと笑い、そっとセオドアの肩に手を置く。
「ありがとう。あなたが冷静でいてくれないと、私たちも前に進めないから」
セオドアは深く頷き、もう一度、キールの名前を見つめた。
「……キールの動向を追いましょう。彼を調べれば、おそらく“杭の魔法使い”の正体にも辿り着けるはずです」
「尾行は私がいく?」
「.......俺も」
ノエルとドランが名乗りを上げる。
「いや。今回は、僕が行きます。尾行は単独の方が気付かれません.......」
静かな、けれど強い決意がその言葉にはこもっていた。
アトラス商会の仲間たちは、それ以上何も言わなかった。ただ、力強く頷いた。
「キールが黒装束であるのなら……僕たちでその正体を暴きましょう。もう、誰も死なせないために」
こうして、セオドアは新たな一歩を踏み出した。
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