第七話 約束の花を見に【2/2】
セオドアの斧の振る音とフィオナが弓を放つ音が森に響く。しばらくして、ツインホーンの呻きが森に消え、戦闘は終わった。
地面に崩れたツインホーンの亡骸を前に、セオドアは斧をホルダーに収める。フィオナも弓を肩に戻し、静かに呼吸を整えていた。
「討伐完了。全員、無事ですね?」
振り返ったセオドアの声に、新人たちが次々と頷いた。まだ興奮と緊張の入り混じる表情のまま、ロゼとダリルもほっとした顔でうなずく。
「やっぱりすごいです……セオドアさんもフィオナさんも……!」
「は、はい……これが本物の連携なんですね……!」
セオドアは頷きながら周囲の様子を確認する。森の広場は落ち着いており、他に気配はない。
「よし、今日の討伐はここまでにします。皆さん、よく集中してくれました。帰還ルートは来た道を戻ります。安全な場所まで出ましたら振り返りを行いましょう。では足元に気をつけて、二列で――」
そう言いかけた時だった。
ふ、と。
風が吹き抜けたわけでもないのに、空気の中にわずかな違和感が走った。
匂いだった。
湿った土や草の匂いとは違う。もっと――乾いた、鋭い香気。薬草とも違う、だがどこか人工的な、香炉の煙のような……
セオドアは鼻先にかすかに残るそれに眉をひそめた。
「……みんな、止まって」
声は低く、しかし有無を言わせぬ力があった。
新人たちがその場で動きを止め、フィオナがすぐさま異変に気づき、セオドアにそっと歩み寄る。
「どうしたの?」
「何か……おかしい。さっきから、匂いがするんです。モンスターの匂いじゃない……何か、香のような……」
言葉を発した瞬間だった。
――カサリ。
木の上、茂みの中、背後の森の奥。複数の方向から、同時に「何か」が現れた。
現れたのは、獣ではない。
硬質な外殻に覆われた身体。黒と灰を混ぜたような鱗。鋭い牙と、明らかに人の動きを意識して囲い込んでくる配置。
「……まさか、あれは……《クラッグハウンド》!? ここにいるはずがない……!」
スチールランク級のモンスター。本来は北部の岩地帯を主な生息域とする、集団行動型の捕食種。だが、ここは南のクローヴの森。彼らが現れるはずのない地だ。
フィオナが弓を引き絞る。
「まさかこんなのが来るなんて……!」
「皆、隊列を崩さず、僕たちの後ろに!」
セオドアが叫ぶと同時に、クラッグハウンドの一体が飛びかかってくる。
刹那、フィオナの矢が唸りをあげてそれを弾き飛ばす。だが、他の個体はそれを合図にするかのように動き出した。
「……囲まれてる。完全に、狙い撃ちだ……!」
セオドアは全方向を見渡しながら、無意識にあの奇妙な“香の匂い”を思い出していた。
――誰かが、モンスターを意図的にここに誘導した?
そう思わずにはいられない、不自然な現れ方だった。
「皆さん、落ち着いて!フィオナさん!皆さんを先導して包囲に穴を開けて下さい!僕が引き付けます!!」
「セオドア……この数……多すぎる!」
「フィオナさん、絶対に誰も死なせない……僕たちで、守り切りましょう!」
フィオナは一瞬だけ彼の目を見て、短く頷く。
「もちろんよ!」
その時、クラッグハウンドの群れが、吠えた。
森が、戦場に変わった。
吠え声が一斉に響き、クラッグハウンドの群れが一気に距離を詰めてきた。
獣臭と土煙が混じった風が吹き抜け、空気が一気に戦場のそれへと変わっていく。
「セオドア、左からもう一体来るわ!」
「任せてください!」
フィオナの警告に応じ、セオドアが一歩踏み出して斬撃を繰り出す。
鋭い牙を見せて突進してきたクラッグハウンドを、地を滑るようなステップで捌き、肩口から胴へかけて斜めに切り裂いた。
同時に、後方では新人たちが後退しつつも必死に陣形を保っていた。
「ダリル、後退して! 盾を構えて、視線を切らないように!」
「ロゼ、右側の個体は前足を強化して突進してくるタイプだ!体勢を崩して誘導を!」
声が、飛び交う。
フィオナが後衛の守りに回り、矢を次々と番えては放つ。
だが敵の数が多すぎた。
三方向から挟み込むように押し寄せるその動きは、まるで人の指示でもあるかのように統率されていた。
ある新人冒険者の声が聞こえる。
「なんで!安全だって言ったじゃないか!」
「俺たちこのままじゃここで食われる......!」
――このままでは、押し切られる。
その予感が頭をよぎった時、聞こえたのはロゼの叫びだった。
「私たちも戦いましょう!」
「冒険の書に書いてありました! クラッグハウンドは脚力が強いけど持久力が低い!一撃にすべてを懸けてくるから――」
「防げば、隙がある!」
そう叫ぶと、ロゼとダリルがそれぞれ剣と盾を構えて、前へと出た。
「後ろにいるだけじゃ.......!守られるばかりでは!足手まといです!」
「僕達は冒険の書を読んだはずです!何の為の知識ですか!僕はその知識を使います!今ここで!」
セオドアの目が見開かれた。
――これは、僕たちが望んだ“冒険の書”の未来だ。
ダリル達の掛け声で戦意喪失していた新人冒険者も覚悟を決めて武器を握り締める。
「よし……!全員、動きを合わせるんだ!」
「左の個体は右目が潰れてる!視界が甘い!」
「粘液は腹部から分泌されてる!そこを狙えば弱る!」
若き冒険者たちは叫び合いながら、それぞれの知識を持ち寄って戦い始めた。
セオドアは前線で攻撃を受け止め、隙を突いて反撃を繰り返す。フィオナは冷静に援護の矢を放ち、後衛を維持する。
「ダリル、盾で正面から受け止めるな! 斜めにいなして!」
「了解!」
「ロゼ、跳躍攻撃の直後は足がもつれる! 下から切り込んで!」
「やってみます!」
緊張と汗と、鋼と牙が交錯する。仲間の悲鳴が、互いの声で支えられ、決して恐怖に押し潰されないように回っていた。
まるで、冒険の書の一節をそのまま現実にしたかのように、知識と行動がリンクしていた。
そして、やがて。
セオドアの最後の一太刀が、リーダー格と思しきクラッグハウンドの首筋を断ち、地に沈めたとき――
残った個体たちが一斉に後退を始めた。
「……撤退行動です!」
セオドアが叫ぶと同時に、残りのクラッグハウンドたちは素早く森の奥へと散っていく。
静寂が戻った。
全員がその場に崩れ落ちるように座り込んだ。呼吸が荒く、肩が上下に波打っていた。
「誰か、怪我は!?」
フィオナの声に、ロゼが手を挙げる。
「か、軽い擦り傷だけです!他は……全員、大丈夫みたいです!」
セオドアは大きく息をつき、斧を地面に突いて支えた。
「……よかった!本当に良かった.......誰も、死んでない」
その言葉に、周囲の冒険者たちが涙ぐみながら笑った。
「すごいよ……本当に、冒険の書の通りに戦えた……!」
「生き延びられたの、セオドアさんとフィオナさんのおかげです!」
セオドアは首を横に振った。
「違います。これは、みんなの“知ろうとした努力”が今に繋がったからです。僕たちは、そのきっかけを作っただけです」
やがて、誰からともなく拍手が起こった。
それは勝利への賛美ではなく、命を繋ぎ止めた仲間たちへの称賛だった。
戦いの余韻が、まだ森に残る中。
その中心にいた若き冒険者たちは、確かに一歩、前へと進んでいた。
その時ーー、
空気が止まった。
誰もが、生き延びたと――そう思った、矢先だった。
セオドアの背後で、風が鳴いた。
シュルルル――と、音もなく滑り込む鋭い何かの気配。
その軌道を察知したときには、もう体が反応していた。
だがそれより速く――影が、飛び込んだ。
「セオドア!!」
刹那、視界が跳ねた。
誰かがセオドアを突き飛ばした。体勢を崩した拍子に、地面が迫り、そして――
耳を貫いた、肉が裂ける音。
ぐちゃり、と。
鈍い音と共に、湿ったものがセオドアの顔に飛び散る。
「……っ、!」
地面に転がったセオドアが見たのは、胸に太い“杭”を貫かれたまま、立ち尽くす少女
――フィオナの姿だった。
「フィオナ......さん......?」
時間が、止まった。
彼女の目が、ゆっくりとこちらを見た。口元に、血の泡が滲んでいた。
それでも笑っていた。微笑んでいた。まるで、何もかも赦すように。
「よかった……」
その声は、小さく震えていたが、確かに聞こえた。
「……セオドアが、無事で」
彼女の足が、ふらつく。膝が折れ、崩れ落ちる。
セオドアは夢中で駆け寄り、フィオナの身体を抱き留めた。
その手が濡れる。血だった。熱かった。あまりにも現実的で、残酷な赤い色。
「なんで……っ、なんで........僕を庇って......?」
フィオナは笑う。その瞳は、空を見ていた。
「私は......いつもあなたを助けるのよ.......今までのループで見てきたんでしょ......」
「それは……っ、だからって……!」
「……だから、今回も私が......あなたを助ける......」
血を吐くようにして言葉を繋ぐ。
言葉のひとつひとつが、こぼれ落ちる命の音のようだった。
「……私ね……あの日、セオドアが……“私みたいな冒険者に”って言ってくれて……本当に、嬉しかったんだ」
「フィオナさん......!早く手当を!」
「……ちょっとは……セオドアの、憧れに……近づけたかな……?」
「そんな事は今は聞きたくありません.......!」
「お花畑......セオドアと見たかったな.......」
そう言ったその瞬間、彼女の視線が、ふと空に泳いだ。
「……あ」
その声は、風に溶けるように――薄れていった。セオドアは必死でその何かを掴もうとするも指からすり抜けていく。
ぐしゃり、とセオドアの胸に頭を預けるようにして、フィオナの体が傾ぐ。
呼吸は、ない。
彼女の鼓動は、もう――どこにも、なかった。
頭の中で走馬灯のようにフィオナとの思い出が駆け巡る。
『ねぇ、ちょっと、やりすぎじゃない?』
『よろしくセオドア。応援してる。しっかり働いてきなよ』
『セオドア。あなた、私のパーティーに入ってくれない?』
『セオドア、私達がついてるよ』
『大丈夫だよ。きっと。こんなに頑張ったのよ』
『……ねぇ、セオドア』
『はい?』
『謹慎が明けて落ち着いたらさ……ちょっと遠出しない? 山の方に、すごく綺麗な花畑があるって、昔聞いたことがあるの。まだ見たことなくて……』
『行きましょう。みんなで行けたら、もっといいかもしれませんね』
『……うん。けど.......』
『けど?』
『そ、その二人で.......行けたらいいかな.......』
セオドアの瞳から、何かが崩れ落ちた。
「――フィオナさん……」
声にならない。
嗚咽も、涙も、叫びも。
なにひとつ、彼女を引き留められなかった。
森に、静寂が訪れる。
それは、勝利の余韻ではなかった。
それは、命の灯が消える音だった。
誰も動けなかった。
ただ、セオドアの腕の中――その微笑みのまま動かない少女を、全員が見つめていた。
その瞬間。
誰かの心に深く刻まれた“喪失”が、ゆっくりと、始まりを告げた。
「ったく、あれだけモンスター仕掛けて、結局は自分たちでやらなきゃなんねーのか.......」
森の奥から声が聞こえた。
「まぁまずは耳長一匹」
約束の花は見れぬまま........
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