第五話 静寂と怒声【1/2】
セオドアが目覚めるとまだ外は薄暗く静けさがそこにはあった。
目の前には手帳が開かれており、遅くまで作業をしていた事を朧げに思い出す。はっきりとしない頭を晴れさせようと窓を開け放つ。
ウィンドミルの空に、鳥が群れをなして飛んでいた。
まだ朝の光が地平線を越えたばかり。ウィンドミルの村の上空、わずかに白む空に黒い影がすっと弧を描いて横切っていく。
風もない。葉も揺れない。ただ羽音だけが遠く、規則的に響いた。
その群れは、一度上昇し、また緩やかに高度を落とし、まるで見えない線をなぞるように、東の空へと消えていった。
残されたのは、薄くかかる朝霧と、まだ眠りきった村の屋根の影。屋根の上の煙突から、ひとすじの煙がのぼっていた。
思いっきり伸びをしたセオドアは部屋の中へと戻っていく。
セオドアはギルドの訓練場まで軽くジョギングをし、たどり着いた頃にはあたりは明るくなっていた。
セオドアが上着を脱いでいると背後から声をかけられる。
「今日も性懲りも無く現れたな!」
リオがニヤリとした表情で佇んでいた。
「おはようございます、リオ君」
「この間まで顔出さなかったのに、最近はまた毎日き始めやがったな!」
「あの時は少し忙しかったんですよ」
セオドアはマックスがアトラス商会を立て直すまでの激務であった頃を遠い目で思い出す。
「まぁ、お前が来ない間も俺は一人で特訓してたから、その分俺の方が強くなったかもな!」
「リオ君も真面目ですね」
「はん!冒険者になったらあっという間にセオドアなんか超えてやるんだからな!」
「そうですか、僕も負けてられませんね」
セオドアとリオはいつもの様に筋トレを始める。いつしかリオとのトレーニングが日課となっていた。
トレーニングを終えたセオドアはアトラス商会の事務所に顔を出す。するとハーブティーの香りが、ふわりと漂う。
「おはよ〜セオドア君!」
既に事務所に来ていたノエルが鼻歌混じりにハーブティーを用意していた。
「おはようございます、ノエルさん」
「今日もリオ君と一緒にトレーニングしてたの?」
「そうですね。一緒にやってるつもりはなかったんですけど、いつのまにかそうなってますね」
「セオドア君は子供にも好かれるんだね〜」
ノエルの何気ない言葉にセオドアは首を傾げる。
「子供にも......?」
セオドアの返答にノエルは笑顔で固まった。
「あ〜......言い間違いだよ〜」
ノエルはそう言ってカップから溢れてもハーブティーを注ぎ続けていた。
「ちょっと!ノエルさん!溢れてますよ!」
「ありゃ〜!」
ノエルは慌てて片付けようとして今度はハーブティーごとひっくり返す。
「ノエルさん!?」
そそっかしくノエルは片付けながら更なる被害を広げていく。
「朝から騒がしいですね」
事務所に入るなりマックスはノエルの惨状を半目で見る。
「お、おはようございます。マックスさん」
「おはようございます。セオドア代表」
マックスは仰々しくお辞儀をする。
「そろそろその呼び方やめて下さいよ」
「お気になさらないで下さい。役職者には名前に役職をつけて呼ぶのが私のポリシーなので、悪しからず」
マックスは軽く頭を下げる。
アトラス商会にマックスがアトラス商会に来てからというもの商会として躍進はしていた。
しかし、相変わらず距離感をセオドアは感じていたがマックスの性分だと割り切っていた。
マックスはノエルを見ると呆れた様にため息をつく。
「それにしてもなんですか?この状況は。ノエル雑用。仕事を増やしてどうするんです?」
「私だって精一杯頑張ってるのに〜!」
ノエルが大袈裟に泣き始める。
「ノエル氏......朝から大声はやめて下さい......」
事務所の書類の山が崩れ、埋もれていたセリカが現れる。
「セリカさん!なんでそんなところに!?」
「いやいやいや......図鑑のサンプルができたので初めから読み返していたら......嬉しくて一晩かかっちゃいました......」
「気持ちはわかりますけど........何も埋もれなくても......」
「セリカ記録係も売り物をぞんざいに扱わないで下さい」
「いやいやいや.......マックス氏......夢だったんです。自分の作った本に埋もれて読むの」
「どんな夢なんですかそれ?」
セオドアとマックスの返しが重なるもセリカはお構いなしに恍惚の表情を浮かべながら図鑑の表紙を撫でている。
ドランが荷物を持って事務所に入ってくるとノエルがドランに縋り付く。
「ドラン〜!マックスが私を雑に扱うの〜!」
「.......」
ドランは黙って事務所内に光景を見渡し、ノエルが散らかしたであろう惨状を目の当たりにする。
「.......みんな......おはよう」
「おはようございます、ドランさん」
「おはようございます」
ドランはノエルについては言及せず、セオドアとマックスに挨拶を交わす。
「冷たいよー!」
ノエルが駄々を捏ねていると、事務所の扉が再び開かれる。
「おっはよう〜!」
フィオナが事務所に入るなりノエルはドランからフィオナに乗り移る様に縋り付く。
「フィオナ〜!マックスが〜ドランが〜!」
「はいはい、どうしたの?」
フィオナは慣れた様にノエルを宥める。そこへセオドアが近付き、声をかける。
「フィオナさん、おはようございます」
フィオナは少し戸惑った様にぎこちない笑顔を浮かべた。
「お、おはよう。セオドア」
フィオナは少し顔を顔を背ける様にセオドアの前を通り過ぎていく。セオドアもそんな様子に少し疑問を感じたが、特に聞くこともできなかった。
「今日の予定は……」
セオドアは机の上の紙束に目を通す。
午前中は商会関係の書類整理。午後はギルドへ納品と、依頼調整。その合間に、図鑑編の打ち合わせがひとつ。いずれも平常運転。
朝のどたばたがひと段落すると、アトラス商会の応接室には自然と緊張が走っていた。
セオドア、マックス、セリカ、ノエル、フィオナ、ドラン。皆が所定の席につき、机上にはギルドからの通達文や報告メモがいくつか積まれていた。
「……また、やられてたわ」
フィオナが口を開いた。机の上に、破られた冒険の書の広告の張り紙を差し出す。
「夜中に破られたみたい。冒険の書の設置コーナーも、いつのまにか水で濡らされていたって」
フィオナが苛立ちを隠さず言い添える。
「器物破損もそうだけど……新人の一人が他の冒険者に“そんな物を読むな”って脅されたって。誰かは名乗らなかったらしいけど」
セオドアは静かに眉を寄せた。
「最初はクレームで済んでいましたが、最近は嫌がらせが日を追うごとに露骨になってきましたね」
全員の目が自然と、マックスへ向けられた。
彼は短く息をつき、手元の資料をパラパラとめくる。
「予測通りです。“知識を共有する”という思想は、冒険者ギルドの古い気風とは対立します。
今まで命を懸けて得ていた情報。今やアトラス商会が販売した冒険の書で新人冒険者はお金を払えば手に入れられる様になったのですから。
実践主義者にとっては侮辱されている気分にもなるでしょう」
マックスは一枚の紙を抜き取り、机の中央に置いた。
「これは昨日、ギルドに寄せられた匿名文をドラン様が届けてくれました。
『素人が書いた本のせいで命を落とす奴が出たら誰が責任を取るんだ』
――実際にはまだ一件もそういった事故は起きていませんが、感情的には強い影響を及ぼす内容です。
セオドア代表達が冒険の書の制作活動に入ってから過激化している様子ですし......」
「……つまり、これからも続くってことですか」
セオドアの声が低くなる。
マックスは迷いなく頷いた。
「ええ。敵意は正義を装って拡散されます。そして、こちらが反応を誤れば、正当性を失います。
扱いを一歩間違えれば、“冒険の書”そのものがギルド内で忌避対象になる可能性もあります」
その場に重たい沈黙が落ちた。
「セオドア代表......ここは事態が収まるまで中級者編の発行は見送った方がよろしいかと思います。時期を見極めるのもまた商いです」
セオドアが、静かに手を握りしめた。
「……それじゃあダメなんです.......」
視線を上げる。その瞳に迷いはなかった。
「冒険の書は後世に残さなきゃならないんです......必ず......」
フィオナがセオドアを諭す様に小さな声で名前を呼ぶ。
「……セオドア」
「全員の命を救うなんて奢りはありません。
けど、知識がある事で避けられたかもしれない死を見過ごす事はしたくない.......
いえ、そんな事で諦めてはいられない.......僕は立ち止まれないんです.......」
セリカとマックスはセオドアの言葉に違和感を感じた様にあたりを見渡す。フィオナ、ドラン、ノエルは黙って下を向いており、二人はわずかに顔を見合わせた。
セリカが口を開く。
「……ずっと気になってたんです。セオドア氏をはじめ、フィオナ氏も、ノエル氏もドラン氏も……冒険の書に賭ける思いが、どこか尋常じゃないように思えるんですが......」
マックスのそれに同調する。
「今セリカ編集が申した内容を私も感じております。確かに冒険の書は巨万の富を生み出す可能性のある代物です。
ですが.......皆様......特にセオドア代表に至っては焦りのようなものを感じていますが、何か理由でも?」
その言葉にセオドア、フィオナ、ドラン、ノエルは下を向く。困ったようにマックスとセリカが顔を合わせた。
「どうやら私とセリカ編集が知らない事情がおありの様ですね......」
マックスはセオドアを見る。
「もしよろしければ、お聞かせいただく事は可能でしょうか?セオドア代表」
「そ、それは!冒険の書はみんなの命を守る事ができるものだから........!」
フィオナが口を挟む様に立ち上がるもセリカが口を開いた。
「いやいやいや.......これでも私はみなさんを仲間だと思っていましたので........隠し事をされている様で........なんか........悲しいです........」
「セリカ.......私たち、隠し事なんて......」
フィオナが弁明しようとしたところでセオドアが勢いよく立ち上がった。
全員の視線がセオドアに集まる。
「セリカさんの言う通り.......僕には隠し事があります.......」
思い詰めた様子のセオドアは言葉を絞り出す。
「セオドア.......」
フィオナが心配する様に声をかける。
「フィオナさん、ありがとうございます......そろそろ二人にもお話ししようと思います」
セオドアの言葉にフィオナはゆっくりと腰を下ろした。
セオドアは深呼吸をするとセリカ、マックスを見る。
セオドアは視線を落とし、拳を握りしめた。
「……僕は」
一拍の沈黙。誰も動かなかった。
「――タイムループしているんです」
沈黙が、空気を締め付けた。
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