第二話 採取の要【2/3】
泥から引き上げた女性は深緑の癖っ毛が泥に濡れ、胸元でぐしゃぐしゃになったノートをぎゅっと握っていた。
「いやいやいや.......助けて頂いて、感謝感謝です........」
癖っ毛の深緑の黒髪が泥に濡れ、表情の隙間から理知的な眼差しがのぞく。
彼女は泥を払ってから、礼儀正しく一礼した。
「改めまして、私はセリカと申します」
その名に、セオドアたちは顔を見合わせた。
「僕達は『ブックメーカー』というパーティーで活動している冒険者です。僕はセオドア」
「ノエルだよ〜」
「.....ドランだ」
「フィオナよ。あなたがセリカね。探してたのよ?」
「え、私を?なんででしょうか?」
セリカはボサボサの髪を掻く。
「ギルドから採取の依頼にでてから帰って来てないって聞いてね」
「あーこれはこれは失敬。もしかして私.....捜索依頼でも出されましたか?」
「まぁギルドからの依頼はそこのスワンプファングだけど、ミアさんからは個人的にあなたを探す様にお願いされたわ」
「ミア氏が。なるほどなるほど。いやいやいや.....お手数をおかけして、かたじけないですな」
セリカは苦笑する。
「……ところでセリカさん。なんでスワンプファングに追われてたんですか?」
ノエルが不思議そうに尋ねると、セリカは「あっ」と思い出したように指を鳴らした。
「スワンプファングの巣の奥に《霜壌泥炭》のかたまりを見つけてしまって……もう、採取したい欲求に負けちゃいまして、ついつい.......」
「霜壌泥炭?なぁにそれ?」
ノエルがセリカに質問する。
「霜壌泥炭とは湿地の極限環境で数十年かけて自然に発酵・乾燥された泥炭の一種で、保存性・浄化作用が高くて、燃料だけ出なく、傷の止血や毒抜きに使えるんですけど……これがめったに採れないやつなんです!いやいや少量なら私も持っていたのですが、あれほど多くの霜壌泥炭、それに質もいいと来ましてね!」
スイッチが入ったように、セリカの目がきらきらと輝きだす。ノエルは思わぬ長話に笑顔のまま固まっている。
「しかも!あの沼地であの密度の苔群生と一緒に存在してたってことは、気候・地質的に偶然が重なって……! これはもう奇跡というしかなくて!」
セリカは立ち上がり、泥まみれのまま手振り付きで熱弁を続ける。
ノエルは自分が聞いたばかりに延々と話し始めたセリカの話を聞きながらショートした様に涎を垂らし始めた。
なんだか野菜に語りかけているロバートさんを思い出すな。
セオドアは懐かしい気持ちに笑みを浮かべた。
そろそろノエルの魂が抜けそうだと踏んだセオドアは助け舟を出す。
「そういえば、セリカさんは沼地でも足を取られずに走っていましたけど、何かコツがあるんですか?」
「あぁ、いやいやいや。私は体力は流石につきましたが、運動はまったくなのです。つまりは走り方の問題ではなくて、それは装備のお陰です、はい」
「自作......ですか?」
「ご興味が!?これは自作です!主に雪原地域で用いられるかんじきを沼地用に穴を開けて泥の接着面を減らした上に面積をより広くしたんです!これなら多少の歩きにくさは残りますが、沼地でも足を取られずに行動することができるのです!はい!これを作ってからは沼地でのフィールドワークが捗りに捗っているので重宝しているんです!」
情報量に圧倒されたセオドアであったが、セリカの装備に納得する。
確かにこれなら沼地でも体力を消耗せず行動する事ができる......
「ねぇ!この人まだ喋ってるの!?誰か教えて!」
耳を両手で完全に塞いでいるノエルは自分の声が聞こえないのか大声でセオドア達に話しかける。
セオドアはというと、真剣なまなざしでその話を最後まで聞きながら、心の中で確信していた。
(……やっぱり、この人が必要だ)
討伐しか知らなかった自分たちにとって、採取の知識、素材への情熱、色んな場所へのフィールドワークを通して得て来ているサバイバル知識ー、
セリカさんの持つ情報は、まさに“冒険の書”に欠かせない。
「……セリカさん」
「はいはい、なんでしょうか? セオドア氏?」
泥を払いながら立ち上がったセリカが、首をかしげてこちらを向く。
「僕たち、今回ギルドの依頼やミアさんから頼まれただけではなく、個人的にもセリカさんを探していたんです」
真っ直ぐなセオドアの声に、セリカは泥を払う手を止め、興味深そうに目を細めた。
「おやおや、私なんかを?なんでまた?」
「……セリカさん。お願いがあります」
セオドアは泥の中で姿勢を正し、静かに、しかし力強く言葉を紡いだ。
「僕たちは今、冒険の書という、冒険者の手助けになるような本を作っています。
モンスターの生態、討伐の手段、危険の兆候……冒険者が無知を理由に命を落とさないために」
セリカの眉がぴくりと上がる。だが、その瞳に宿る光は、どこか遠くを見るような虚無ではなく、明確な興味の兆しだった。
「なるほどなるほど……それは大変そうですね。それで、私と何の関係が?」
「冒険の書に、採取に関する知識を加えたいと考えているんです。
ウィンドミルの冒険者ギルドで素材に関する知識を一番持っているのはあなたでした、セリカさん」
フィオナが一歩前へ出る。
「あなたの知識は貴重よ。黒曜苔も、霜壌泥炭も……私たちは名前すら知らなかった。
そんな知識があれば、多くの命を救えるかもしれないわ」
言葉の一つひとつに真摯な響きがこもる。だが、セリカは腕を組んだまま少し考える様に黙りこくる。
「……でも、申し訳ないですけど、私にはそういうの、興味ないんです。金儲けにも、名誉にも」
言い切ったその口調に、迷いはなかった。
「え……?」
フィオナが絶句する。セリカはどこか気まずそうに笑い、肩をすくめた。
「私はですね……好きな素材をたくさん見つけて、記録して、自分の図鑑に載せるだけで満足なんです。
他人に教えたり、売ったり、そういうのはどうにも……」
その声には、誰にも譲れない自分だけの世界を守ろうとする、静かな信念があった。
「金儲けのためじゃないの。これは、命を守るための書よ」
フィオナが食い下がる。
「それは立派なことだと思います。
でも、私は……私のために記録しているんです。
だから、関わるべきじゃない気がして」
「あなたより適任がいるとは思えないわ!」
「いやいやいや!私なんか、他者と足並み揃えるの苦手ですし!
それに見ての通り、私はアイアンですよ?あなたたちシルバーじゃないですか、場違いもいいとこですって」
「討伐依頼に引っ張って連れて行くわけじゃないわよ!」
「いやいやいや、それでもー!」
言い合いはヒートアップするが、セリカの態度は頑として変わらなかった。
セオドアは黙ってそのやりとりを見つめていた。どちらの気持ちも理解できるからこそ、強く言うことができなかった。
「……フィオナさん。セリカさんもそう言ってますし、無理にお願いすることではないですよ」
「けど……冒険の書が後世に残るようなものになれば、セオドアが……!」
「だからといって、嫌がる人を無理に誘うわけにも行きません」
フィオナは言い返しかけて、言葉を飲み込んだ。
「……そうね。ごめん」
「セリカさんも、無理を言ってすみませんでした。モンスターに襲われて、きっと疲れているでしょうし……。よければ、一緒に昼食でもどうですか?」
「え?いいんですか?私はあなた方の申し出を断ったのに?食べたら協力を強いたりしませんか?」
「そんな事はしませんよ」
セリカはくすりと笑った。長く張っていた心の弦が、少し緩んだように見えた。
「……それなら。喜んで、ご一緒します」
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