第八話 冒険の書【2/3】
夕刻が近づくころ、試作品のための情報収集と精査はひとまず一区切りを迎えていた。
書き出された草案には、初歩的なモンスターの分類、基本的な行動パターン、討伐の注意点といった内容が並んでいる。
仲間たちはそれぞれの持ち場で細かい推敲に入っていた。
セオドアは何かが足りない様な気持ちでモンスターの情報に目を通す。セオドアはふとある人物について思い出すと資料を閉じ、立ち上がった。
「少し、出かけてきます」
その声に、フィオナが手を止めて顔を上げた。
「どこか行くの?」
「ギルドに、ちょっと用事があって……。すぐ戻ります」
「気をつけてね〜」
ノエルが手を振り、ドランは無言で頷いた。
ウィンドミル支部の夕暮れ時は、昼間の喧騒と夜の静けさが交錯する、どこか柔らかい時間だった。
セオドアはギルドの大扉を押し開けると、受付のカウンターを目指して歩き出す。
そこにいたのは、変わらず凛とした姿勢の受付嬢――ミアだった。髪をきっちりとまとめ、帳簿にペンを走らせるその姿は、いつも通り淡々としている。
「こんにちは、ミアさん」
セオドアが声をかけると、ミアは顔を上げ、わずかに目を見開いた。
「セオドアさん!今日はお一人なんですね、ご用件は?」
「少し、お時間いただけますか?ミアさんにお話したいことがあります」
その言い方に、ただの雑談でないと察したのか、ミアは筆を止め、表情をわずかに引き締めた。
「……わかりました。奥の応接席を使いましょう」
カウンターを回り、セオドアを静かに誘導するミア。二人はギルド内の一角にある小さな談話スペースへ移動した。
周囲には他の冒険者の姿もちらほら見えるが、夕方のこの時間帯は比較的静かだ。
「セオドアさん.....
初めてギルドに来た時は殺伐とした雰囲気を纏わせていましたが、フィオナさん達のパーティーに入ってからはすごく柔らかくなりましたね」
「はい、お陰様で」
「それに今日フィオナさんが来てギルド長にご相談があるとの事でしたが、お話というのはそれに関係しているのでしょうか?」
「はい。実は......」
セオドアはミアに冒険の書のかけたピースを求めて問いかける。
翌朝。空は晴れ渡っていたが、セオドアの胸の内は重く沈んでいた。
今日は――死の同期が起こるはずの、正午。
それまでに未来を変えなければ、すべてが終わる。また、あの長い繰り返しに戻ってしまう。
せっかく出会えた仲間たちとの日々も、心を許せるようになったこの一歩も、すべてが――
(……失われてしまう)
宿の談話室に集まった四人は、いつもと違って静かだった。
ノエルは珍しくおどけたことを言わず、口元をきゅっと結んでいた。
ドランは無言で装備を点検しながらも、どこか落ち着きのない様子を見せている。
フィオナも、朝食の準備を終えると、ひとりきりで窓の外を見つめていた。
そして、セオドアは皆の顔をひとりひとり見渡し、ゆっくりと立ち上がった。
「……フィオナさん。ドランさん。ノエルさん。
みなさんと過ごした一ヶ月は、何度も繰り返してきたループの中で、とても安らげて……楽しくて……かけがえのない時間でした。
もし……」
「はいはいストップ!」
フィオナが勢いよく口を挟む。驚いてセオドアが目を見開く。
「え?」
「セオドアのことだから、どうせ『もしダメでも〜』とか言い始めるでしょ? “もし” は無し!今日であなたのループを終わらせるのよ!」
彼女の言葉はいつになく力強く、まるで未来を断言するような響きを持っていた。
「……大丈夫だ……」
ドランがぽつりと呟くように言い添える。
「そうそう!絶〜対に!成功するからね!」
ノエルも、いつもの調子で元気よく言葉を重ねた。そこには、確かな信頼と優しさが宿っている。
「みなさん……ありがとうございます!」
セオドアの声は震えていたが、その瞳には強い光が宿っていた。
「いいっていいって!ほら、行くわよ!」
フィオナが背中を押すように言うと、セオドアは大きく深呼吸をして、扉へと向かった。
緊張に背筋を正しながら、扉を開ける。まぶしい光が差し込み、朝の澄んだ空気が肌に触れる。
時計はすでに午前九時を回っていた。猶予は、あとわずか。
セオドアたちは、未来を託すための書――冒険の書の試作品を手に、ギルドへと向かって歩き出した。
一歩、一歩。その足音は、まるでこの世界そのものに問いかけるような、静かな決意を刻んでいた。
ギルドの応接室に、静かな緊張が漂っていた。
厚い机を挟んで向かい合うのは、ギルド長グレッグ。その隣には、受付嬢ミアが立ち、真剣な表情で視線を注いでいる。
セオドアたち四人は緊張しながらも真っ直ぐ立ち、手元には完成した試作版の「冒険の書」が置かれていた。
グレッグは分厚い腕を組み、試作本を一瞥したあと、視線をセオドアへと向ける。
「……で、これはなんだ?」
重く低い声が部屋に響いた。
グレッグの声はまるで試されているかのような重みを持っていた。
返答ひとつでこの場の空気が変わる――そんな緊張感が、応接室の隅々にまで染み込んでいた。
「はい。僕たちが作った“冒険の書”の試作品です。モンスターの特徴や対策、初心者が知っておくべきことをまとめました」
セオドアの両手は膝の上で固く組まれていた。声には覚悟を込めたつもりだったが、無意識に肩に力が入っているのを自覚していた。
その背後には、フィオナ、ドラン、ノエル――それぞれの緊張した表情が並ぶ。
グレッグはひとつ頷くと、重厚な手でページをめくり始めた。紙が擦れる音が、静かな室内に微かに響く。
冒頭の一文――そこに記された「冒険者の心得」に、彼の手が止まる。
⸻
冒険者の心得
心得その一「せいぞんだいいち」
冒険者たるもの国の開拓の要であり、国の礎たる国民である事を心得、自らの命、他者の命を第一とすべし。
心得その二「そなえよつねに」
冒険者たるもの常にあらゆる事態を想定し、心身の鍛錬、装備の整備を怠るべからず。
心得その三「せきにんとせいいをしめすべし」
冒険者たるもの依頼に対し責任と誠意を持って取り組むべし。
⸻
数秒の沈黙が流れた。
「……ミア。これは君か?」
グレッグが眉を上げると、ミアは小さく微笑み、頷いた。
「はい。昨日、セオドアさんに聞かれたんです。“冒険者に必要なものは何か”って。
そのときに、私が冒険者様達に常日頃思っていたことを、ありのままお伝えしました」
静かな声だったが、その言葉には強い想いがこもっていた。ミアはちらりとセオドアの方を見て、温かく笑んだ。
セオドアの胸に、こみ上げるものがあった。
(冒険の書に足りないと思っていたのは……この“心構え”だった)
自分が無理をして依頼を受け、死に続けた日々。何度もミアは心配そうに声をかけてくれた。
その優しさと厳しさは、誰よりも命を大切にする人の言葉だった。だからこそ、この言葉を未来に残したかった。
「……そうか。セオドアと言ったか?」
「はい」
「聞くところによると冒険者登録をしたその日に、ガストンを投げ飛ばしたそうだな」
グレッグの口元が、かすかに緩む。
「そ、それはですね……」
セオドアは苦笑いを浮かべて視線を逸らす。
「いや、責めてる訳じゃないさ。それを聞いて俺も腹を抱えて笑ったよ。大型新人がやってきたと思ってみりゃ、次は本を出したいとは…..」
その冗談めいた言葉に、場の空気がわずかに和らいだ。
グレッグは目を細めると、再び本の中身に目を通し始めた。
「ブロンズランクの初心者向けに、か。……なるほど、狙いは悪くない」
彼はページをめくりながら、ぽつりと呟いた。
「昔はな、俺たちだって、こういう知識を教え合ったもんだ。
今の世の中じゃ、“自分の得た情報は自分だけの武器”だと、そう思い込んでいる奴が多すぎる。実際何度かギルド側で話が上がったがその度に冒険者達からの猛反発があって頓挫している。
冒険者側からの声ならあるいは.....」
パタン、と本が閉じられる。
「で、これはお前たちの自己満足か? それとも金儲けの為か?」
グレッグは鋭い目つきでセオドア達を見た。
「いえ、命を救う為です」
セオドアは即答した。
「と言う事は自己満足か?感心しないな」
グレッグはセオドアの発言に落胆した様にため息をつく。
「え?何でよ!この情報があれば新人冒険者だって安心して冒険に出られるでしょう?!」
フィオナが声を荒げて割って入る。
「あぁ、それはわかってる。では問おう。これをどうやって広めるつもりだ?」
「そりゃギルドに置いてもらって誰でも見られる様にすれば…..」
セオドアの言葉に、グレッグは首を振った。
「ではただの綺麗事だ。それじゃあ慈善事業。お前達は対価儲けずにこの精度の情報を発信し続けられるのか?」
「そうしなければ守れる命も守れなくなる!それに無料でなければ、買い控える人が出てくる....それだと情報発信としての機能が落ちてしまう!」
セオドアの声は熱を帯びていた。
「落ち着け。
何も命を守れる事がダメだとは言っていない。問題は対価がない事だ。
本なんて読まねぇ様な奴らだ。値段がつくことによって更に読まなくなるだろうがそれを読ませる程の情報があると知らしめるのもお前らの仕事だ」
グレッグの語気は強くなかった。ただ、現実を見据えるように冷静だった。
「これを幅広く進めていくには大量に生産しなくてはならない。
それにはどうしても金がいる。
お前らの誰かにそれを支える資金力がある様には到底思えん。この中でボンボン出のやつはいるのか?だったら問題はない!どうだ?」
全員が一様に無言になる。
「いないだろう?タダで置くのはギルドとしては嬉しい限りだが、人生の先輩としては大いに反対だ。
しっかりとした対価を求めろ。お前らは今は同じ熱量で取り組んでいるかもしれんが、いずれ金に困って揉めるのが関の山だ」
その発言を聞いてドランとノエルがフィオナの方を気にするように横目で見る。
「なんでこっち見んのよ!流石にわきまえるわよ!」
フィオナがむっとしたように横目で睨んだ。フィオナが軽く拳を握ると、ノエルとドランは小さく目をそらした。
セオドアは唇を噛みしめ、だがすぐに顔を上げた。
「内容を精査した上でギルドからの資金提供で制作する事は難しいでしょうか?」
「ダメだな....さっきも言ったろ。してやりたいのは山々だが、ギルド側で情報を流すとなっちゃあ反発が出る。
冒険者側であるお前達の製造、販売って口実が欲しいんだ。もちろん製造、販売をしてさえくれればギルド内で卸して販売するのは願ってもない話だ」
「......」
「こちらからの条件はギルドは一切資金提供はしない。お前らの製造・販売で冒険の書を普及させる.....これが条件だ。だから対価を求めろ」
「わかりました。僕が出版社を立ち上げます.....冒険の書ができた暁にはギルドでの販売をお願いします」
その言葉を口にするのは初めてだったが、不思議と躊躇はなかった。未来を変えるため、セオドアはもう迷わなかった。
その言葉に、他の三人も次々に口を開いた。
「私からもお願いします!」
フィオナの声は凛としていた。
「ちゃんとやります」
ノエルも笑顔を見せるが、瞳は真剣だった。
「……責任は取る」
ドランの低い声が、その場に確かな信頼を残す。
グレッグはしばらく黙って彼らを見つめていたが、やがて息をひとつついて椅子にもたれた。
「……いいだろう。ギルドとしても、“生きて帰ってくる冒険者”が増えるのは歓迎だ。冒険の書.....楽しみにしている」
「ありがとうございます!」
セオドアは深く頭を下げた。その胸に、じんわりと熱い何かが湧き上がってくる。これで――これで、少しは未来を変えられるかもしれない。
「金の話ばかりで悪かったな」
グレッグは一息ついてから、静かに言った。
「だがな、若い連中が夢を追う姿を見るたびに思うんだ――その夢が長く続いてほしいってな。綺麗事じゃ命は守れない......」
照れ隠しのように顎髭を撫でながら、グレッグは真っ直ぐに彼らを見た。
「だからこそ、俺は現実ってやつを柄にもなく語っちまった。
本心じゃお前らには手放しで協力してやりたいが、ギルドが制作に関わると冒険者達の報告書からの情報をお前らに流用したと思われてしまうからな。
どうかわかってくれ」
ミアは静かに頷き、セオドアに優しく目を向ける。
「あなたの作る冒険の書で無茶をする子が一人でも減ってくれたら――それだけで、私は嬉しいです」
セオドアはそう言ったミアに微笑む返す。
時計の針は、正午まであとわずかを示していた。
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