第七話 編む【1/2】
朝のギルドは活気に満ちていた。依頼を求める冒険者たちの声、報告書を読み上げる受付の声、装備を調整する音――全てが、日常の始まりを告げていた。
その喧騒の中で、セオドアはクエストボードを眺めながら、迷っていた。単独行動に慣れすぎたせいか、誰かをギルドで待つという行為がどうにも落ち着かず、目線も定まらない。
(こういうの、慣れないな……)
ひとつ深呼吸をしてみるが、胸のそわそわとした感覚は拭えなかった。
「おーい!セオドア!おはようー!」
朗らかな声がその緊張を打ち破る。振り返れば、フィオナが手を振りながらこちらへ向かってきていた。風を纏うような軽やかな動きで近づいてくると、セオドアの前で足を止め、小さく笑みを浮かべた。
「待たせたわね、セオドア」
「あ、いえ。お気になさらないで下さい」
「そぉ?じゃあセオドアに私のパーティーメンバーを紹介するわね!」
フィオナは迷いなくセオドアの手を取ると、ギルドの隅にあるテーブルへと彼を引いていった。
そのテーブルには、すでに二人の若い冒険者が腰を下ろしていた。
一人は大盾を背負った重装の戦士。直立した姿勢から、規律と鍛錬の深さがうかがえる。もう一人は、ふわりとした空気を纏う、柔らかい笑みの魔法使い風の少女だった。
「二人ともお待たせー!私が話した変わり者の大型新人よ!ほら、名前と歳と得意な武器とか立ち回りとか教えてくれる?」
「変わり者って……」
セオドアが思わず苦笑し、視線を逸らすと、少女の方がくすっと小さく笑った。セオドアは咳払いをひとつし、少しぎこちない声で自己紹介を始める。
「セオドアです…..歳は15歳です。武器は斧を使って戦います。どうぞよろしくお願いします…..」
重装の戦士が目を細め、少し驚いた様子で呟いた。
「十五歳が……ガストンを……?」
昨日の騒動を知っていたのだろう。重装の戦士は短く言葉を発しただけだったが、その背後にセオドアへの興味が見て取れた。
「あ、まぁ成り行きでそうはなってしまいましたが……」
セオドアが説明しようとした瞬間、フィオナがパンパンと手を叩いて割って入る。
「はいはい!聞きたいことは山ほどあるでしょうけど、その前にまず自己紹介を!」
「……すまない」
「それもそうだね〜」
二人はフィオナの言葉に従って立ち上がる。
「は〜い。私はノエル。歳は十八だよ〜。精霊魔法使いだから精霊さんと仲良しだよ〜。変わり者同士セオドアくんも仲良くしてね〜」
その緩すぎる自己紹介に、セオドアの緊張が一気に緩んだ。むしろ力が抜けるような感覚すらあった。
「ノエルさんですね。よろしくお願いします……変わり者……なんですね……」
半分困ったような笑顔で答える。
「ドラン……盾役だ。よろしく頼む……」
低く、短い。だがその言葉の中には確かな信頼と責任感が滲んでいた。
「ドランさんですね。よろしくお願いします」
セオドアはきちんと頭を下げて応じた。
フィオナはそんな三人のやりとりに満足そうに頷き、自分の番とばかりにセオドアの前へ立つ。
「じゃあ次は私の番ね!改めまして、アーチャーのフィオナよ!歳は十九!ちなみにドランは歳言ってなかったけど三十歳だったわよね?」
「二十一歳だ……そんなに老けてるか……?」
ぼそりと返すドラン。向かいに座るノエルが無言でにっこり微笑んだ。
(あ、ノエルさんも三十くらいだと思ってたやつだ……)
セオドアは密かに内心で同情する。
「そういえば、セオドアの斧……すごく使い込まれてるわね」
フィオナがセオドアの斧に目を留めて尋ねる。
「はい。木こりをやっていた時の物で、武器になるのはこの斧ぐらいでしたから……」
「仕事道具だった斧を使って戦うのって、なんだか猟奇的ぃ〜」
「りょ、猟奇的……?」
戸惑うセオドアの横で、フィオナが苦笑する。
「あー......ノエルの感性は独特だから気にしないで」
自己紹介が一通り終わり、テーブルの上に緩やかな静けさが訪れる。セオドアはふと、気になっていたことを口にした。
「……あの、フィオナさん。一つ、伺ってもいいですか?」
「ん?なぁに?」
「フィオナさん達は、どうしてこの三人でパーティーを組むことになったんですか?」
その質問に、フィオナは目をぱちりと瞬かせたあと、笑って肩をすくめた。
「気になるわよね。じゃあ、話すわ」
そう前置きすると、彼女はノエルとドランをちらりと見やった。
「まず、ドラン。彼は無口すぎて誰にもパーティーに誘ってもらえてなかったのよ」
「……」
当のドランは何も言わず黙っている。
「腕は確かなんだけどね、口数が少なすぎて敬遠されてたの。でも、昔一度だけ依頼中に組んだことがあって、そのとき信頼できるって思ったの」
「なるほど……」
「で、ノエル。彼女は……まあ見ての通り、ちょっと変わってるでしょ?」
「ちょっと〜変わってるって何〜。褒めてくれてもいいのに〜」
ノエルは笑いながらむすっとしてみせたが、明らかに冗談の調子だった。
「精霊魔法の腕は抜群なんだけど、感性が独特すぎてね。他のパーティーではちょっと浮いちゃってたの。でも、私はノエル好きだからねー」
「えへへ〜ありがと〜フィオナ〜」
「そんなわけで、盾役と後方支援は揃ったけど、どうしても前線に立てるアタッカーが欲しくてね。だからセオドア、あなたに声をかけたのよ」
「……僕を、ですか?」
「うん。昨日ガストンを投げ飛ばした戦闘技術は私が思うにこの四人の中では誰よりも高い!」
フィオナは真剣な眼差しでセオドアの顔を見つめた。
「それにそれに!昨日見せてもらったセオドアの手帳!あれ、モンスターの行動パターンや弱点がびっしり書かれてたわよね。普通の新人があそこまで書けるわけがない。私には到底理解できない程の努力をあなたはしてきたはずなの!」
その言葉は、思いがけないほど真っ直ぐだった。
「そんな努力家のあなたと私は冒険したい!」
誰にも知られることのなかった無数の死、痛み、敗北。そして、そのたびに自分だけが覚えていたモンスターの癖や動きを、ただひたすらに抱えてきた。取りこぼさない様に必死でかき集めて。フィオナは何も知らない筈なのにそれを“努力”と呼んでもらえたことが、セオドアの胸に深く刺さる。
気づけば、セオドアの頬を一筋の涙がつたっていた。
驚いたようにノエルが「泣いてる〜?」と小さく呟いたが、セオドアはそれを否定しなかった。
「……ありがとうございます。本当に......僕なんかでいいんでしょうか......?」
その声は震えていたが、しっかりとフィオナに届いていた。
「うん。私はあなたがいい!」
差し伸べられた手に、セオドアは静かに、自分の手を重ねた。
ギルドの前、朝の陽光が広がる街道の端で、四人は簡単な支度を整えていた。風に揺れるフィオナのポニーテールがきらりと光る。
「それじゃあ、準備はいいわね?」
そう言って、フィオナは三人を見渡す。ドランは無言で頷き、ノエルはふんわりとした笑みを浮かべる。セオドアも、ほんの少しだけ笑って返した。
「今日は《荒地の盗掘者》の掃討依頼よ。現地まで小一時間、戦闘は複数体との交戦になるかもしれないけど、私たちなら大丈夫。初陣、気合い入れていきましょう!」
ピシッと指を鳴らすような調子で、フィオナが明るく言い切った。
「うぅ、いきなり荒地って日差し強いしぃ〜汗かくしぃ〜お肌荒れちゃうよ〜」
「日焼け止め.......」
ドランのぼそりと呟き、ノエルに差し出す。不貞腐れてたノエルはころっと表情を明るくさせながら足を進める。セオドアはそんな二人のやり取りに、エルダとベンジャミンのやり取りを見ていた時の様なそんな気持ちにさせられた。
(……この人たちとなら)
少しだけ、未来が怖くなくなる気がした。
「行くわよ、セオドア!」
フィオナの一声と共に、四人はウィンドミルの門を出発した。
陽の傾き始めた荒地に、乾いた風が吹いていた。岩陰や砂丘の間を縫うように進む冒険者たちの姿。その先、崩れかけた石の祠の前に、無数の足跡が残されていた。
「見つけたわ。……サンドスケイルの群れの跡ね」
フィオナが低く囁く。サンドスケイル――乾燥地帯に棲む二足歩行の爬虫人型モンスター。砂色の鱗に覆われ、群れで行動する彼らは、古代遺跡や墓を荒らす盗掘の常習犯として知られていた。
「数は八体以上……不意を突かれたら厄介だよ。ドランが前で止めている間にノエルと私が遠距離攻撃でサポートする。セオドアはドランを突破してきた敵をお願い」
ドランが冷静に配置を確認すると、ノエルが笑顔のまま軽く頷いた。
「精霊さん、お願いね~。風の囁き、敵を包んで――」
精霊魔法の詠唱が始まる。風の精霊が砂埃を舞い上げ、視界を撹乱する。そこへドランが盾を構え、正面から突入する。
フィオナの矢が風を切って飛び、一体のサンドスケイルの肩を射抜いた。群れが咄嗟にこちらを振り返る。その瞬間、ドランが突進して前衛を引きつけ、ノエルが風刃で後衛を削っていく。
(うまい......これがパーティーの戦い方.......)
――完璧な連携だった。三人の息は合っており、冒険者としての熟練度がうかがえる。だが、サンドスケイルの数は多く、いずれ突破される事が予想できた。
ドランが一体のサンドスケイルを立てて止めている横からサンドスケイルが爪を立てて襲いかかる。セオドアの持つ斧が太陽に反射しながら閃光の様に一直線に駆け出す。
一歩踏み込んだかと思えば、すでに一体が斬り伏せられていた。群れの一体が呻く間もなく、その隣にいたもう一体の頸部が切り裂かれる。
振り抜いた斧が砂塵を巻き、地面に血を滴らせる。
「……!」
ドランが小さく目を見開く。後衛からそれを見ていたノエルも、手を止めて口を開けたまま呆然としていた。
フィオナの目に映るのは、連続した動作に一切の無駄がない斧捌き。
サンドスケイルの尻尾を足で踏み、振り向いた個体に斧を突き刺す。反転、滑るような体重移動で、もう一体を叩き伏せる。
静かな殺意が、斧の軌道に宿っていた。
(……強すぎる……)
そうフィオナが呟く前に、残っていた数体のサンドスケイルがセオドアを取り囲んだ。
だが――それすら、セオドアにとっては好都合だった。
「ごめんよ......」
低く、誰にも届かぬ声でそう呟くと、地を蹴って跳ぶ。中央に着地すると、広く薙ぐように斧を回す。
骨が砕ける音。砂にまみれる血。断末魔。
そして、静寂――
気づけば、サンドスケイルは全滅していた。まだ空気に戦いの残滓が漂っているにも関わらず、その場には一体も立っていない。
「……終わった、みたいね」
フィオナが静かに弓を下ろし、ノエルがぱちぱちと拍手を送る。
「すご〜い!セオドアくんって斧の精霊に愛されてると思う!知らんけど!」
ドランは、ただ一言。
「やるな……」
「いえ、皆さんの連携があったから僕が自由に動けたので」
ノエルがはしゃぎながら駆け寄る中で、フィオナは一歩引いた位置に立ち、静かにセオドアの戦いぶりを見つめていた。驚きと賞賛、そして――ほんの少しの困惑が、その目に宿っていた。
やがて彼女は、弓を背に収めて歩み寄り、声をかける。
「……いやー強いねーセオドア!さすが私が思った通りよ!」
しかし、その言葉の奥にどれだけの想いが詰まっているのか、セオドアには不思議と伝わった。
もっと言いたいことがあったのかもしれない。昨日冒険者登録をしたばかりの僕がなぜ、あそこまで動けたのかを問い詰めることも、称えることもできたはずなのに、フィオナは何も聞かなかった。ただ、それだけだった。
その沈黙の中に、“配慮”があった。
視線を向けると、フィオナはいつも通りの微笑みを浮かべていた。けれど、その瞳の奥に――ほんの一瞬、“知りたい”という感情が揺らいだように見えた。
(……聞かないんだ)
セオドアは目を伏せ、息をひとつ吐いた。
(ありがとう)
声には出さなかったが、胸の奥でそう呟いた。
初めてだった。ループを繰り返す中で、自分の過去にも戦いにも踏み込まず、それでも傍にいてくれる人が現れたのは。
――その日以降、四人の冒険は続いた。
《荒地の盗掘者》の掃討に始まり、街道沿いの魔物退治、古井戸に潜むスライムの駆除、さらには小さな村の護衛依頼まで。戦いもあれば、笑いもあった。
ノエルは戦闘中でもふざけた詠唱をしてドランに静かに怒られる。ドランは不器用に助けようとして無言で荷物を運びすぎて腰を痛め、フィオナは報酬の割り振りで端数の金銭で真剣に揉め、セオドアは――ただ、その中心で、誰よりも真面目に、誰よりも笑っていた。
また別の日の朝はフィオナが寝坊し、集合時間に慌てて飛び出してきた。
「ごめんごめん!ね、寝坊しちゃった!えっと、今日はどこに行くんだっけ?」
「……森」
「まったく〜フィオナの信頼が地の底へ〜」
「ごめんって!そこまでのことじゃないでしょー!」
笑いながらじゃれ合う三人を見て、セオドアはふっと笑った。
ある時、食堂で笑い声を交えながら食事を終えた四人は、それぞれ宿へ向かって歩き始めていた。夜風が心地よく、星々が瞬いている。
セオドアは、ほんの少し後ろを歩いていた。賑やかに話す三人を見つめながら、胸の奥に何かが溶けていくのを感じていた。
(こんなふうに……他愛もないことで笑ったり、からかわれたり、心を許せる人たちと肩を並べて歩くのって……)
ベンジャミンと笑いながら歩いた時を思い出す。セオドアはぎゅっとペンダントを握りしめる。
いつから忘れていたのだろう。死を恐れて、怒りに駆られて、ただ生き延びるだけのために身体を動かしていたあの日々。孤独が鎧のように張りついて、誰とも心を通わせることもなく過ごしてきた。
けれど今はもう違う。
「ねぇセオドア、今日さ、ドランのくしゃみ聞いた?めっちゃ高かったよね!」
「精霊さんといい勝負してたよ〜」
「……もう.....お前らのまではしない......」
ノエルとフィオナのやりとりに、ドランがぽつりと応じる。そのやりとりに、セオドアは思わず小さく笑っていた。
(……笑ってる)
驚いたのは自分自身だった。誰かの何気ない言葉に、心が自然に反応したこと。笑いが、感情が、錆びついて動かなくなっていた歯車のような心が――確かに動き始めている。
(少しずつ……少しずつだけど、僕は今、人間に戻っていけてるのかもしれない)
胸がじんわりと温かくなった。
しかし、そう思った瞬間ーー、
笑みの裏側から、ふっと胸の奥に冷たい影が差した。
(……また、終わるのかもしれない)
いつかの朝と同じように。血に塗れた感触と共に、また鳥の羽ばたきが脳裏をよぎる。
この楽しい時間も、仲間の笑顔も、また白紙に戻ってしまうのではないか――
そんな予感が、足元から静かに這い上がってくる。この時間が大切だと感じれば感じるほど、それを失う恐怖が、日ごとに濃くなっていく。
(……終わらせたくない)
胸の奥に、初めてそんな願いが芽生えていた。この人たちと、もっと一緒にいたい。もっと話して、もっと笑って、もっと生きて――
でもそれが、許されないのなら。
せめて――この記憶だけは、永遠に忘れたくない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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