第五話 灰色の新人【2/2】
かつてのループでブロンズの雑用をこなしていた少年は、今や剣士のように迷いなく斧を構える。その振る舞いに、ギルドの者たちは静かに目を見張っていた。
セオドアがギルドホールを通り過ぎる様を見てウィンドミル支部のギルドホールにはざわめきが走る。
「……おい、見てみろ……」
「スチール!?セオドアってあの新人だろ?」
「冒険者登録から一ヶ月もしねぇってのに、もうスチールだってよ……」
「いや、間違いない。この間ファングベアを一人で仕留めたって、報告書にあった」
「一人でファングベアを!?」
ざわつく空気の中で、何人かの冒険者は壁際に立ち、貼り出された名前を二度三度と見直していた。
「……あのガストンに絡まれてたあの坊主が?」
「フィオナが気にかけてるって話だし、ただのガキじゃねぇのかもな」
「ったく、こっちは三年アイアンやってんのに……なんであんな奴が……」
不満混じりの声に混じって、誰ともなく呟く。冒険者登録まもない少年がスチールに昇格した噂は、ギルド支部内で密かに語られていた。
何度死にかけても、依頼をこなす。報酬もほとんど使わず、宿で仮眠を取っては、また依頼に出る。
あまりにも執念じみたその働きぶりに、ある者は恐れ、ある者は羨み、ある者は眉をひそめた。
――そして、その張本人はといえば。
昇格の喜びも、名誉も、彼には関係ない。ただ――そのランクに届けば、より強い依頼が受けられる。それだけが、彼にとっての“価値”だった。
(アイアンランクではあのモンスターに辿りつく依頼はなかったな……スチールの依頼の中にあのモンスターに繋がる依頼があればいいけど……)
セオドアはスチール昇格の称賛を余所にクエストボード足を向け、呆然と眺めているとある依頼書が目に入った。
町を南に下った先にある森を超えた更に奥へ進んだ奥地の調査依頼。
(ここはアイアンの依頼では行った事がないな。ここに行くには移動に時間がかかる……急いで行っても、今回のループのタイムリミットギリギリ……)
セオドアは依頼書を剥がし、ミアに届ける。
「セオドアさん、一度落ち着いて休暇を取った方がいいのでは……」
「いつもお気遣いありがとうございます……区切りがつけば、必ず……」
「その区切りと言うのは何かは教えては頂けないのでしょうか?」
ミアの質問にセオドアは俯いた。
「すいません......」
ミアはその返答に酷く落ち込んだ様にくらい表情を見せる。
「わかりました......どうか......お気をつけて」
ミアはセオドアの背にそっと手を伸ばしかけて、だが触れられずに手を引く。セオドアはそんなミアを背にしてギルドの扉を出ていく。
ウィンドミルを出て、2日。南に下って道中に出くわすモンスターを退けながらセオドアは森を抜けたその先。見覚えのある地形。あのとき見たままの空気。
セオドアは無意識に足を止めた。心臓が喉を打ち、手のひらが汗で濡れる。
(ここだ……間違いない……この地形、この木々の密度、そして空気の色――)
ビジョンで見たあの森。未来の男――ハルトが、黒く巨大な“あれ”と戦っていたあの場所であった。森を抜けたその先。見覚えのある地形。
「やっと......やっと、見つけた......」
セオドアは震えて不敵な笑みを浮かべる。
その時、森の空気が変わった。
風が止み、鳥のさえずりが消える。背筋を冷気が這う。セオドアは斧を構え、気配のする方へ目を凝らす。
――現れた。
黒き毛皮。鋼のような爪。獣でも人でもない、異形の影。そして、あのビジョンと同じ様な魂を削るような“視線”。
セオドアは、一瞬だけ“喜び”に似た感情を覚えた。戦慄すべき殺気を前にしてなお、身体が笑いそうになる。
(ようやく、こいつと戦える……!)
それは“恐れ”と“歓喜”が入り混じった、狂気にも似た感情だった。
「……やっと……見つけた……!お前を殺して僕はこのループから抜け出すんだ......!」
(ここで倒せば……終わる。全てが終わる……!)
セオドアは震える拳を握りしめ、己に言い聞かせた。これは“賭け”だ。最後の戦いになるかもしれない
――その覚悟があった。
斧を構え、地を蹴る。セオドアは戦いを挑んだ。数十回のループで得た知識と経験を総動員し、無駄のない攻撃を仕掛ける。
数々のモンスターを屠ってきたセオドアの斧の渾身の一振り。
――その一撃は、届かなかった。
いや、当たってはいる。しかし、モンスターの肉を裂く事もなく、石を叩いたかのような鈍い反発を感じただけであった。
セオドアは力の差を感じて目を見開く。
硬すぎる......!
「っ……ぐあぁっ!!」
獣の腕が振るわれた瞬間、セオドアの斧は弾かれ、次いで腹を爪が裂いた。セオドアは自身の腹からは腑が流れ出るのを目撃する。
「ぐっ......!あぁあああああああああ!!!!!」
セオドアは腹部を押さえながら飛び退くも、風のような踏み込みで追撃が来る。次の瞬間、視界が反転するほどの衝撃が背中を打つ。
(強い!強すぎる!!!くそ!くそ!!くそ!!!)
今まで戦ってきたモンスターたちと、根本的に異なる。動きの重さ、爪の速さ、何より、
――殺意の質が異常だった。
「ぐっ……まだ、だ……!まだ終われな……いっ!」
血を吐きながらも、セオドアは足を踏ん張った。だが、獣は待ってくれない。
次の一撃で膝を砕かれ、斧は手から離れた。と言うより身体から腕が離れていた。
激痛に意識が遠のく中、誰かの声が脳裏に浮かぶ。
『頼ることを覚えろ。全部独りで抱えていては、必ず潰れる』
グレッグの重い声。そしてもうひとつ、震えるような優しい声。
『……ここから先は、パーティーに参加することを強くお勧めします……』
ミアがセオドアを心配しての忠告。
(……僕は……それでも、ひとりで……)
セオドアは、歯を食いしばった。
(……終わらせなきゃいけなかったんだ……誰にも、頼れなかった……けれど……本当に、そうだったか?僕は間違っていたのか......?)
その一瞬の疑念すら、次の激痛でかき消されていった。
(くそがっ......!!!!)
「あ”ぁあああああああ!!!!!!」
セオドアは断末魔をあげ、その場の倒れ込む。モンスターはセオドア嘲り笑う様に舌なめずりをする。
(くそ......!くそ.......!くそ......!)
モンスターは大きな口を開けてセオドアの頭部を咥える。
「あぁ...あぁ...あぁあっ!!!」
セオドアの身体は持ち上げられ、徐々に牙が頭を貫通する。
(また......!また......終わらせられなかった......!)
砕けた頭蓋の向こうから、あの名が叫ばれる。
『ハルトォォォォッ!!!!』
セオドアの意識は、赤黒い奔流に呑まれ――再び、焼けるような朝陽を浴びるのだった。
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