第一話 毎日がお祭り【1/2】
死は、ある夜、静かに忍び寄った。
セオドアは突然、激しい目眩に襲われた。
視界が揺れ、身体が傾く。家具に肩をぶつけ、膝をつく。
――なんだ……?
口の中に広がる酸味。咄嗟に手で口を押さえたが、嘔吐が止まらない。
何度も吐き、胃の中身が空になる。だが、吐き気は終わらなかった。
力が抜けていく。身体が重い。声も出ない。
助けを呼ぼうとしたが、小屋には誰もいない。返ってくるのは自分のかすれ声だけだった。
月明かりが窓から差し込み、床に倒れ込んだセオドアの手を照らす。
赤黒く染まったそれを見て、思考が止まった。
――血だ。
嘔吐ではなかった。吐血だった。
息が浅くなる。身体が冷える。心臓の鼓動が遠のく。
やがて、すべてが“無”になった。
それが僕の初めての死だった。
ーー、ただ僕はまだ知らなかった。
この死が終わりではなく、始まりであったという事を。
◇
朝陽がセオドアの顔に差込み、鳥の囀りが聞こえる。
目を開けたセオドアは眠気で重い瞼をこじ開けながら自室の見渡す。
木造の古びた小屋の様子を眠気から頭が働かずにただぼうっと眺める。
「朝か......」
そう呟くと寝起きで鈍った身体を伸ばし奮い立たせる。
「さぁ今日は祭りだ。さっさと仕事を片付けよう」
セオドアは寝床から立つと水瓶から水を汲み取り、顔を洗い眠気を払いのけ小さなテーブルの卓上にリンゴと黒パンを並べる。
食糧袋にはもうパンがない。
(帰りにアグネスさん家のパンを買わなきゃな。祭りの日もいつもの黒パン売ってるかな......)
そんなことを考えながら朝食を済ませる。
早々に席を立つとセオドアは仕事道具である斧を用具入れから取り出すと肩に担いで家を出た。
家を出て村の中を歩いて行くとアグネスさんは朝早くから近所の婦人のメアリーとうわさ話をしている。
「聞いた?昨日ね、祭りの準備を主人がしていたらロバートさんの奥さんが......」
俺は隣を通りながら笑顔で挨拶する。その隣を猛スピードで少女が駆けて行く。
「セオドアおはよう!今日は祭りだよー!!」
村のお転婆娘のリリーが今日の祭りが楽しみで仕方がないと言った様子で元気に駆けていく。
「そうだな!祭りの前に転んで怪我するんじゃないぞ!」
「はーい!」
そう忠告したところでリリーは盛大にその場ですっ転んだ。
言わんこっちゃないと顔を引きつらせるとリリーはすぐに起き上がると何でもないと笑ってセオドアに手を振る。
村の中心では村長のジョージが祭りの準備を張り切って取り仕切って村の大人達がいそいそと資材を運んでいる。
250年前に魔王を討伐した勇者を讃える祭り。
村ではもちろんのこと、王国中で解放の日として盛大に祭りを行なっている。
祭りは昼過ぎから始まるためセオドアも今日は木こりの仕事を午前中の内に切り上げるつもりだ。
資材を運んでいる大人達の中に幼馴染のベンジャミンの姿を見つけた。
「ベンジャミン!おはよう!」
「おぉ!セオドア!おはよう!今日は昼には仕事切り上げるんだろ?」
「あぁ。ベンジャミンは...」
石工達が苦労して運んでいるものに目をやる。大きな布を被せられた何かが荷台に置かれていた。
「祭りで新しく設置する石碑を今から運ぶんだ」
「祭りでエルダが魔除けの魔法かけてくれるっていう石碑か」
「そうそう。エルダが魔力を込めるのに準備があるからって設置を急かすからよ」
ベンジャミンと話しているとベンジャミンの父であり、石工の親方のルーカスが声をかける。
「ベンジャミン!そろそろ運ぶぞ!」
「はい!父さん!じゃあまた昼にな、セオドア!」
「あぁ、祭りで!」
ベンジャミンがルーカスの元へと駆けていくのを見送るとセオドアも肩の斧を担ぎ直して、仕事場である森へと向かっていく。
村を出ると畑の作物に話しかける農夫のロバートがいた。
「今日もいい艶だねー。お、君はもう少し大きくならなければならないぞー」
「ロバートさん!おはようございます!」
「おや、セオドア。祭りの日も仕事かい?」
「はい。ロバートさんこそ!」
「いやいや、もうこれは私の趣味みたいなもんだよ!それに今日はこのトマトさんが、とてもいい艶をしているのだ。なんせ......」
ロバートは自慢の野菜達について語り始めると長い。
しかし、セオドアはたまに野菜を貰っているので、笑顔でロバートの話を聞く。
「それでこの子は......っとすまんすまん。
家内と違ってセオドアは私の話をいつも聞いてくれるからついつい長話をしてしまったな。
よかったら、今朝取れたトマトさんだ。仕事の合間にでも食べてやっておくれ。話を聞いてくれたお礼だよ」
「ありがとうございます、ロバートさん。有難く頂戴しますね!」
「あぁ、頑張ってな!」
セオドアはロバートに別れを告げるとほっこりした気分で森へと入っていく。
作業場にしている伐採場に着くと斧を構え、木の幹に向かって斧を振るっていく。
斧が木に当たる音が森に響く。汗を流しながら木を何本か倒していく。これがセオドアの仕事。
木を切った後は木を解体して木材を作っていく。この木材を売って生計を立てている。
他にも木こりはいるが、今日は祭りの力仕事に駆り出されている。
一息ついたところで太陽を見上げるとすっかり真上に昇っていた。
「よし。今日はこんなところだろう」
セオドアは汗を拭き、片付けを済ませると斧を肩に担ぎ、ロバートさんから貰ったトマトを丸かじりにしながら村への帰路につく。
村に帰るとすっかり村は祭りの準備を終えており、盛り上がりを見せ始めていた。
辺りを見渡すと既に何かしらの出店で買い込んだであろう菓子を抱えるベンジャミンの姿があった。
「セオドアー!こっちこっち!」
セオドアに気付いたベンジャミンは嬉しそうに手を振り駆け寄る。
「また随分買い込んだな、ベンジャミン」
「今日はアグネスおばちゃんの出店でいろんな味のビスケットが出てるんだ。試さなくっちゃな」
そう言ってベンジャミンは抱えている袋から色とりどりのビスケットをセオドアに見せた。
「いいのがあったら教えてくれよ」
「今のところはこの辺じゃ取れない、グリーンベリービスケットかなー......」
「なるほどね。それより祭りは今は何をやってるんだ?」
「今から俺らが運んだ石碑にエルダが魔除けの魔法をかけるんだ。だからみんなで村の外れに移動するとこだ」
「エルダさんの魔法かー......普段はあんまり見せてくれないし見ておきたいな」
「そうそう。このヒルクレストで普通に魔法を使えるのはエルダだけだもんなー。俺も魔法覚えられたらなー」
「エルダさんも魔法を覚えるのにはかなり勉強して結構お金もかかるって。
ヒルクレストでは文字を教えているだけでもまだいい方らしいけど」
「魔法が使えたら俺とセオドアで冒険者にでもなって、あちこち旅すれば楽しいだろうなー」
「冒険者かー......楽しいだろうけど、学のない僕らじゃすぐに仲良く死んじゃうよ」
「それもそうか!」
二人で談笑しながら村の外れに行くと街道にヒルクレストの住民達の人だかりができていた。
人だかりの中心には村長のジョージと村の魔法使いのエルダが石碑の前に立っていた。
セオドアとベンジャミンは人だかり縫って石碑が見える位置まで移動した。
「こっちだセオドア。始まるみたいだぞ」
セオドア達が位置について間も無く、ジョージが口を開いた。
「ヒルクレストの住民達よ!
今日で勇者が魔王を打ち果たしてちょうど250年目の解放祭だ!!
しかし、王都より魔王復活まで後50年と予言が出ている。不安の声もあるだろうが、我がアストニア王国には古よりの勇者を召喚する術がある!
50年後に再び勇者が召喚され恐らく......いや、必ずや魔王を討ち果たしてくれるだろう!!」
村長のジョージの話にヒルクレストの住民達の歓声が上がる。
「おーーー!!!!!」
「今日も祝い。また51年後も魔王を討ち果たした勇者の功績を祝おうじゃないか!」
「おーーー!!!」
「ではこれよりアストニア王国の......そして、ヒルクレストの繁栄を願って、
村随一の魔法使いーーエルダにこの村の結界を新たにかけてもらおう!」
ジョージの紹介にベンジャミンはセオドアに小声で話しかける。
「随一って......一人しかいないから、当たり前だよな......」
ベンジャミンはそう言うといたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「ではエルダ。よろしく頼むぞ」
村人エルダへと視線が集まる。エルダは赤いローブを旗めかせながら、緊張した面持ちで村人達の前に立つ。
「で、ではこれよりヒルクレストの繁栄と安寧を祈って、ささやかではありますがこの石碑に魔除けの魔法を付与させて頂きます!」
村人達は期待を込めた拍手をエルダに送る。
「......それでは、お静かに願います」
エルダの言葉にヒルクレストの住民達は静まりかえり、期待の眼差しを向ける。
「古の大地の力よ、この石に宿り、悪しき影立ち入らせるべからず。
清浄なる風を草原をかけ、森を廻り、大地に息吹を与え給え。
封じよ、全ての災いを。
守れよ、大地を......」
エルダの魔法詠唱に伴い、石碑が発光し始める。魔力が、魔法が石碑へと込められて行く。
「ガーディアン・ブレス!!」
エルダが魔法を叫ぶと、魔法の波動のような風が石碑より沸き流れる。
先ほどまで発光していた石碑は光を次第に失っていき、魔法をかける前と変わらない姿になった。
しばらく沈黙が流れ、ヒルクレストの住民達は固唾を飲んでエルダへと視線を向ける。
そんな沈黙の中、エルダが恥ずかしそうに口を開いた。
「もう終わったわよ......」
ヒルクレストの住民達の歓声が上がった。
「さすがはエルダさん!」
「すごかったぞー!」
「もっと魔法見せてー!」
「エルダのことだから失敗したかと思ったぞー!」
賞賛の声の中に混じるベンジャミンのふざけた野次にエルダは眉を釣り上げる。
「ちょっと失敗すると思ってたって聞こえたけど!誰!」
エルダの反応にヒルクレストの住民はどっと笑いで沸き立った。
その後はみんなで村の中心へと戻り、食事や酒、踊りなどで解放祭を祝うのであった。
セオドアもベンジャミンや住民達と祭りを大いに楽しんだ。
祭りの目玉でもある村の酒豪達の酒盛り大会が終わると村長のジョージの締めの言葉と共に祭りは終わりを迎えた。
祭りが終わったセオドアとベンジャミンは帰路に着いた。
「楽しかったなーベンジャミン」
「ああ、まさか、エルダが酒盛り大会で俺の父さんに勝つとは思わなかったぜ!」
「意外だった!明日からエルダさんは村唯一の魔法使いの肩書きじゃなくてただの酒豪に変わってそうだね」
「本当だよな!」
ベンジャミンはそう言って笑うと名残り押しそうな表情を浮かべる。
「あーまた来年まで毎日仕事かよー。これから毎日祭りでいいのになー」
ベンジャミンの現実逃避にセオドアは呆れたように笑みを浮かべる。
「楽しかったし、名残惜しのはわかるけど、毎日は逆に飽きるって......」
「俺は毎日でも飽きないけどなー。仕方ない。明日から頑張るかー」
ベンジャミンは祭りの余韻に浸りながらも明日からの仕事に頭を切り替えていく。
「そうだな。じゃあ、またなベンジャミン」
「おうーおやすみー!」
ベンジャミンと別れたセオドアは自宅に入り、今日の祭であった出来事を思い出しながら就寝の準備を始めた.......
ーーそんな時であった。
突然、セオドアは激しい目眩に襲われた。
「あれ?......目の前が急に......」
セオドアは目眩でふらついて家具にぶつかりながら床に膝をつく。
気が動転している間に口の中が酸っぱくなるような不快感が襲った。
咄嗟に手で口を押さえるもセオドアは激しく嘔吐した。
「何で......なんか......悪い物でも食べたか......?」
一度吐き切ったと思ったが、またすぐに吐き気を感じ多量の嘔吐をする。
それを幾度か繰り返した。眩暈と激しい嘔吐で体力の尽きかけたセオドアは自身の身体が何倍にも重く感じる。
その場から動く気力もなくなっていた。
「しんどい......しんどい......誰か......寒い......」
セオドアは誰かに助けを求めようとしたが、セオドアは一人暮らし。
気力もなく大きな声が出ず助けも呼べない。ただただ嘔吐を繰り返す。
月明かりが窓から差し込み、部屋が明るくなる。そんな時、セオドアは自身の手が赤黒く染まっていた事に気がついた......
ーー血だ。
(血......!?何だよ......!何で......!血なんか吐いてるんだ......!?)
何が起こっているのかわからない。身体を起こしているのもままならず、頭から床へと崩れ落ちる。
息も絶え絶えになり、身体が急激に冷えてくるのを感じた。
そんな時、朦朧としているセオドアの脳裏にはっきりとしたヴィジョンが過ぎる。
どこかの街道で見知らぬ男が見える。
男は見慣れない風貌で顔はよく見えない。
ただセオドアと同様に嘔吐を繰り返している様子が見て取れた。
そのすぐ側には赤く白い斑点模様が特徴的なキノコがかじられた状態で転がっている。
見知らぬ男......側にはキノコ......そして特徴的な石が見えた。
魔法陣が彫り込まれた石碑......あれは今日の祭でエルダが魔法をかけた石碑......?
いつしか男はセオドアと同様に赤黒く吐血を繰り返してだんだんと動きがなくなり、呼吸が途絶えた。
そんなヴィジョンが過ぎった後、セオドアも自分の呼吸が止まるのを......心臓が鼓動が止まるのを感じ......
ーーやがて無になった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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