第三話 巻き戻る信用【1/2】
「ぁああああああああ!!!!」
セオドアが飛び起きると同時に何かが目の前を羽ばたいて行った。
セオドアはその正体を目で追うと色鮮やかな鳥が飛んでいくのが見えた。
セオドアは息を切らしながら頭を抱える。何が起こったのかを考えようとするも、すでにセオドアはすべてを悟っていた。
嫌と言うほど味わったあの感覚……あのビジョンがよぎる感覚……焚き火の燃え殻。マントの肌触り。
綺麗な鳥。
森の外れに張った野営地、ウィンドミルに到着する日……一ヶ月前にーー
「……戻された……!?」
声がかすれる。けれど、喉の奥には言いようのない叫びが張り付いていた。
右腕を引き裂かれた痛み。胸を貫いた刃の感触。
見えない何かに身体を裂かれながら、あの“ビジョンの男”が倒れる姿がフラッシュのように焼きついている。
あの耐え難い痛みと最後の感触を思い出した途端にセオドアは嘔吐する。
「嘘だ……また……タイムループが始まったのか……?」
確かに勝ったはずだった。ゴブリンを倒して、生きて帰るはずだった。
未来のあの男がモンスターに殺されたことで、また死の同期が起こり、時間が巻き戻されたのだ。セオドアは頭を抱える。
「……嘘だ!嘘だ!嘘だっ!嘘だぁ!!!」
セオドアの目からは大粒の涙が流れ出る。
「やっと……あのループを抜け出して……大好きだったヒルクレストを出てまで……ウィンドミルに来たのに……!
一ヶ月もみんなに認められたくて頑張ったのに!またループが始まっただなんて!……全部っ!水の泡じゃないかっ!」
セオドアは涙を流しながら地面を殴りつける。
「くそっ……!くそ!くそ!!くそっ!!!!!」
セオドアの声が辺りに響き渡る。
「なんで……なんでだよ……」
地面を掻きながらセオドアは蹲り啜りなく。
涙と吐しゃ物にまみれたまま、セオドアは地面に膝をついていた。
右腕を裂かれた痛み。見えない牙や爪に貫かれた恐怖。その余韻が全身にこびりついている。
息を吸っても、まだ肺の奥が痛むような気がする。
(……また……)
タイムループ。一ヶ月前、ヒルクレストで味わった毒キノコでの死。
行動しなければ、理由を探さなければ、ただ毒キノコによる死が繰り返されるだけだった。
そして今度は毒キノコの死が、優しく思えてくるほどの地獄だった。
(このまま立ち止まってたら、またあの牙と爪に身体を引き裂かれる事になる……!)
引き裂かれる時の痛みを思い出しただけで、胃がきゅっと縮み、喉元に何かがこみ上げる。
吐き気が再び襲ってくる気さえした。未来の男、あの“ビジョンの男”が、モンスターに殺される限り、自分にもまた“死の同期”が訪れる。
「っ!……怖いよ……」
かすれた声が、静かな朝の空気に溶ける。小さく、泣きそうな声。
だが、その声は震えても、セオドアの足を止めることはできない事を悟っていた。
「もう嫌だ……あんな死に方は……やるしか……ないんだ……やるしかないんだっ!」
ただ逃げていては、何も変わらない。それは毒キノコのループで身をもって知ったことだ。
セオドアは、震える膝に力を込め、歯を食いしばって地面から立ち上がった。冷たい朝露がズボンの裾を濡らしていた。
「まずは、整理しよう。今の状況を……」
自分に言い聞かせるように呟くと、深く息を吐いた。頭の中に残るビジョンの断片を、一つ一つ引っ張り出していく。
今回のビジョンは、薄暗い森の中での戦闘。黒くて大きなモンスターと、あの男が剣を交えていた。
「あの男毒キノコの時は黒い服装だったけど、今回は鎧を纏って、剣を持ってあのモンスターと戦っていた……冒険者だったのか……?」
セオドアは思わず声に出す。小さな独り言が、自分の思考を現実に引き戻してくれる。
「それに…….」
ビジョンの中、モンスターに引き裂かれる瞬間。耳に残った、あの叫び。
『ハルトォォォォッ!!!!』
「あのビジョンの男がモンスターに引き裂かれた時に聞こえた“ハルト”という言葉……
あれはあの男を誰かが呼んだのだろうか?……という事は“ハルト”はあの男の名前か……?」
セオドアは無意識にペンダントを握る。
ビジョンの男が“ハルト”。自分と“死の同期”を繰り返している、未来に存在する男の名。
「今考えなければいけないのは、数十年後の人物である“ハルト”があのモンスターに殺されない様にしなければいけない。
あそこでハルトが死ななければ、僕に死の同期が起こる事はないんだ……」
モンスターに殺されなければ、自分は死なない。すべての原因を断つには、ハルトを“あの死”から救う必要がある。
「まずは場所だ。薄暗い森……目標になりそうな物や建物も見当たらなかった。
正直、今回は検討がつかない。ウィンドミル近郊かどうかもわからない……」
セオドアは眉をしかめる。森の描写に手がかりが乏しすぎる。あれほど鮮烈な死の感覚に比べ、背景情報はあまりにも曖昧だった。
「前回の死因はハルトが毒キノコを食べた事。今回の死因はあの黒くて大きなモンスターに引き裂かれた事……」
理屈は分かっている。しかし、どうしても割り切れなかった。
「ったく!なんで、よりにもよってあんなに強いモンスターと戦ったんだ!」
怒りが口をついて出る。怒鳴っても何も変わらないと分かっている。それでも、思わず叫ばずにはいられなかった。
拳を握りしめ、セオドアは小さくうなずく。
「モンスターの情報は今のところ僕は持っていない。冒険者ギルドで聞いてみるか……」
それが唯一、自分に残された手段だった。
「あとは……タイムリープの期間だ。
さっき目覚めたこの日から一ヶ月後の昼過ぎまで……祭りの時は一日だったのに今回は一ヶ月も猶予がある。その分、戻された時のショックがデカ過ぎるけど」
セオドアは空を見上げ、大きくため息をついた。空は変わらず青く、何も知らない顔で雲が流れていく。
「いや、本当にデカいな……結構頑張って色々と認めてもらってたのに。また初めからか……
今回は相談に乗ってくれるエルダさんやベンジャミンもいない。タイムリープについて相談できるような人もいない」
不安と孤独が胸を満たしていく。それでも、彼は少しずつ前を向こうとしていた。
「考えろ。この一ヶ月で僕が失った事ばっかりじゃない筈。何か……僕が手に入れた事はないか……?」
セオドアの頭の中で一ヶ月間。ブロンズ冒険者としてウィンドミルの街の掃除や荷運びの依頼をこなしてきた。
「ブロンズの依頼を通して、ウィンドミルの街の大体の地理は把握できた……ループする直前……ゴブリンを倒した……」
セオドアは顔を上げた。
「ゴブリンは倒せた……?一ヶ月前の僕はゴブリンに殺されかけていた。今の僕はゴブリンを退治した経験がある……!今は町の構造やギルドについても把握してる。安い店や宿屋の位置も知ってる」
自分に言い聞かせるように、セオドアは言葉を繋ぐ。それは慰めではなく、“次に進むための確認作業”だった。
「僕は少しは成長してるんだ……前よりもっと、うまく立ち回る事ができる筈だ」
胸に手を当てる。心臓はまだ怖がっている。でも、それでも進むしかない。
「よし、まずはあのモンスターについて調べよう。生息地を特定すれば、自ずとハルトがモンスターと戦った場所を特定できるかもしれない!」
セオドアの目に、かすかな決意の色が宿る。過酷なループの中で、それでも彼は立ち上がる。再び、未来を変える為に。
ギルドの建物が見えてきたとき、セオドアの足は自然と止まった。
昨日まで、ここはウィンドミルでの自分の“居場所”だった。
掲示板の前で悩み、ミアに相談しながら、少しずつ信用を得て、ようやく、冒険者としての一歩を踏み出せた場所。
けれど今、目の前の扉はまるで知らない建物のように感じられた。
それでも、行かなければならない。情報を集めなければ、またあの死が、迫ってくる。
セオドアは覚悟を決めて、扉を押し開いた。
ギルド内は以前と変わらず賑わっていた。冒険者たちの談笑、酒場のざわめき、依頼の呼び声――
セオドアは人混み間を縫って歩く。その中に見つけたのは、カウンターで事務作業に集中するミアの姿だった。
セオドアはゆっくりとカウンターへ向かった。心臓が強く脈打つ。だがミアは顔を上げた瞬間、丁寧な笑みを浮かべて言った。
「こんにちは。ご用件をお伺いしますね」
その瞬間――セオドアの中で、時間が止まった。
当たり前のような、丁寧な挨拶。何の感情も込められていない、業務的な声。それは、彼女が“初めてこの場を訪れた冒険者”にかける、いつもの対応だった。
セオドアは一瞬、言葉を失った。ミアの表情には、記憶のかけらもなかった。
頭では分かっていた。ループしたのだから、覚えているはずがない。それでも、胸の奥がずしんと沈んだ。
(あぁ、そうか……)
ギルドの人々も、町の誰も、自分と一緒に過ごした一ヶ月を知らない。“戻された”という現実が、現実味を帯びて鋭く心に突き刺さってくる。
セオドアは俯いた。喉の奥がひどく詰まり、言葉が出なかった。
「ご依頼のご相談でしょうか?それとも他の街からの冒険者様でしょうか?」
何気ない問いかけが、まるで胸に杭を打ち込むようだった。
声にならないまま、セオドアの頬を、ひとすじの涙がつうっと伝った。堪えたつもりだったのに、気づけば視界が滲んでいた。
拳を握っても、膝を震わせても、涙は止まってくれなかった。
(全部……なかったことになった……)
セオドアは一歩だけ下がる。
「大丈夫でしょうか?ご依頼などでしたら別室で話を伺いますが?」
セオドアはミアの気遣いにわずかに首を振ると、袖で目を拭った。
セオドアは袖で涙を拭った後、静かに顔を上げた。
このまま立ち尽くしているわけにはいかない。やるべきことは、決まっている。
「すみません……冒険者登録を……お願いできますか?」
ミアは少し驚いたように瞬きをしたが、すぐにいつもの柔らかな微笑みに戻った。
「かしこまりました。登録は初めてですね。ご案内いたします」
そうして彼女は、以前と同じように手際よく書類を準備し、淡々と説明を始めた。
「それでは、こちらの登録用紙に記入をお願いします。文字は書けますか?」
「……はい、大丈夫です」
懐かしくも虚しいやりとりだった。以前はこの瞬間が嬉しくて、心が弾んだのに。ミアは以前と変わらぬ気持ちで対応しているがセオドアにとっては機械的に見えてしまった。
(また……最初からか……)
ペンを握る手がわずかに震えたが、それでも記入を終えて用紙をミアに渡した。彼女はそれを受け取ると確認し、魔法でギルドカードへと印字を行う。セオドアに新しいギルドカードを手渡した。
「登録は以上になります。どうか、気をつけて行動してくださいね。……ようこそ、冒険者様」
その言葉にも少し目頭が熱くなる。
「ありがとうございます……」
胸に広がる虚しさを押し込んで、彼は掲示板へ向かう。
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