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 第二話 ブロンズ冒険者【2/2】

※本エピソードにはR15表現が含まれています。


 セオドアの初めての仕事は、ウィンドミルの象徴である風車の修繕手伝いだった。


 集合場所の整備工房には、無骨な道具と木材の匂いが満ちており、依頼主である整備士のダリオは無口だが腕の立つ職人だった。


「運ぶのが一番重いやつで悪いな、坊主」


「いえ!木こりで鍛えられてますから!」


 言葉少なに託された木材や工具を、セオドアは黙々と運び続けた。


 足場の板を押さえたり、釘を受け渡したり、汗をかきながらも真面目に作業をこなすその姿に、次第に整備士たちの目が変わっていく。


「おい新人、そっち手伝ってやれ」


「思ったより根性あるじゃねえか」


 半日が終わる頃には、誰もが自然とセオドアを“仲間”として受け入れていた。


 ――それが、セオドアの冒険者としての初日であった。


 その日から、セオドアはウィンドミルのギルドに通い、ブロンズ帯の依頼を次々と受けるようになった。


 町の路地掃除。荷馬車の誘導。市場の整理や露店の設営補助。風車部品の運搬。家屋の修繕手伝い。水路の点検作業――。


 どれも地味な仕事だったが、セオドアは決して手を抜かなかった。


「ちゃんと最後までやってくれるのは、お前くらいだよ」


「いやあ、ヒルクレストの坊やは根がまじめで助かるよ」


 依頼人や先輩冒険者たちの評価も、少しずつだが確実に積み重なっていく。


 ミアも受付越しに、そんなセオドアの様子を微笑ましく見守っていた。


「セオドアさん、最近はご指名も増えてきましたね。これが“信用の積み重ね”って事ですよ」


「ありがとうございます。まだまだですけど、ちゃんと一つずつ、やっていきます」


 そう言って笑うセオドアの瞳には、もう“田舎から来た少年”の不安はなかった。


(僕は、ここで――やっていける)


 ギルドに登録してから、もうすぐ一ヶ月が経つ。

 セオドアは、いつものように依頼掲示板の前に立っていた。


 風車の修繕、露店の荷下ろし、畑の土運び、空き家の清掃――この一ヶ月、セオドアは討伐依頼を一度も受けていなかった。


 理由は簡単だ。


 ウィンドミルを目指していた道中に森で遭遇したゴブリンの恐怖が、今でも身体に染みついている。


 あの腐臭、あの殺気、あの鋭い刃―


 思い出すだけで、汗がにじむ。


 だが今、セオドアの目は、一枚の依頼に留まっていた。


『近郊の森に出没するゴブリンの巣の調査と追い払い(ブロンズ推奨)』

 依頼主:風車下層農地組合

 内容:農地付近で目撃されるゴブリン数体の排除。詳細不明。討伐数は問わず、確認報告でも可。


(……ゴブリン)


 胸の奥がざわつく。だが――このまま避け続けていたら、前に進めない気がした。


「……行こう。今なら、できるかもしれない」


 そう呟いたセオドアの声は、少しだけ震えていた。けれど、それでも目は逸らさなかった。依頼用紙をそっと剥がし、受付へと足を向ける。


「ミアさん、これをお願いします」


 カウンターにそっと依頼書を差し出したセオドアに、ミアは微笑みながら手を伸ばした。


 しかし、書類に目を通した瞬間、その表情が一瞬だけ変わる。


「……討伐依頼、ですか?」


 読み上げることはなかったが、その語調に、驚きと慎重な気遣いが混ざっていた。


「はい。近郊のゴブリンの討伐依頼です。あの……少しは踏み出さなきゃと思って」


 言葉を選びながらも、セオドアはまっすぐに言った。


 この一ヶ月、彼が受けてきたのは非戦闘の仕事ばかり。ミアもそれを理解していたからこそ、その選択の重みをすぐに察したのだ。


 ミアは少しの間、手元の用紙を見つめたまま、何も言わなかった。だが次に顔を上げたとき、その瞳には穏やかな強さが宿っていた。


「セオドアさんなら、きっと大丈夫です。どの依頼にも手を抜かず、丁寧にこなしてこられましたから……だからこそ、私は信じています」


「……ありがとうございます」


 その一言が、何より心に沁みた。


「ただし、ひとつだけ約束してください。危険を感じたら、決して無理はしないこと。討伐数は問わない依頼です。報告だけでも立派な成果です」


「……はい。分かってます」


 ミアは控えめに微笑むと、棚の奥から一枚の地図を取り出して広げた。


「ここが対象エリアです。町の東にある風車農地の奥、小さな林が続いています。


夕方になると見通しが悪くなりますから、明るいうちに行って、無理はせず帰ってきてくださいね。


あと討伐された際には“右耳”の回収をお忘れなく」


「み、右耳!?」


 思わず声が裏返る。ミアは淡々と頷いた。


「はい。どうしても口頭の報告だけだと成果の信憑性に欠けてしまいます。


セオドアさんは嘘の報告などはしないとは思いますが、一応決まりになっていますのでお忘れのない様に回収してきてくださいね」


(なるほど……いくら倒したからと言っても現場には一人でいくから証人がいない分証拠が必要というわけか……)


「わかりました……ありがとうございます。……行ってきます」


 セオドアは深く頭を下げた。受付越しのミアは、まるで親族を送り出すような優しい眼差しで彼を見送っていた。


「気をつけて行ってきてくださいね」


 その言葉に背を押され、セオドアはギルドホールをあとにした。胸の奥が、少しだけ熱くなる。


 セオドアはギルドを出ると、一度だけ振り返った。ギルドの石造りの建物が、朝日に照らされて静かに佇んでいる。


 あの扉を越えた日から、もうすぐ一ヶ月。今まではブロンズ帯専用の町の掃除や修理、荷運びをやっていたが……今日は――違う。


 背中の斧を確認し、水筒と簡易食を鞄に入れ直す。セオドアは深呼吸をひとつして、東の農地へと歩き出した。


 ウィンドミルの町外れに広がる風車農地は、朝の陽を浴びてのどかに広がっていた。畑を耕す農夫たちがちらりと目を向けてきた。


「おはようございます」


 セオドアが挨拶をしたが、農夫は軽く会釈をするとすぐに作業に戻る。


 皆、干渉はしてこない。冒険者が来るのも慣れているのだろうか。ヒルクレストでは農夫のロバートさんと親しかったから少し寂しい気分になる。


 やがて畑の端を抜け、小さな丘を越えると、そこから先は鬱蒼とした林が広がっていた。


 セオドアは斧の柄を握り直し、森へと足を踏み入れる。鳥の声、風の音、草を踏む自分の足音。慎重に、静かに進んでいく。


(ゴブリンは確か群れで動くってギルドで聞いたな……)


 森の奥へ進むにつれ、空気が少しずつ変わっていくのがわかった。草の匂いに混じる、かすかに鼻をつく嫌な臭いーー


ーー泥と腐肉が混ざったような、不快な臭い。


 セオドアの眉がぴくりと動く。


(……あの時と同じ臭いだ)


 無意識に足を止め、呼吸を浅くする。茂みの向こう、細い木立の隙間に、何かが動いた。


 セオドアは息を殺し、身を低くして草陰から覗き込む。そこには、見覚えのあるシルエットがあった。


 緑がかった肌。鋭く尖った耳。よれた皮の腰巻きに、錆びた刃物。


――ゴブリンだ。


 ただの獣ではない、“人に害をなすモンスター”。しかも、二体。木の根元で何かを引きずり回しながら、唸るように唾を吐いている。


(いた……!)


 心臓が跳ねるように鳴った。手のひらが汗ばみ、斧を握る指に力がこもる。


 まだ気づかれてはいない。だが、動けば音で察知されるだろう。この距離なら、逃げることもできる。戦うか、戻るか――判断を迫られる状況だった。


 セオドアは深く息を吐いた。


「……確認、できた。まずはそれで、いい」


 依頼には“確認報告でも可”とあった。今の段階でも最低限の成果は果たしている。けれど、セオドアの足はその場から動かなかった。


 目の前の敵を見つめながら、彼の中に、なにか静かな決意が芽生えていた。


 草陰からじっと敵を見つめるセオドアの心臓は、ずっと早鐘のように鳴っていた。


(逃げられる……けど!)


 自分の手で“なにか”を変えるには、いつかこの一線を越えなければならない――その思いが、足を一歩前に踏み出させた。


 セオドアは、そっと茂みの中を回り込む。風向きと地形を見て、背後を狙える位置まで静かに移動した。


(一撃で仕留める……少なくとも、一体……!)


 斧を両手で握り直す。斧の重みが、今は頼れるものに変わっていた。


 距離、五歩。ゴブリンの背は無防備に晒されている。もう一体はやや離れた位置で木の幹を蹴っていた。


「……行ける」


 セオドアは息を殺し、斧を振りかぶった。一瞬、視界が狭まる。だがそれ以上に集中した。


 ――振り抜く。


 斧の刃が勢いよく振り下ろされ、ゴブリンの背に深く食い込んだ。


「ギィッ……!!」


 断末魔にもならない悲鳴を上げ、ゴブリンが倒れる。


 だが、もう一体がすぐにこちらを振り向いた。赤く濁った瞳が怒りに染まり、錆びた刃を振り上げながら走ってくる。


「くっ!」


 セオドアはとっさに斧を引き抜き、迎撃の構えを取った。しかし、ゴブリンの突進は鋭く、刃がかすめ、上腕に浅い傷を負う。


「……ッ、痛っ!」


 痛みに耐えながらも、セオドアは斧を振るう。互いに距離を取りながらの打ち合いが続く。


(落ち着け、相手の動きを見ろ……!)


 セオドアは小さく呼吸を整え、ゴブリンが飛びかかって来るタイミングを計った。


 ゴブリンが踏み込んだその瞬間、セオドアは斧を振り下ろす。


 刃が、首筋をかすめ、肩口まで裂いた。


「ズレた……!けどっ!!!」


 ゴブリンの身体がよろけ、呻くような声を上げて膝をついた。


 迷いなく、セオドアは追撃の一撃を放つ。


 ――すべてが終わった。


「はぁ、はぁ……っ」


 セオドアはその場にへたり込み、肩で息をした。血の臭い、鉄の味、そしてゴブリン特有の腐臭が混じった空気が、皮膚にまとわりつく。


 自分が殺した。“命を奪った”という実感が、遅れて胸にのしかかってくる。だが、その重さよりも――


「生き残れた……」


 セオドアは震える手で、斧の柄を握りしめた。恐怖もあった。だが、それ以上に自分で切り拓いた“勝利”が、そこにあった。


 倒れたゴブリンの死体の前で、セオドアはしばらく呆然と座り込んでいた。


 手の震えが止まらない。呼吸もまだ浅い。だが、やらなければならないことがある。


「……右耳、だったよな」


 ミアの言葉を思い出しながら、セオドアは震える手で斧を置き、ゴブリンの頭部に手を伸ばす。生臭い血と腐臭が入り混じった臭いが、鼻を突いた。


 慎重に耳の根元に短剣をあてがう。


「……っ、う……」


 経験のない作業。生き物を殺すより、こうして“部位”を取ることのほうがよほど心に刺さる。吐き気をこらえ、歯を食いしばる。


 そして――


 ブチッ、と生々しい音と共に、耳が切り離されたと思ったその時ーー


「……あぐっ!?」


 突如、右腕に激痛が走る。ぼとりと鈍い音が地面に転がる。


「な、なんだ……?」


 セオドアが痛みの走った右手を確認しようと腕を上げるも何も見えなかった。


 ゆっくりと視線を落とすとーー、



 セオドアの右腕は肘から先が切り裂かれて地面に転がっていた。



「え?」


 セオドアは一瞬何が起こったのかと肘あたりに感じる生暖かい血が流れるのを感じる。


「……っ!?」



 腕が切り落とされた!?



 セオドアは自分の腕が身体から離れている事にやっと気が付いた。


「痛ってぇっっっぁぁあああ!!!!!!!」


 セオドアは肘を押さえながらその場に激痛に悶え苦しむ。


「なんっ……で……!!?」


 セオドアは痛みで地面に頭を擦りつけながら、落ちた自分の右手をみる。右手にはゴブリンの耳が握られている。



痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!



 激痛は一瞬で全身に広がった。



 ズンッ――!



 背中に、胸に、肩に――鋭い刃物で裂かれるような感覚が、次々と身体を貫いていく。



「ぎっ、あ……ぁあああああああ!!」



 セオドアはその場に倒れ込み、地面をかきむしった。


 痛い、痛い、痛い、痛い――それしか考えられない。どこが、何を、どうされたのかすらもわからない。


「ど、誰かっ……!?なんだ、これ……!?」


(別のモンスターか!?)


 必死に周囲を見渡す。だが、そこに敵の姿はない。


 風の音すら止まったように、森は静まり返っている。


 誰もいない。何もいない。


 だというのに、セオドアの身体は見えない“なにか”に、容赦なく切り裂かれていた。


 身体中の至るところから血が噴き出ている。セオドアは自分の血でできた血溜まりに倒れ込む。



 ――そして、脳裏に、光景が流れ込む。



 暗い森の中で剣を構える若い男。身には鎧を纏い。黒く巨大な“何か”と戦っていた。凶暴な咆哮と共に、その男へ襲いかかる。


 男は必死に応戦するが――次の瞬間、男の腕は吹き飛び、その身体が複数の牙や爪で切り裂かれる。誰かの声が響く。


「ハルトォォォォッ!!!!!」


 謎の男は力無くその場に倒れ、黒く巨大な何かが男の頭を噛みちぎった。


 グシャリと嫌な音と激痛と共にセオドアの意識は途切れた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

もし少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。

次回もどうぞよろしくお願いします。

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