第一話 新天地を求めて【2/2】
街道から少し離れた木陰に、セオドアは今夜の野営地を定めていた。風の匂いに“腐臭”はもう混じっていない。
セオドアは、木陰の野営地でひとり、斧の刃を見つめていた。
拭ったはずの血の気配が、まだ残っているような気がした。森の中で出くわしたゴブリン。それは、ただの“雑魚”ではなかった。
息が詰まりそうなほどの悪臭と殺気。短剣の一突きに、命を奪う確かな意志があった。
押し倒されそうになりながら、やけくそで振るった一撃がかろうじて当たり、相手が退いた。
逃げたのは、倒したからじゃない。たまたま、だった。
あと一歩、あのゴブリンが本気だったら……
――今、自分はここにいない。
思い出すだけで、背筋にじんわりと冷たいものが這い上がる。
セオドアは深いため息を吐く。
空を見上げるとすでに一番星が輝いていた。
次第に緊迫感から解放されていく。
「……予定通りだと、明日にはウィンドミルに着くな……」
大きな町に入る前の夜。旅ではゴブリンに命を狙われていたのに今は安堵と高揚した気持ちが胸の奥でふつふつと膨らんでいた。
「ウィンドミル……どんな町なんだろうな」
ひとり呟いて空を見上げる。星が静かにまたたく夜。それは村では味わえなかった、“世界の広さ”の予感だった。
翌朝。
朝霧を割って陽光が差し込む。
まぶしさに目を細めながら、セオドアはゆっくりと目を開けた。
すると色鮮やかな綺麗な鳥が目の前に止まっていた。
「おはよう……」
セオドアがそう呟くとその鳥は優雅に八の字を描くようにして目の前から飛び去っていく。
セオドアは飛び去った鳥を見送ると焚き火を片付け始め、すぐに移動を開始した。
しばらく歩いて街道の坂を登り切ったところで――それを見つけた。
「……っ!あれが……ウィンドミル……!」
木々の間から覗いたそれは、彼の知るどんな景色よりも壮大だった。
石造りの城壁。人が何人も並んで通れるほど広い門。街の背後には赤茶の屋根が並び、煙突から上がる煙が朝空に溶けている。そしてーー、
町の中心で悠然と回る巨大な風車。
ウィンドミルの名前の由来でもあるその風車は、町の象徴だと噂に聞いていた。だが、こうして目の当たりにすると、まるで神殿のような威厳があった。
「すごい……本当に、あんなに大きな風車が回ってる……こんなの、絵本でしか見たことない……」
風を受けて、ゆっくり、重く、しかし確かなリズムで回転しているその羽根を、セオドアはしばらく見つめていた。
視線を下ろすと、町の外に並ぶ行商人の荷車や、門を出入りする旅人たちの姿が見える。
どの顔も、見知らぬ人々。だがそれが不思議と、怖くなかった。
(ここでは、誰も僕のことを知らない。死の偽装がヒルクレストの村人に知られる事もない町……)
それは、ほんの少しだけ、孤独と同じくらいの“希望”でもあった。
町の門を抜けると、風の匂いが変わった。木々の香りから、干された布と焼きたてのパンの匂いへ。
耳に飛び込んでくるのは、鍛冶屋の槌音、子どもの笑い声、商人の呼び声。
人が生き、動いている音が、セオドアの五感を刺激した。
「すごい!いろんな物がある!目が足りないや!」
彼の視線は右へ左へとさまよう。見たことのない建物、珍しい服装の人々、動く屋台、空を舞う鳥の群れ。
まるで物語の中に入り込んだようだった。
しばらく町の雰囲気に圧倒されていたが、セオドアはふと我に返る。道行く人もセオドアが田舎者だと思ったのだろうか、嘲笑する様な目をしている。
視線に気づいたセオドアは、顔を逸らし、わざとらしく咳払いをした。胸の奥が少しだけ熱くなる。
「……まずは、ギルドだな」
セオドアは通行人に声をかけてギルドの場所を尋ねる。
親切に教えてもらったセオドアは町の中心部、石畳の道を抜けた先にあるという冒険者ギルド・ウィンドミル支部へと歩みを進めた。
通りを抜け、石畳の中央をまっすぐ進むと、一際目立つ建物が見えてきた。
厚みのある石壁に木組みの屋根、二階建ての正面には堂々と掲げられた旗に描かれているのは冒険者ギルドの紋章だろうか?
扉の前には人が立ち代わり出入りし、窓の奥には多くの人影が行き交っていた。
「ここが、冒険者ギルド……冒険者の集まる場所……」
セオドアはごくりと唾を飲み込み、建物を見上げた。
ヒルクレストの小屋とは比べ物にならない大きさ。入口の扉だけでも、自分の身長よりはるかに高い。
威圧感すら覚えるその扉の前で、セオドアは一度だけ深呼吸をした。
「……よしっ!」
意を決し、扉を押す。
重たい木の扉が音を立てて開いた瞬間、喧騒と熱気が一気に押し寄せてきた。
中は思った以上に広く、高い天井には太い梁が張り巡らされている。壁際には掲示板が並び、そこには大量の紙が貼られていた。おそらく、依頼書だろう。
正面には受付カウンターがあり、その奥では事務員らしき女性たちが忙しなく書類を整理している。
しかし、それ以上にセオドアの目を奪ったのは……
――そこにいる“冒険者たち”だった。
皮鎧をまとい、剣や槍を背負った男たち。マントを翻して談笑する魔術師風の女。獣人族と思しき耳を持った者、仮面をつけた無口そうな青年――
目を合わせるのもためらうほど、皆どこか“只者ではない雰囲気”を放っていた。
「……すごい……本物の冒険者だ……」
思わずつぶやいた声は、喧騒の中にあっさりと消えた。
彼らの声は大きく、笑い声も怒声も混ざり合っているのに、そこには不思議と秩序があった。多くの命が交錯する場。戦いを知る者たちが集う場所。
これが、本物の冒険者たちの空気――。
セオドアは足を一歩踏み出しかけて、ふと自分の服装に目を落とした。野営の汚れが残るマント、旅の埃にまみれた靴、森の中を掻き分けてきた斧。
(……こんな格好で来て、大丈夫だったかな)
胸がざわめいた。だが、それでも立ち止まることはできない。
「まずは、受付を探そう」
目を伏せつつも、セオドアはカウンターへと向かって歩き出した。
賑わうホールを人波をかき分けながら、セオドアはようやくカウンターの一角にたどり着いた。
人の波に紛れて声をかけるタイミングを見計らっていると、受付のひとりがちょうど彼に気づいて顔を上げた。
「こんにちは。ご用件をお伺いしますね」
淡い茶色の髪をひとつにまとめた女性が、にこやかに声をかけてくる。
歳は二十代半ばといったところだろうか。端正で冷静そうな印象だが、笑顔は柔らかい。
「え、あ、はい……その……冒険者になりたいんです」
緊張で声がうわずる。セオドアは慌てて姿勢を正した。
女性はわずかに目を見開いたあと、ふっと優しく笑った。
「では、冒険者登録ですね。初めての方でしょうか?」
「はい。僕、ヒルクレストという村から来ました。冒険者ギルドは初めてです」
「ようこそ、ウィンドミル支部へ。私はミアと申します。この支部で受付を担当しています。ご不明な点はなんでもお聞きくださいね」
ミアは手元の書類をすっと取り出すと、慣れた手つきで案内を始めた。
「では簡単に、冒険者ギルドの仕組みをご説明します。
ギルドは、王国各地の支部を通じて、モンスター討伐や護衛、探索、調査といった“依頼”を冒険者に仲介する組織です。
冒険者の活動はすべて“ランク”で管理されており、依頼をこなすことで実績と信用が積み重なっていきます」
「ランク……?」
「はい。新規登録時は全員“ブロンズランク”からのスタートになります。
依頼の成功数や内容、ギルドからの評価などで昇格が行われます。
ただし、無理な依頼の受注は事故や命の危険にもつながりますので、最初は慎重にお選びくださいね」
ミアは指で書類の一部を示しながら、静かに言葉を続けた。
「冒険者ランクは、下から順に―
―ブロンズ、アイアン、スチール、シルバー、ゴールド、プラチナ、ミスリル、そして最高位のオリハルコンまでの八段階に分かれています」
「そんなにあるんですね……」
「はい。ブロンズは初心者向けの簡単な依頼―
―町の清掃、荷物の運搬、使い魔退治などが中心です。
ですが、スチール以上になると命の危険も増えますし、逆にゴールド以上となると王国からの特別任務や、魔物討伐の大規模な遠征なども含まれます」
「なるほど……」
「ランクはただの強さの目安ではありません。“信頼”の証でもあります。ギルドがその人にどれだけの責任を任せられるかを示すものです。
ですから、無理に昇格を急ぐ必要はありませんよ」
「……はい」
セオドアは素直に頷いた。
“信頼”という言葉に、彼は少しだけ背筋が伸びる思いがした。
「ちなみに、ランクアップには試験が課されることもあります。特にシルバー以上は、実績だけでなく人格や協調性も見られることがあります。
グループでの活動や長期任務も関わってきますので、他の冒険者との交流も大切になりますね」
「え、一人じゃダメなんですか?」
「駄目と言うわけではありませんが……むしろ、仲間と力を合わせられる人ほど、高く評価される傾向にあります」
「なるほど……分かりました」
セオドアは真剣な表情で頷いた。
ゴブリンひとりにあれほど苦戦したのだ。現実は、村の話に出てくるような英雄譚とは違う。仲間達と戦うのが冒険者なのかと心に刻んだ。
「登録には、お名前と出身、年齢、得意な武器、簡単な経歴の記入が必要です。身分証明書などは……あ、農村出身の方ですと不要で処理できますね」
「はい、すみません。村にはそういうのがなくて……」
「大丈夫ですよ。ウィンドミル支部では、身元保証人の代わりに“信用蓄積型”という制度を取っています。
簡単に言えば、最初は簡単な依頼から信頼を積み上げていく形ですね」
「信用を担保にしていくわけですか……」
「はい」
淡々としつつも、親切な口調だった。セオドアのような田舎者に対しても丁寧で、無理に詮索するような気配もない。
これなら死を偽装した事も詮索される事はないだろう。
「それでは、こちらの登録用紙に記入をお願いします。文字は書けますか?」
「はい!」
セオドアは渡された紙と羽根ペンを受け取ると、少しだけ背筋を伸ばして記入を始めた。
名前――セオドア。
年齢――十五歳。
出身――ヒルクレスト村。
得意な武器――斧。
経歴――木こり。旅のため、冒険者登録を希望。
(これが、僕の……第一歩なんだ)
書き終えたセオドアは、胸の奥にかすかな熱を感じながら、登録用紙をミアへと手渡した。
登録用紙を受け取ったミアは、内容を一通り確認すると、満足げに頷いた。
「ありがとうございます。それでは、ギルドカードを発行いたしますね」
そう言って、カウンターの奥にある棚から小さな箱を取り出す。中から取り出されたのは、手のひらほどの黒い金属板だった。
縁には銀色の装飾が施され、中央には表の旗にもあったギルドの紋章が刻まれている。
ミアはそれを専用の装置にセットし、ゆっくりと呪文を唱え始めた。淡く浮かぶ魔法陣がカードを包み込み、まるで印刷機のように文字が刻まれていく。
エルダが使う以外に魔法は見たことがないセオドアは食い入るように見つめた。
「す、すごい!魔法でカードを作るんですね!」
「はい。このカードには、基本情報と現在のランク、依頼履歴などが記録されます。
魔力で保護されていますので、ある程度の耐久性は保たれてはいますが、大事に持っていてくださいね」
やがて魔法陣が消えると、カードの表面には淡く光る文字が浮かび上がったが、やがてその光は徐々に消えていった。
「どうぞ。こちらがあなたのギルドカードです」
カードを手渡された瞬間、セオドアは小さく息をのんだ。
カードにはセオドアの名前と年齢、そして「ブロンズ」のランクが刻印されていた。
ひんやりとした金属の感触。自分の名前が刻まれている現実。斧や薪の感触とは違う、まるで“世界の入口”に触れたような重みがそこにはあった。
「……これが、冒険者の証……!」
口にした言葉はとても小さかったが、それでも胸の奥に、確かな火が灯るのをセオドアは感じていた。
ミアはにこやかに微笑んだ。
「登録は以上になります。どうか、気をつけて行動してくださいね。
ーーようこそ、冒険者様」
「……はいっ!」
セオドアはまっすぐに顔を上げ、力強く頷いた。
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