第三十一話 幻影と逃走【2/2】
冒険者たちは未だ互いに聖水を掛け合っている。だがそんなことをしている暇はもうなかった。
セオドアは声を張り上げた。
「みんな聞いて下さい!ミノタウロスはすでに下の階層へ逃走を図っています!このまま第五階層に入られたら、本来の力を取り戻してしまいます!!」
ざわめきが広がる。
セオドアはさらに叫んだ。
「第五階層は瘴気による精神汚染がある……僕のスキルで守れるのは五人が限界です!今の数の優位性はこの階層だからこそ得られているんです!!」
言葉の意味を理解した冒険者たちの表情が、一斉に硬くなる。
「……じゃあ……」
「今ここで仕留めるしかないってことか……!」
ザガンが双剣を担ぎ、血走った眼で奥の通路を睨む。
「わかったら追うぞテメェら!!逃がすんじゃねぇぞ!」
ヴェロニカが戦鎚を構え直し、冒険者たちに号令をかける。
「セオドアの言う通りだ!総員、ミノタウロスを追うぞ!!」
冒険者たちがどよめきながらも一斉に武器を構え、奥の通路へと走り出す。
セオドアの背後にフィオナとノエルとドランが駆け寄る。
セオドアは仲間達の顔を見渡す。全員が力強く頷いた。
ルーメンベルとクロー・リングそしてブックメーカーの戦力がひとつになり、逃走を図る巨獣の後を追っていった。
セオドアは戦斧を握り締め、心の中で呟く。
(――逃がさない!ここで終わらせるんだ!!)
冒険者たちの足音が轟き、第三階層の奥へと怒涛の奔流のように流れ込む。
松明の炎が壁に揺らめき、通路は熱気と殺気で満ちた。
冒険者たちの荒い息遣いが重なり、通路全体が一つの巨大な鼓動のように響いている。
「奴を逃がすなッ!」
「第五階層へ行かせたら終わりだ!!」
叫びが重なり合い、後列の者にまで怒気が伝わっていく。誰もが理解していた――ここで逃せば次はない、と。
冒険者たちが互いに肩を押し合いながら走る。足音の響きは地震のように通路を揺らした。
セオドアも仲間と並んで疾駆していた。握り締めた戦斧の柄から、汗が滴り落ちる。
掌は痛むほどに湿っていたが、それを拭う余裕すらなかった。
耳の奥には、あの低くくぐもった咆哮がまだ残響している。巨獣はすでに下層へと身を翻し始めていた。
「セオドア!」
背後からフィオナの声が飛ぶ。振り返れば、フィオナとドランが肩を並べ、その少し後ろをノエルが必死に走っている姿が見えた。
その顔を見た瞬間、セオドアの胸の奥に安堵と痛みが同時に広がる。前回のループで守れなかったという罪悪感が喉を締め付ける。
「みなさん……!」
声が震えた。言葉の続きを謝罪にしようとした、その時。
「待って」
フィオナが遮るように言葉を放った。走りながらも、真っ直ぐにセオドアを見据える。
「わかってる。あなたが死ぬ思いをしてここにいる事を……私達はセオドアの言葉を信じる。だから……セオドアも私たちを信じて」
その瞳には一片の迷いもなかった。長い戦いで研ぎ澄まされた冒険者の眼光であり、同時に仲間を思う強さでもあった。
ドランも黙って頷く。彼の瞳には、短い言葉よりも深い信頼が宿っている。
「今度はみんな一緒だからね!」
ノエルが小さな体で懸命に声を張り上げる。その言葉にセオドアの胸を締め付けていた重苦しい感情が少しずつほどけていった。
「みんな……」
セオドアは笑みを浮かべ、力強く言葉を返す。
「わかりました!僕はみんなを信じています!だからみんなも僕を信じて下さい!」
「勿論よ!」
「あぁ……!」
「ガッテン承知の助け!!!」
声が重なり合い、熱が走る。互いを鼓舞するそのやり取りが、通路の闇を払う光のようだった。
その時、不意にザガンが速度を上げ、横から割り込むように並んだ。
「フィオナ!!無事だったか!!!帰ったら俺と結婚しよう!!!!」
突拍子もない言葉にフィオナの足がもつれかける。場の緊張を吹き飛ばすほどの大声に、周囲の冒険者まで一瞬振り返った。
「ザガン……あんた状況わかってんの!?」
怒鳴り声は鋭かったが、その頬は赤く染まっている。
「おいおい!わかってるに決まってるだろう?これからみんなで死地に向かうってんだ!!惚れた女に求婚して何が悪い!!」
ザガンの真剣な目に、周りから小さな笑いが漏れる。緊張の極致にいる彼らにとって、その直情的すぎる叫びはどこか救いでもあった。
「雰囲気ぶち壊しなのよ!!」
「え!?ロマンティックだろ!?」
「ロマンティックじゃない!!!」
怒号が響き、空気は再び戦場のそれに戻る。
そんな掛け合いの最中、セオドアとザガンの間にヴェロニカが割り込むように走り込んできた。鎧の義手がきらめき、通路の狭さすら物ともしない迫力で。
「無事だったか!ガキども!」
「ギルド長!」
セオドアは驚きつつも、その豪放な声に力を得る。
「お前達を探して三階層まで来たと言うのに……何故お前達が上の階層からやってきたんだ!」
「第五階層の下の階層にあった転移陣でダンジョンの外に転移したみたいなんです!それで皆さんが僕たちの救出に向かったって聞いて、ベルザについて忠告するために来ました!」
「そうだったのか!救出に来たはずが助けられちまったな!」
ヴェロニカは豪快に笑い、その直後、鋭い表情へと戻る。
「ベルザ……まさか奴が第五階層のフロアボスだったとはな……何十年もまんまとモンスターに騙されていたわけか……お前達の報告にあった知能を持つモンスターとは奴の事だったのか!」
義手を強く握り締める。その仕草には、悔恨と怒りが滲んでいた。
「はい……あいつは強い冒険者を捕食する度に強くなると言っていました。強い冒険者を捕食するために自ら冒険者になりすまし、鉤爪の環を立ち上げ、冒険者を育て、捕食していたんです……」
「ずっと近くにいた俺でも気が付かなかったんだ……面目ねぇです……」
セオドアの声は震えていた。ヴェロニカはその悔恨を正面から受け止め、大きく頷いた。
「ルーメンベルを騙していたんだ。落とし前は必ず付けさせてやる!」
「セオドア!ベルザ……いや、あのミノタウロスについて知っている事を全て教えろ!」
「わかりました……奴のスキル《階層の主》は第五階層で本来の力を取り戻します。そうなれば、奴の精神汚染のスキルも完全に解放されます。そしたら全員……ひとたまりもありません」
フィオナの顔に苦悶が浮かぶ。だが矢筒を握り締め、鋭い眼差しをセオドアに向けた。
「だったら、絶対に……ここで止める!」
――その時だった。
第四階層へと通じる巨大な石門の向こうに、黒い影がちらりと蠢いた。
全員の背筋に冷たい電流が走る。
「出たぞ……!」
通路の奥から、血の臭いを撒き散らしながら、巨躯が振り返る。
赤い瞳が灼けるように輝き、裂けた口から獣の笑みが零れた。
『――私を……追うか』
低く湿った声。挑発だった。わざと姿を見せ、冒険者たちの闘志を煽り、下層へ誘い込もうとしている。
セオドアは戦斧を握り締め、息を呑む。
「……みんな、覚悟はいいか」
返事は不要だった。フィオナも、ノエルも、ドランも、ザガンも、ヴェロニカも。そこにいる全員が――顔に刻まれた決意で答えていた。
「よし――追うぞ!」
咆哮とともに、総勢百を超える冒険者たちが一斉に第四階層へと雪崩れ込む。
その先には、瘴気と狂気に満ちた深淵が口を開けて待ち受けていた。
セオドアは胸にただ一つの決意を刻む。
(――絶対に、ここで仕留める!)
巨獣と人間の総力戦は、次なる舞台へと突入していった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
もし少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。
次回もどうぞよろしくお願いします。




