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第二十七話 勇者の装備【1/2】



 ――第五階層残響の回廊の更に下の階層。迷鐘の洞が出現してから誰も踏破した事がなかった階層の更に下の階層ー、


 階段の最後の段を飛び越え、膝を折って息を吐いた瞬間、肺の内側に刺さっていた第五層特有の寒気が、嘘みたいにすっと引いた。


 耳鳴りも、胸の圧迫も、あの獣の咆哮も追ってこない。


「ここには瘴気がない......」


 セオドアは久しぶりに深呼吸をする事ができた。


「……来ねぇな」


 ザガンが階段口を振り返り、耳を立ててしばらく動きを止める。息遣いを殺し、鼻先で空気の匂いを確かめる。やがて、彼はゆっくりと肩を落とした。


「蹄の音もしねぇ。瘴気の波もこねぇ。――今んとこは、追ってきてねぇな」


 ザガンの言葉にセオドアは汗を拭って答える。


「もしかすると……第五層の階層主である奴には、下層に干渉できないのかもしれません」


 セオドアは階段の縁に手を添え、そう呟いた。


「だが、奴は他の階層を行き来していただろ?」


「上の階層への移動はできてもこの階層へは降りられない理由があるのかもしれませんね」


「まぁ何にせよ......助かったな」


 ザガンの声にも、張り詰めた糸が一本緩んだ気配が混じる。


 周囲を見渡す。ここは第五層とは打って変わって、静謐で硬質な“地下”だった。


 壁も床も天井も、均一な石で組まれている。薄く苔むした目地、湿りを含んだ冷気、どこかで水が落ちる軽い音。


 通路の両側には鉄の松明台が等間隔で取り付けられているが、火は消え、黒い煤だけが残っていた。


「モンスターの気配はありませんね」


 セオドアがそう言うと、ザガンは黒豹の耳をぴくぴくと動かし、匂いをスンスンと嗅ぎ取る。


「……匂いも音も、ぜんぜんだ。妙な静けさだな」


 二人はしばらくの休憩を取り、呼吸を整える。


 しばらくするとザガンが声を上げた。


「よし。噂が本当かどうか確かめに行くとするか......」


 その言葉にセオドアは唾を飲む。


「勇者の装備......」


 二人は足音を殺し、壁沿いに進む。


角を曲がるたびに息を止め、耳を澄ませ、空気の流れを読む。


 しかし、待ち伏せも、罠の兆しも現れない。


 広がっていくのは、整然とした石造りの回廊ばかりだった。


 やがて、通路の先がぽっかりと開く。


「……部屋だな」


 ザガンが囁くように言う。二人が一歩、また一歩と足を踏み入れた瞬間――


 ――ボッ、ボッ、ボッ。


 壁際に立てかけられた松明が、一斉に火を噴いた。


 二人は警戒して武器を構える。


 乾いた藁がはぜる音。オレンジの光が部屋の輪郭を撫で、長い影を床に落とす。


 光に浮かび上がった“それ”は、部屋の中央にあった。


 石の台座。台上には、人が立つかのように整えられた鎧一領。


 肩は広く、胸甲は鋭い稜を描き、腹部の板金は幾重にも重なって光を返している。


 縁取りには金色の細工、胸には古い王家の紋章にも似た幾何学の刻印。


 鎧は塵ひとつまとわず、磨き上げられた鏡面が松明の揺らぎを吸い、吐き、呼吸しているように見えた。


「……本当にあった......」


 ザガンが呟いた。


「勇者の装備......」


 ザガンの横顔が、炎の光で硬く縁取られる。


「あれが......勇者の……?何故、勇者の装備だと分かるんですか?」


 警戒したままのセオドアがザガンに尋ねる。


「俺は一度、王都にお使いに行ったことがある」


 セオドアが目を瞬かせると、ザガンは視線を鎧から外さないまま続けた。


「王都には二百五十年前、魔王を討った勇者の銅像が王城正門前の広場に立ってんだ。


ベルザがミスリルとして召集を受けたんだが、あの人は首を縦に振らなかった。


 今考えりゃ、奴がミノタウロスでこのルーメンベルを離れられないって分かるが、あの時は王都からの招集も断るほどにルーメンベルのダンジョン攻略に熱を上げているのだと思ってた。


 だから俺たちが『辞退』を伝えに王都へ使いに出された」


 自嘲気味の笑いはすぐ湿り、消えた。


「これはその時に見た勇者の銅像が身につけていた鎧に瓜二つだ......」


 セオドアは鎧に一歩近づき、息を呑む。


 どこにも綻びがない。


 打ち傷も、擦り傷も、剥がれた箇所もない。


 繋ぎ目はきっちりと噛み、革の留め具は新しい匂いすら漂わせている。


「……二百五十年前に魔王と戦った勇者が装備していたのなら......こんなにも傷が付かずに綺麗に残っているでしょうか?」


「普通はありえねぇだろうが、魔王討伐後に修復したとか......」


「そもそも......勇者がここに置いたのでしょうか?」


「わからねぇが、現に鎧は目の前にある」


 ザガンは鎧の台座の足元に目を落とした。床に刻まれた複雑な円環、交差するルーン、等間隔に嵌め込まれた透き通る白石。


 見慣れぬ魔法陣が、鎧の周囲をぐるりと囲んでいる。


「結界……」


「触る前に、まず周りを見ましょう。罠かもしれません」


 二人は円の外周をゆっくりと周り、罠の引き金や魔力の流れを目で追った。


 沈黙が数十呼吸ほど続いた後、ザガンが低く言った。


「……やるしかねぇ」


「待ってください。無茶は――」


「俺らは噂だけを頼りにここまで走ってきたんだ。試さねぇわけにはいかねぇだろ」


 ザガンは双剣を鞘に納め、両の掌を空けると、一歩――魔法陣の縁へ踏み込む。


 ――バチィッ!!


 白光。見えない壁に打ち据えられたように、ザガンの身体が後方へ弾かれた。背中が床を滑り、石壁に当たって止まる。


「っぐ……!」


「ザガンさん!」


「大丈夫だ。……痛ってー......」


 彼は立ち上がると、角度を変え、武器の柄でそっと結界の縁を突いた。


 瞬間、火花とともに柄が弾かれ、ザガンの手からすっぽ抜ける。


「――こいつぁ、徹底してやがる」


 汗が顎から落ちる。何度挑んでも結果は同じ。結界は容赦なくザガンを排除した。


 膝をつき、拳で床を叩く音が部屋に短く響く。


「……クソッ!何でだ!!ここまで来たんだぞ!!!目の前にあるのに、何で!!……」


 悔しさが滲む声。


 ヴァンベッタも、グウェンも、もういない。あいつらの“仇”を討つための切り札が、目の前にあるのに、手が届かない――。


「噂があるのにこの装備を手に入れた者がいなかったと言うのはこの結界があったから......目に見えても触れる事ができなかったからなんですね......」


 セオドアはそう呟くと自身の手を見つめる。


(僕も弾かれるのだろうか......)


 セオドアはザガンの横に屈み、肩に手を置いた。


「――僕が、試してみます」


「待て、危ねぇ。反発の威力はさっき見ただろ」


「覚悟の上です......」


 セオドアは深呼吸を一つ。


 それから、円環の縁に立ち、指先を伸ばす。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

もし少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。

次回もどうぞよろしくお願いします。

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