第二十五話 時を超えた目覚め【2/2】
足元の岩肌は湿り気を帯び、灯火の届かぬ闇が奥へと口を開けていた。
「それで?あんたはどこまで見てきたんだ?」
先を急ぎながら、ザガンが問いかける。
セオドアは息を整えつつ、短く答えた。
「僕は……十年先まで見てきました」
その一言に、ザガンの足が半歩止まる。
「十年……だと?」
セオドアがザガンの様子を確認すると冗談を疑う色があった。
セオドアは首を振り、言葉を続ける。
「はい。向こうで過ごした十年分の記憶があります。順を追って話します」
彼は息を吐き、足を止めずに時系列を語り始めた。
――前のループで、フルグナの反撃を受けたザガンは重傷を負い、まともに動けなくなった。
二人は肩を貸し合いながら第五階層を進むが、背後からはミノタウロスの蹄の音が迫ってくる。
遭遇したモンスターを間一髪で撃退したものの、その直後にミノタウロスに追いつかれた。
「……もう走れないザガンさんを背負って逃げました。必死で、ただ逃げるだけで」
セオドアの声が僅かに震える。
岩肌を削る蹄の音が、まだ耳の奥で鳴っているかのようだった。
「それで……横穴を見つけたんです。中に飛び込んで、やっと追跡を振り切れたと思った」
その瞬間、セオドアの表情が曇る。
「だが、そこに――ベルザが来たんです」
ザガンの眉が跳ね上がる。
「なんだと!?ベルザさんと合流できたのか!そりゃ運が――」
だが、言葉の途中でザガンは息を呑む。
セオドアの顔が、喜びではなく重苦しさで固まっていたからだ。
「……おい。ベルザさんに……何かあったのか?」
数歩分の沈黙。
やがて、セオドアは喉を鳴らし、低く告げた。
「合流したベルザに僕はループについて説明しました。それが前回の僕の一番の過ちでした......」
セオドアの言葉にザガンは首を傾げる。
「なんでベルザさんにループについて教えちゃいけなかったんだ?あの人は理解ある方だ。話しても問題ないだろ?」
セオドアは目を伏せる。
「何故、ベルザにループを教えてはいけなかったのか......答えはベルザの正体がミノタウロスだったからです」
通路に、足音が止まった。
「……は?」
ザガンの声は低く、掠れていた。
「何を……言ってやがる。ベルザさんが……ミノタウロス?ふざけるのも大概にしろ!第三階層じゃミノタウロスの攻撃を防いでくれていたじゃねぇか!」
「あれはミノタウロスであるベルザ自身が生み出した幻覚でした」
目を見開き、信じられないという表情のまま、ザガンは首を横に振る。
「冗談だろう、セオドア……?ベルザさんは俺たちクロー・リングのクランマスターだ......」
セオドアは黙って下を向く。
「あの人は長年ミノタウロスを倒す為に色んな物を失ってきたんだぞ!!」
ザガンが問い詰めるもセオドアはただ黙って階段を進む。
「あの人は俺の憧れ......あの人が拾ってくれたから今の俺がある!!!」
「スラムで......ですか?」
セオドアがそう呟くとザガンは目を見開いた。
「あんた......何故......それを......?」
過去をセオドアに見透かされた事にザガンは目見開く。
「ベルザが......ザガンさんを殺す時に言っていました......」
ザガンの表情が徐々に青ざめていく。
「俺が......ベルザさんに......殺されただと......?」
「ザガンさんが死に、僕はベルザに捕まり十年間、ループを起こさせない為にこの第五階層で幽閉されました......」
セオドアの口から告げられた衝撃的な話にザガンは動揺する。
「そんな......嘘だろ......?」
セオドアは心を鬼にしてザガンに告げる。
「残念ながら......ベルザ・ドルグはずっと騙してきたんです......ギルドを......クロー・リングの冒険者達を......ルーメンベルの人々を......」
湿った空気が、二人の間に重く沈んだ。
湿った風が、二人の頬を撫でる。
通路の先――第五階層の瘴気が、濃い紫色の靄となって漂っていた。
二人の足音が鋭く響く。
「……っ!」
額を押さえ、荒い息を吐くザガン。
闇色の靄が彼の肩にまとわりつき、耳元で囁くような声が響いていた。
『あいつを信じるな......ベルザはお前の恩人だろ?』
ザガンの瞳が揺れ、光が失われていく。
握る双剣の先が小刻みに震えた。
『ザガン......私達を殺したのはベルザさんじゃないわ......』
ザガンの耳元でヴァンベッタの声が聞こえる。
『目の前にいるだろう......俺たちを見殺しにした奴が......』
グウェンの声が耳元で囁く。
『そうやってお前を混乱させるのが奴の狙いだ......』
自分の声がザガンに囁く。
「やめろ......やめろ!!!!」
ザガンが耳を抑えて、半狂乱になる。
「ザガンさん!」
セオドアが駆け寄り、彼の肩を掴むがザガンがその手を強く振り解き、牙を向いた。
「うるせぇっ!!あんたが......あんたが......」
セオドアはザガンの手を優しく手を取る。
「《精神遮断-ブレイン・ブレイクシール》」
セオドアの手から放たれた淡い光が、ザガンの額を包み込む。
温かな波が脳を撫で、瘴気の囁きが弾けるように消え去った。
あたりには自分の声やヴァンベッタ、グウェンの声も聞こえない。
ザガンは肩で息をしながら、ゆっくりと視線を上げる。
「……い、今のは……第五階層の瘴気による精神汚染......あんた......どうやって......?」
ザガンは目を見開きセオドアの顔を見る。
「この気が狂いそうな階層に十年も幽閉されたんです。僕はこの瘴気を克服する事に十年を費やしました......今のは精神汚染を解除するスキルです......」
短い沈黙。
「セオドア......あんたは......本当に......?」
「はい。十年......この階層にいました」
「ベルザさんは本当に......?」
ザガンは目に涙を溜めながら、セオドアに尋ねる。
セオドアはただ頷いた。
その目には嘘は感じられない。
セオドアの言葉を信じるということは――ヴァンベッタやグウェンを喰らったのがベルザであることを意味する。
――雨の匂いと、腐った木箱の臭気が混じり合う路地裏。
足元のぬかるみを蹴って、少年は息を切らしながら走っていた。
肩に抱えたパンは、今しがた市場の露店から掠め取ったもの。
「待て、このガキッ!」
背後で怒号と足音が迫る。
(くそ……!)
曲がり角を抜け、暗がりに身を滑り込ませる。
小さく息を潜めたその瞬間、影が路地を覆った。
低く、地を踏み鳴らす音。
顔を上げると、そこには長身の男が立っていた。
重厚な鎧を纏い、牛の角を持つ、獣人の男。
「何をしているのですか、少年」
その声は低く、しかし不思議な重みを持っていた。
少年――ザガンは反射的に後ずさる。
「……あんたに関係ねぇだろ」
男はふっと笑う。
すると遠くで「あのガキどこ行きやがった!」と男の声が路地から響いた。
牛の獣人はザガンの手元に視線を落とす。
「盗み......ですか?」
「だったら何だって言うんだ!!俺を盗人として、衛兵に突き出しゃいいだろ!」
ザガンは男を睨みつけながら、吠える。
男は黙ってザガンの声に耳を傾け、不意に懐から金貨を取り出した。
「これで食事を摂るといい。育ちざがりだろう」
「は?」
ザガンは突然の人の優しさに懐疑的な目を向ける。
「私はベルザ・ドルグ。クロー・リングのクランマスターをやっている者だ」
その名を口にした瞬間、周囲の物陰からひそひそとした声が漏れた。
スラムの住人なら誰でも知る名。
力と名誉、そして自由を持つ冒険者集団の頂点。
「冒険者は命懸けの仕事だ。無理強いはしないが......力が有り余っている君の様な若い人材を私は求めている」
差し伸べられた手が、路地の闇を切り裂くように見えた。
ザガンは――その手を取った。
飢えも寒さも、あの日を境に遠くなった。
そしていつしか、あの背中は自分の目指す場所になった。
ザガンの胸中で、憧れと信頼、そして怒りと疑念がせめぎ合う。
脳裏にはダンジョンでの冒険の日々を思い出す。
短い言葉で通じ合い、剣戟と咆哮が交錯する。
クルムの槍が狼の喉を貫き、ヴァンベッタの魔法が光を放つ。
グウェンの矢が正確に弱点を射抜き、ベルザの一撃が最後の一匹を沈めた。
「……全員、無事ですか?」
ベルザがそう言うと、皆が笑顔で頷く。
戦いの後、焚き火を囲み、硬いパンと干し肉を分け合う。
時折響く笑い声と、焚き火が火ばさみに触れる音。
(……あの日々は、確かに本物だった)
ザガンは目を閉じ、仲間と交わした笑顔を思い出す。
もう二度と戻らない、黄金の時間を。
ザガンは涙を滝の様に流していた。
やがて、彼は双剣を握り直した。
「……ベルザさんが......ミノタウロスって事は......ヴァンベッタも......グウェンも......?」
「......はい」
「これまでのクロー・リングの歴代の攻略組を殺したのも......」
「......はい」
ザガンは酷く項垂れる。
「俺は......どうしたらいいんだ......セオドア!」
ザガンはセオドアの肩を掴み、涙を見せた。
「終わらせるんです。奴の殺戮を」
セオドアの言葉にザガンは下を向き呼吸を整える涙を拭い、鼻を啜り顔を上げた。
その瞳に宿った光は、迷いを振り払った戦士のものだった。
「わかった......あんたを信じるよ......セオドア」
「ありがとうございます。ここからは時間の勝負となります。今度こそ二人で第五階層を駆け抜けましょう」
「おう」
二人は満身創痍のまま、階段を駆け降りる。
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