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第二十五話 時を超えた目覚め【1/2】

第二十五話


 ――光の奔流が、意識を飲み込む。

 セオドアの脳裏に、断片ではない鮮明な映像が流れ込んできた。


 湿った石床、響く蹄の音、角の影。


 黒幽牛ミノタウロス――ベルザの巨体が、剣を構えるハルトを見下ろしていた。


「はあっ……!」


 勇者の渾身の突きは、角で容易く弾かれる。


 反動で姿勢を崩した瞬間、黒い腕が稲妻のように走った。鎧が裂け、鮮血が飛ぶ。


『……君が来ることは五十年も前からわかっていた......』


「五十年?何を言っている......!」


『何だ?君は気付いていないのか?』


「何の話だ......!」


『成程......いやいや......健気に君を救ってきた男を知っていてね。いたたまれないよ』


「俺を救ってきた......男......?」


 ベルザの声は、外からではなく頭の奥で響く。愉悦を含んだ低音が、心の奥をえぐった。


「ぐっ……!」


 ハルトはなおも立ち上がろうとするが、ミノタウロスの足がハルトの足を踏み砕く。


「ぐっぁあああああ!!!!」


 ハルトの絶叫が響き渡る。


『ビジョンと言ったか......見ているんだろ、セオドア君?』


 ベルザはビジョンを見ているセオドアに語りかける様に辺りを見渡す。


『君は今死んだばかりでこのビジョンを眺めているのだろうが、あれから四十年......君の絶望する顔が拝めないのが実に残念だよ!』


 そう言ってベルザはハルトのもう一方の足を踏み潰す。


「ぁあああああああ!!!」


 ハルトの断末魔が脳内に響く。


『君が死んだ後......あそこにいた君の仲間も全て私が食い荒らした!』


 ベルザは乱暴にハルトを足で押し倒す。


『見せてあげたかったよ!君を信じて疑わない彼らの無惨な最後を!』


 ベルザは横たわるハルトの足をゆっくりと踏み潰していく。


 ハルトの断末魔が耳をつんざく。


『見えているかい?......君がいなくなった事でこの世界の希望がこの様だ......』


 ベルザは無情にもハルトの四肢の全てを踏み潰す。


『これが未来だ......いくらやったところで変わらない......』


 ハルトの目の光が薄れ、血が床に広がる。


 ベルザは視線だけをこちらへ向けた。


『さあ、セオドア君......絶望するがいい』


 その言葉が脳を焼く直前、視界が白くはじけ飛んだ。



 ――息を吸った瞬間、空気が変わっていた。

 さっきまで肺を満たしていた瘴気は消え、代わりに甘ったるい匂いが鼻をくすぐる。


 耳に届くのは咆哮ではなく、地面を何かが叩きつける音。


 身体は激しい揺れを感じ、男の荒い呼吸音が聞こえる。


 瞬きを一度。


 そこは第四階層――フロアボスのフルグナの触腕がうねっているのが視界に入った。


(……ここは……)


 何かに揺れながら、セオドアは視線を辺りに向ける。


 眼前には、フルグナが触腕を振り回していた。


 十年前、ザガンがセオドアを背負いながらフルグナと戦っている場面であった。


 爆音と共に岩屑が舞い、衝撃波でザガンは吹き飛ばされた。


 転がるように着地したザガンの背中では、セオドアが呻き声を上げる。


「……すまねぇ、今すぐ終わらせる」


 ザガンの声にセオドアは涙を浮かべる。


(ザガンさんが生きている......!)


 フルグナが再び霧を纏い始める。動きが鈍くなったザガンに向けて、猛毒の吹きつけ攻撃。


 その時──ザガンの目が光を宿す。


「……全力だ......」


 ザガンは短く息を吸い、全身の筋肉に力を込める。


 《影爪穿断・連牙》


 瞬間、ザガンの姿が幾重にもぶれた。残像が影のように周囲を巡り──フルグナの胴体を縦横無尽に切り刻む。


 触腕が暴れ狂い、周囲を薙ぎ払うが──


「……これで終いだッ!!」


 ザガンはフルグナの管状の口へと飛び込み、双剣を突き立てた。


 魔蛸が痙攣し、盛大な紫煙を噴き上げる。そして、ぶるりと震えたかと思われたが、次の瞬間にはフルグナの触腕が鋭くザガンに向かって伸びた。


 セオドアの心臓が高鳴った。


 脳裏にこの後の光景が呼び起こされる。


 フルグナの反撃を受けたザガンは戦闘不能になりそれからの移動もままならないまま五階層へと降り、ベルザに追いつかれる。


 セオドアの身体から炎の様に魔力が巻き起こる。


「坊主......!?」


 セオドアはザガンの背から飛び降り、着地する。


 手には再び握る戦斧ブレイバー


 振り抜いた刃がフルグナの触腕を裂き、血飛沫が同時に舞い上がる。



「お待たせさせました......今度こそうまくやりますよ、ザガンさん!」



 十年越しの戦いが、今ここから始まった。



 触腕を斬り裂いた勢いのまま、セオドアは深く息を吐いた。胸の奥には、十年後のセリカたちが繋いでくれた命の重みが刻まれている。


(……このループで決着をつける)


 脳裏に、これから訪れる光景が次々とよみがえる。


 第三階層から追ってくるベルザ。五階層での追いつめられた戦い。


 あの未来を変えるためには、ここで時間も体力も失えない。


 セオドアはザガンを振り返った。


「ザガンさん、まだ動けますか!」


「……ああ、まだやれる」


 ザガンは双剣を構えながらセオドアの呼びかけに応える。


「僕はループしました」


 セオドアが肩越しにザガンに静かに告げる。


「なっ......ループだと!?」


 ザガンは唐突な宣言に信じられないと言った様子で目を見開く。


「こんな時に何を......!」


 しかし、肩越しにザガンを見つめるセオドアの眼差しにザガンは言葉を噤んだ。


 セオドアの目には悲しみや怒り、そして決意が見てとれた。


 ザガンの脳裏に第三階層でミノタウロスと遭遇してすぐにループを叫び、それにフィオナ達がすぐに状況を理解して頷いた時のことを思い出した。


「わかった......俺はどうすればいい?」


 ザガンはセオドアの言葉を飲み込み、指示を仰ぐ。


「このままフルグナを仕留めます。動きを止めるので、ザガンさんでトドメをお願いします!」


 ザガンの目に戦意が宿る。


「わかった!」


 フルグナの口器が再び開き、可燃性の毒ガスを吐き出し始めた。霧のように広がる紫煙が立ち込める。


(前回はザガンさんが動けなくなり、武器を手放せなかったから自分が火花を散らせた。でも今回は――)


 セオドアは《ブレイバー》を構える。


「僕が毒ガスに引火させて爆発を起こします!」


 床を蹴り、一気に踏み込み――全力で戦斧を地面へと叩きつけた。


 鋼と岩が擦れる甲高い音と共に、火花が散った。


 次の瞬間――


 轟音とともに爆炎が巻き上がり、紫煙が瞬く間に赤く染まる。爆風が二人を押し返し、熱波が肌を焼く。


 フルグナが絶叫し、触腕を狂ったように振り回した。


「今です、ザガンさん!頭部の中心に奴の心臓あります!」


 セオドアは戦斧を手元に持たないまま叫ぶ。ザガンは頷くと、残像を引く速度で地を蹴った。


「任せろ!――《影爪穿断・連牙》ッ!」


 双剣が稲妻のように閃き、フルグナの頭部中央を一直線に裂いた。紫色の体液が噴き上がり、魔蛸の全身が痙攣する。


 断末魔を上げる間もなく、フルグナはその巨体を崩れ落とした。


 爆炎の名残が揺れる中、二人はまだ立っていた。


「……これでいいか?」


 ザガンが肩で息をしながら笑みを浮かべる。


「ええ……バッチリです......」


 セオドアとザガンが目が合い、互いに疲弊した笑みを浮かべた。


 だが、その勝利の余韻は、一瞬でかき消された。


 ゴォオオォォオ……。


 地の底から響くような咆哮。


 ミノタウロスのものだった。


 空気が震える。瘴気の残滓がざわめき、石の天井が微かに揺れた。


 咆哮を聞いたふたりは再び顔を見合わせる。


「……まずいな。あの牛野郎、近づいてる」


 ザガンの言葉にセオドアは背後を振り返り眉間に皺を寄せる。


(ここからは時間との勝負だ......)


「急ぎましょう、ザガンさん......!第五階層の下の階層を目指すんです!」


 セオドアがそう言うとザガンは驚いた様な表情を見せる。


「おいおい。俺がどうして下の階層を目指しているのを......ってあんたはループしたんだったか」


 自己完結したザガンは「ややこしいな」と頭を掻く。


「時間がありません!ループで見てきた事は進みながらお話しします!」


「わかった!」


 二人は煙を上げるフルグナの亡骸を背に、第五階層への階段を駆け下りた。


 石段を駆け下りる足音が、第五階層へと続く通路に反響する。


 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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