私は今日、車に轢かれて死ぬ。
雨音がうるさい。
いつもは大好きな、静かな雨音。
ここ一週間はずっと晴れていたのに、今日に限って見上げた空模様は今年一番の不機嫌さだった。
雨音がうるさい。
大粒の雨水が覚えたてのメイクを容赦なく流れ落としていく。
高校デビューは、失敗だった。
今年も一人歩く帰路の道は、雨粒の冷たさすら通さない程にひどく凍り付いているようにも思える。
雨音がうるさい。
制服はひどく濡れ、傘もささずに歩く私の事を、ふと通りすがりのサラリーマンが怪訝そうな顔で見ていた。
誠実そうな人だった。
だってその少し後ろを歩く小太りな叔父さんは、ずぶ濡れの私を少しばかり卑猥な目で見てきたから。
「……」
雨音がうるさい。
私はうざったいノイズたちを振り払うようにして、少し歩く速度を上げる。
途端にぴちゃりっと勢い良く水滴を上げる水たまりの山を、何度も、何度も踏みしめるように超えていくうちに、私の靴下はひどく濡れていった。
不幸だ。
私にとっての必然はみんな、不幸だ。
雨音がうるさい。
ああ、雨音がうるさい。
だけど不思議と、それを不快とは思わない。
今の私にとって、こんなものはノイズにすらなりえない。
いや、こんなときだからこそだろうか。
雨音がうるさい。
それでもなお、今も嫌いではないと、素直にそう思える。
雨音がうるさい。
ただ、それを好きだと言えたとしても。
もう大好きとは言えないかな。
今の私にはもう、縋りつくあてすら必要ないのだから。
少し歩いて、交差点に出た。
車も多く飛び交う、見慣れた交差点だ。
都会ということもあり、人通りも多く、うっとおしい程に色とりどりの傘たちがぞろぞろと横断歩道の上を流動していく。
午後16時。この時間は学生が多い。
なのに頭に浮かぶのは、今日もスーツ姿の叔父の顔。
あの人にされたことを、私は今でも忘れていない。
すでに携帯のロックは解除してある。
ラインのメッセージには既読無視した叔父さんの誘い文句。
これで十分だといいんだけど。
「……私が死んだら、あの人だけは悲しんでくれるのかな」
だとしたら、本当に皮肉な話だけれど。
私のささやかな呟きは、雨音の中にすぐに消えていった。
本当に、それほどまでにどうでもいい期待だった。
雨音がうるさい。
ピーピーというあの親切な機械音は聞こえなくなった。
青信号が赤に変わる。
横断歩道が随分とすっきり片付いた。
あともう少し。
横断歩道を挟んだ向こう側に、ふと一人の女子生徒が見える。
あれはきっと、この横断歩道を渡り切れたはずの私だ。
なんて楽しそうに笑ってるんだろう。
友達とちょっと濡れちゃったねってはしゃいでいるみたい。
濡れることを楽しいと思えるなんて、なんておかしな人なんだろう。
とても、羨ましい。
やっぱり、あの子はこの横断歩道を渡り切れたはずの私だ。
雨音がうるさい。
もういい加減、何もかも遮って欲しい。
ああ、雨音がうるさい。
雨音がうるさい。
今日が雨で本当に良かった。
最後の一言の代わりに零れ落ちたのは、一滴の雫。
私の涙だった。
有象無象の一つ一つにあっさりと流れ落とされるほどには、安い涙だ。
ああ、今日が雨で、本当に良かった。
信号は赤のまま。狙いは定まった。
――――ごめんなさい。
最後に心の中で謝ったのは、知り合いでもなければ、この先私が知り合うことも絶対にないと断言できる赤の他人だ。
雨音がうるさい。
だから今のうちに踏み出そうと思った。
雨音が消える。
代わりに鳴り響くクラクションの音。
私は今日、車に轢かれて死ぬ。