第16話 信頼の証
私は何度か深呼吸して、どうにか心を落ち着かせてからカイルに向き直った。
「えっと、でも……。お母様の形見なんて、そんな大切なもの……どうして私に?」
「大切なものだからこそ、姫様にお持ちいただきたいとのことでした。その指輪にはめ込まれた石は、ギルフォード様のお母上の祖国から採れるもので、古くから『災いから守ってくれる』と言われているのだそうです。お守りとして姫様に持っていてほしいのだと、そうおっしゃいまして――」
「それなら、ますます受け取れないよ! この指輪が、災いからずっとギルを守ってきてくれたんでしょう? お母様の想いだって、きっとたくさん詰まってるに違いないのに……。どう考えたって、ギルが持ってなきゃいけないものじゃない」
亡くなられたお母様だって、赤の他人の私なんかより、ギルに持っていて欲しかったに決まってる。
この指輪だって、ギルの側から離されて、悲しい思いをしてるかもしれないし……。
「お言葉ではございますが、姫様が受け取って差し上げなければ、ギルフォード様ご自身の想いの行き場が失われてしまいます。それに……姫様にお受け取りいただけないのでしたら、このまま私がお預かりしていなければなりません。恐縮ではございますが、私には重過ぎる責務です」
「あ……」
カイルに言われて、ようやく気付く。私が受け取らなければ、彼に迷惑がかかるということに……。
「そう……だよね。受け取らなかったら、カイルだって困っちゃうよね。……わかった。この指輪は私が受け取っておきます」
慌てて告げると、カイルはようやくホッとしたような笑みを浮かべて立ち上がった。
「でも……この指輪、いつギルから預かったの? ここを発つ直前?」
なんとなく気になって、訊いてみただけだったんだけど……。
カイルはハッとしたように目を見開いた後、何故か、私から気まずく目をそらした。
「いえ、それは……。あの……昨夜、たまたまお会いした時に――」
「ふぅん……。そっか」
カイルの言葉を受けて、何となくうなずいたものの……。
彼の様子は明らかにおかしくて、私は思わず首をかしげた。
なんだか、まるで何かを隠してるみたい……で……。
「あっ!」
閃いて、大きな声を上げてしまった。
カイルはビクッと肩を揺らし、戸惑ったような視線を私に向ける。
「姫様……? いかがなさいましたか?」
「あ……。う、ううん! なんでもないの。ちょっと勘違いして……。あは……あはは……」
カイルは怪訝顔で私をじいっと見ていたけど、作り笑いでごまかした。
昨夜、塔の上から二人を見かけたけど……もしかして、あの時かな?
あの時に、指輪の話をしてたのかも……。
気になっていた問題が一気に解消し、私は満足してうなずいた。
「ギル、カイルのことよっぽど気に入ったんだね。こんなに大切なものを預けるくらいだもの。きっと、心から信用できる人物だって思ったんだよ」
――うん、きっとそう。
信用してなきゃ絶対預けないもの、お母様の形見なんて――。
カイルにそこまで信頼を寄せてくれていたんだなと、なんだか嬉しくなって、私の顔は自然とほころんでしまっていた。
「……そんな、私のような若輩者を信用できるなどと……。畏れ多いことでございます」
カイルは恐縮したようにうつむいて、聞き取りにくいほどの小さな声で答える。
「ううん。ギルから信用されて当然だよ。私だって、あなたのことは心から信じられるもの」
だってカイルは、大好きな桜さんがこことは違う世界――もう二度と会えない場所――へ行ってしまったって知っても、『よかった』って思える人だもの。
これでもう、寂しい思いをしなくて済むって……一人で泣くようなことはなくなるんだからって、笑顔で言ってあげられる人なんだもの。
自分の幸せより、好きな人の幸せを願える優しい人――。
そんなカイルなら、誰からの信用だってすぐに得られちゃうわよ。
――なんてことを思いながら、一人で納得してうなずいていると、
「……ギルフォード様も姫様も……私を買い被っていらっしゃる……」
カイルの独り言のような声が聞こえて、私は反射的に彼を見た。
「カイル……?」
さっきからずっとうつむいていて、どんな表情をしているのかまではわからない。
だけど、聞こえてきた声はとても暗くて、心配になってしまうほど元気がなかった。
「どうしたの、カイル? もしかして、気分が悪かったりする……?」
「いいえ、そのよ――……。……はい。実のところを申しますと、少々……」
「えっ、やっぱりそうなの!?」
「……はい。ですので、大変心苦しいのですが……本日は、これにて下がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだよ! 今まで気付いてあげられなくてごめんね? セバスチャンには後で私から伝えておくから、早く部屋に戻って休んで?……あっ。一人で帰れる? 私じゃ頼りないかもしれないけど、歩くのが辛いようなら肩貸そうか?」
「いえ、姫様にそのようなことをしていただくわけには……。問題ございません。一人で帰れますので、どうかご心配なさらないでください」
「……そう? じゃあ、あの……お大事にね」
「はい」
カイルは深々と一礼してから、重い足取りで部屋から出ていった。
チラッと見えた顔は少し青白く見えて、さらに心配になってしまったけど。
彼の性格上、大騒ぎされるのは好きではないだろうと思い、見送るだけに留めた。
セバスチャンがきたら、『カイルの様子を見にいってあげて』って伝えなきゃなぁ。
確か彼は、騎士見習いの人たちのための寮みたいなところ――門の近くにあるっていう、別棟で生活してるんだよね?
騎士見習いの人たちって、身の回りのお世話は誰がしてくれてるんだろう? 寮母さんみたいな人っているのかな?
騎士や騎士見習いって、貴族の人たちばかりだって聞いたし。
まさか、家事は全部自分でしてるってわけじゃないとは思うけど……。
彼が出ていったドアを見つめ、私は騎士やカイルについてまだ何も知らないことを、改めて思い知らされていた。




