第10話 ノックしたのは?
数回ドアをノックする音が聞こえた後、
「ギルフォードだ。入ってもいいかな?」
カイルさんの様子が気になって様子を見にきたのか、王子の声がした。
――うん、やっぱり王子だった。
ノックの音がした瞬間、そんな気がしたのよね。
私はドアに近付いていきながら、『はい、どうぞ』と返した。
すると、ほとんど間を置かずにドアが開き、つかつかと王子が入ってきた。
「リア、カイルの具合はどう? 目は覚めたかい?」
「あ、はい。カイルさんなら、この通り――」
と言って振り返った先には、いつの間に身支度を整えたのか、片膝をついて深く頭を下げているカイルさんがいた。
(うわ、早っ! さっきまでベッドの中にいたのに、もう靴まで履いてる!)
あまりの素早さに唖然としていると、
「カイル、体の具合はもういいのか?」
王子がカイルさんの前に立ち、彼を見下ろして訊ねた。
「はっ、問題ございません。大変なご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「いや。今回の件に、おまえが謝らねばならぬ理由などないだろう。おまえは完全に被害者なのだからな。責を問わねばならぬのはセバスの方だろうが……彼を驚かせ、慌てさせてしまったのは私だ。だから、あまり責める気にもなれないんだ。……というわけで、もう顔を上げてくれないか。謝罪させる必要のない者に頭を下げさせているのは、気分が良いものではないしね」
「は! それでは失礼して――」
王子に促され、カイルさんはそっと顔を上げた。
二人の目が合うと、明らかに緊張しているカイルさんとは違い、王子はフッと微笑み、
「リアの護衛が騎士見習いの少年だと聞いた時は、正直なところ困惑したが……。どうやら、杞憂だったようだな」
何故かいきなり、そんなことを言い出した。
「え……?」
不安げにカイルさんの瞳が揺れる。
王子は立つように促すと、真正面から彼を見つめた。
「おまえが信頼に足る人物だとわかった、ということだ。カイル、おまえであれば安心してリアの護衛を任せられる」
「殿下……」
感動と戸惑いが入り混じったような表情で、カイルさんが王子を見つめ返す。
認めてもらえた嬉しさで感動するのはわかるけど、戸惑いの表情はどういった想いからだろう?
少し不思議に感じながら、私は二人のやりとりを傍から眺めていたんだけど――。
「リア」
「へっ?……あ、はい」
突然、王子に話しかけられた私は反射的に彼の方を向いた。
「悪いが、しばらく一人にしてくれないかな。少し疲れてしまってね。横になりたいんだ。カイルも、まだ休みたいようであれば自室の方でお願いしたいんだが――」
微かに笑みを浮かべ、王子は申し訳なさそうに告げた。
「あ……はい。わかりました」
「承知いたしました!」
私とカイルさんは素直にうなずき、そそくさと部屋を後にした。
「ねえ、カイルさん。王子……なんだか、ちょっと変じゃなかった?」
自室へ向かう途中、カイルさんと並んで歩きながら訊ねると、彼はキョトンとした顔で私をじっと見つめた。
「は? 変……と申しますと?」
「う~ん……。どこがどういう風に――とかは、うまく説明できないんだけど。なんとなく、変だなぁって感じちゃって。カイルさんはチラッとも感じなかった?」
「さあ……? 私には、特にそのようなところはお見受けできませんでしたが……」
「そう?……そっか。じゃあ、やっぱり私の思い違いかな? ごめんね、急におかしなこと言って」
「いえ、そんな。姫様がお気になさる必要などございません。私が感じ取ることができなかっただけかもしれませんし……」
「ううん。たぶん、私の気のせいだよ。王子って、ちょっと掴みどころのない部分があったりするじゃない? だから、ほんのちょっとした違和感でも、こっちが気にしすぎちゃってるだけなのかもしれない」
「そう……なのですか?」
カイルさんは微かに首をかしげた後、困ったように眉間にシワを寄せた。
「王子――いえ、ギルフォード殿下にお会いしたのは本日が初めてでしたので、あのお方のご性質などは、まだよく存じ上げていないのです。お役に立てず、誠に申し訳ございません」
「あ……ううんっ。謝らないで? 私が神経質になっちゃってるだけだと思うから。……うん。だからカイルさんも――」
「あのっ!……お話の途中、大変恐縮なのですが……私から、ひとつよろしいでしょうか?」
「へっ?……あ、うん。どうぞ?」
急に改まって、どうしたんだろう?
そう思って見返すと、カイルさんは私から視線をそらせ、
「あの……。もうそろそろ、その呼び方はおやめいただきたいのですが……」
すごく言いにくそうに、小声でお願いしてきた。
「え? 『その呼び方』って?」
「ですから、その……。カイルさん、ではなく……ただ『カイル』とのみ、お呼びいただきたいのです」
「え、どうして? さん付けじゃいけないの?」
「いけないと申しますか……。私は姫様の護衛。身分が下の者です。敬称など付けてお呼びいただいては……正直、困るのです」
「困る? 困るって……」
言いたいことは、なんとなくわかるけど……。
「それじゃ……もしかして、この城で働いてる人たち全員を、呼び捨てにしなきゃいけないの?」
アンナさんも、エレンさんも?
「はい。姫様が正統なこの国の継承者だとわかってしまった以上、これまでのように接していただくのは難しいのではないでしょうか。人目のないところでならば、問題ないかもしれませんが……」
「そっ……か。そういうもの……なんだ?」
姫って立場、ホントにめんどくさいなぁ。
親しみを持ってた人との間に急に壁ができちゃったみたいで、なんだか寂しいや……。
でも……私はもう、普通の女子高生じゃないんだよね……?
一国の……国を継ぐべき身分の者なんだ。
ああ……重いな。すっごく重い。
つい最近まで、特に重い責任もなくノンキに過ごして来た女子高生に、いきなり『国』なんていう大きなモノ背負えなんて、かなりキツイよ。
この国の歴史とか文化とか習慣とか……どれだけ覚えたり、身につけたりしなきゃいけないんだろう?
……ダメだ。
これまでのほほんと構えてた、能天気な自分が信じられない。
問題、山積みじゃないのよっ!
それに……かしずいたりかしずかれたりって、ホント苦手だし、大嫌いだけど……。
姫ってものに生まれちゃった以上、これからはちょっとずつ、受け入れていかなきゃいけないんだよね……。
「どうか、そのように悲しげなお顔をなさらないでください。呼び方がいかに変わろうと、私どもの姫様に対する忠誠心に、何ら変わりはございません。むしろ、敬称などない方が、より姫様に近しい存在になれたようで嬉しい気がいたします」
「えっ? そういうものなの?」
「はい。ですので、どうかこれからはカイルとお呼びください」
「うん……。わかった。じゃあ、えっと……か、カイル?」
「はい! ありがとうございます」
「そんな、お礼なんて……」
呼び捨てにされて『ありがとう』なんて、なんだかおかしな気もするけど……。
カイルさ――……ううん、カイルが嬉しいっていうならまあいいかと、要望を受け入れることにした。




