第5話 罠に掛かった姫
「ちょ――っ、ちょっと待って! そこで止まって! 止まってくださいってばッ!!」
少しずつ距離を詰めてくる王子に、私は両手を前に出して訴えた。
「どうして?……おかしな人だな。何をそんなに怖がっているんだい?」
余裕たっぷりに微笑を浮かべた王子は、私の訴えを聞いてくれる気はないらしい。
ゆっくりとした歩調ではあるけど、近付くことをやめようとしない。
「こっ、怖がってなんかいません! 怪しんでるだけです!」
「怪しいって……誰のこと?」
「王子ですっ!」
「……ひどいな。リア、君は本当にひどい。この私が、君に危害を加えようとしているとでも思っているのかい?」
「……き、危害を加えるとは思ってませんけど……。でもっ! 絶対、何か変なこと考えてるんでしょうっ?」
「『変なこと』? 『変なこと』って……具体的に言えばどんなこと?」
「それがわからないからっ!……け、警戒してるんじゃないですか」
そうやって言葉のキャッチボールをしてる間にも、王子はジリジリジリジリ近付いてきて、さらに距離を縮めようとしてくる。
私は王子のスピードに合わせながら、一歩ずつ、一歩ずつ後ずさりして……。
そんな感じだから、二人の距離は縮まるようでいて、いっこうに縮まることはなかった。
「ふぅ……。仕方ない。君がそれほどまでに嫌がるのなら……残念だが、諦めよう」
ふいに、王子はそう言って立ち止まった。
「『諦めよう』?……ほーらっ、やっぱり! やっぱり何か、変なことしようとしてたんでしょうっ?」
あー、よかった。警戒しといて。
私は内心ホッとしながら、手の甲で額の汗をぬぐった。
「リア……。だから、『変なこと』ではないよ。君と、ちょっとしたゲームをしようと思っていただけなんだ」
「――へっ? ゲーム?」
「そう、ゲーム。……ゲームは好きかい?」
「えっ?……そりゃ、まあ……嫌いじゃないですけど……。あ。でも、ゲームの種類にもよりますね」
「種類? たとえば、どんなゲーム?」
「……ん~……。そうですねぇ……」
改めて訊かれると、とっさには出てこないもんだなぁ。
ゲーム……ゲームかぁ……。
う~ん、ゲームねぇ……?
ゲームって言っても、この世界には家庭用ゲーム機はないだろうし、PCも携帯ゲーム機も、もちろんスマホだってないよね?
――とすると、ゲームって……えっと、たとえば……オセロとか?
囲碁や将棋じゃシブ過ぎるし……第一、やったことない。
あとは……カードゲーム?
トランプとか、タロット――……は、ゲームじゃなくて占いか……。
んーっと、じゃあ……そうだ! 花札はっ!?
あれはゲーム自体より、派手な色彩とか絵柄とか、猪鹿蝶とか花見酒とか月見酒とかって役の名前が、なんか綺麗で好きなんだけど。
……ま、当然、この世界にあるワケないよね。
――っと……ん?
……ああ、そっか。
そもそも、この世界にどんなゲームがあるか知らないんだから、好きなゲーム訊かれたって答えられるワケないんだ。
「王子。この世界のゲーム……って?」
顔を上げたら、王子の顔がすごく間近にあって……一瞬、固まった。
「へ……?」
思いっきり油断してた私は、すぐには事態が飲み込めず……。
「掴まえた」
ニッコリと微笑む王子に私の右手首はしっかりと掴まれ、もう片方の手は腰に回されて……。
気が付くと私は、まんまと王子の手中に落ちていた。
「……~~~っ!」
騙されたとわかり、恥ずかしさと悔しさで、体中が燃えるように熱くなる。
「ひ……ひどいっ! 『どんなゲームが好き?』とかって訊いといて……騙したんですねっ!? こっちが一生懸命考えてる間に、こんな――!……バカっ! 王子のバカバカっ! 卑怯者っ、恥知らずーーーーーッ!!」
思いきり手足をバタつかせてもがいても、王子の体は相変わらずびくともしない。それどころか、さも余裕ありげにクスクス笑っていたりして……。
「リア、君は本当に可愛いね。だが……こうも簡単に警戒していた相手に隙を見せてしまうとなると、少し心配かな」
「――は!? 心配っ?……何がですかっ!?」
訊ねつつも、私は往生際悪く、王子の手からどうにかして逃れようと、渾身の力を振り絞って抵抗を続けていた。
それでも王子は顔色ひとつ変えず、
「何がって……。君を狙って、他の男が同じようなことを仕かけたとしたら困るだろう? 君はやはり、たやすく罠に掛かってしまうのだろうし……」
「な――っ! そんな心配しなくても、こんなことする人は王子くらいしかいませんっ!」
……ホントに、こんな意地悪な人初めてだ。
あっちの世界では、私の周りにいる男子は、みんなどこか子供っぽかったし、意地悪の仕方も呆れるほどレベル低くて……。
言い返したり反撃したりなんてことは、簡単にできた。
私が意地悪されっぱなしで終わる――なんてことは、絶対なかったのに……。
「……そうかな? 君は、男という生き物が本当はどんなものか……特に、どうしても手に入れたいと思っている人を前にすると、どう変わるのか、まだ理解してはいないだろう? 男が欲望に駆られて本気を出したら……怖いよ?」
一瞬、王子の瞳が妖しく光り……ゾクッとした。
怖いって……王子のことが怖いって、ちょっとだけ思ってしまった。
でも、そんなこと悟られたくなくて、
「怖い? 怖いって、何がですか?――確かに、こうやって無理矢理体の自由を奪われて――次に何されるかわからないって状態は怖いですよ? でも……でも王子は、私が心の底から怖がったり嫌がったりするようなこと、絶対にしませんよね?――いいえ、できないはずです」
……なーんて、強気に出てしまい……。
「ふぅん……? そう考える根拠は何? 私に、君を好きだという弱みがあるから? 好きな相手に嫌われるのが怖いから、私は何もできない。できるわけがない。――そう言いたいのかい?」
「そ――っ、そこまでは言ってません、けど……」
「では、どうして? 君が――私が何もできないと思う理由を、是非とも教えてもらいたいな」
「――っ!」
……マズイ。
なんだかわからないけど、王子の瞳の輝きが……ますます強くなった、ような……?
「ねえ、リア? 教えてくれないのかい?」
「――う、うぅ……」
「君がそう思うのは、何か確信めいたものがあるからだろう? だったらそれを……ハッキリと口に出して、説明して欲しいんだが」
「……う……、うぅぅぅ……っ」
――ヤバイ!
完全にヤバイ!!
王子の顔が、どんどん近付いてくるよぉおおーーーーーッ!!




