第1話 戻ったとたん
「えっ、地面がない!?」
扉の外へ一歩足を踏み出した瞬間。体は空中へ投げ出され、私は真っ逆さまに落下した。
「ひゃあっ!?」
「ピギャッ!!」
ぼふんっという弾力のある感触と、ふわふわもふもふの肌触り……。
「セバスチャン!」
初めてこの世界に落ちてきた時と同じだ。私はまたしても、セバスチャンの上に落下してしまったようだった。
慌てて体を起こして立ち上がると、セバスチャンはゆっくりと顔を上げた。
「ピ……? ひ、姫様っ!……ああ、ようございました。ご無事でお戻りになったのですなぁ~」
私の顔を見たとたん、じわりと瞳を潤ませる。
……う、マズい。
このままじゃ、またメソメソ泣き出しちゃう。
焦った私は、あえて返事をすることなく、両手でセバスチャンを抱き起こした。
彼の体についた汚れを払ってから、何気なく辺りを見回すと――。
「……ありゃ? だいぶ暗くなっちゃってるね」
森の中ってこともあるのかもしれないけど、予想以上に薄暗くなってしまっている。
こりゃあヤバイぞ。早く城に戻らなきゃ。
急いで戻ろうと伝えるため、セバスチャンを振り返る。
すると、心配そうにこちらを窺っているシリルの姿が目に入った。
「シリル!……うわー、シリルも待っててくれたんだ? ごめんねー、長いこと待たせちゃって?」
謝りつつ近付くと、シリルはふるふると首を横に振った。
「いっ、いいえっ! だ、大丈夫ですっ! ひ、姫様のためならいつまでだって待ってます!」
「……シリル……」
もう。可愛いことを言ってくれちゃって……。
「ありがとうっ、シリル! 私もシリルのためなら、なんだってしちゃうからねっ」
キュンとして、思い切り抱き締める。
シリルはしきりに恐縮して、
「そ――っ、そそっ、そんなっ!……も、ももももったいないお言葉でございます!」
どもりまくりのシリルの頭をなで、
「うんうん。ホントにシリルは可愛いねー。……っと、いけない。そろそろ戻らなきゃ。ね、セバスチャン?」
言いながら振り返ると、セバスチャンはのんびりと相槌を打つ。
「はい。さようでございますなぁ。急がねば、日が暮れてしまいますし……」
――その時だった。
シリルはハッと息をのみ、私をかばうように片手を横に出して、辺りの様子を窺い出した。
「姫様、急いで私の後ろに!」
普段はおっとりしているシリルの聞き慣れない鋭い声に、私はビックリして目を見張る。
「えっ? どうしたのシリル?」
「シッ!……申し訳ございません。しばらくの間、静かにしていてくださいますか?」
「へっ? あ……う、うん……」
いつになく深刻な表情のシリルに、私の心臓はドックンと跳ね上がった。
こんなにピリピリしたシリル、初めて見た……。
いったい、どうしたんだろう?
「……姫様、セバス様。私が合図を出しましたら、城に向かって全力で走ってください。いいですね?」
「えっ?……で、でも、シリルは?」
「僕は大丈夫です。こう見えても、姫様の護衛役ですよ?」
「シリル……」
「姫様、シリルの指示に従いましょう」
セバスチャンに促され、心配ないと言うようにニッコリ笑うシリルを見て、私は渋々うなずいた。
しばらくは三人とも、周囲の様子を窺いながら、その場でじっとしていた。
私も耳に意識を集中してみたけど……全然ダメ。
風に揺れる木々のざわめきと、どこかで聞こえる鳥の声くらいしか捉えることができなかった。
普段はほわ~っとしているのに。
やはりシリルは、天才剣士と言われるだけのことはあるのかもしれない。
すぐ目の前にあるシリルの華奢な背中を、私は初めて頼もしく感じた。
「……三人、だと思います」
ふいに、シリルがつぶやいた。
「え? 三人って?」
「前方の木の陰に一人、右手の茂みの後ろに一人、あとは……左手の木の上に一人。こちらの様子を、さっきからずっと窺っています」
「えっ、そんなのわかるの!?――っと、ごめん……」
思わず大きな声を出してしまい、慌てて小声で謝った。
「いいえ。……ただ、困りました。こうも囲まれていては、どの方向に走っても、すぐに行く手を阻まれてしまうでしょう」
「そっか……。でも、いったいどんなヤツらなの?」
「それは……。申し訳ございません。そこまでは――」
「あ、ううんっ。三人いるってわかっただけでもすごいよ。私なんて、全然わかんなかったもん」
感心してシリルを見つめると、彼は恥ずかしそうにうつむいた。
「いえ、そんな……。私はまだ、見習い中の身ですし……」
「まだ見習いなのに、これだけ鋭い感性持ってるなら充分すごいってば。きっと、誰よりも立派な騎士になるよ、シリルは」
なんだか、自分のことみたいに嬉しくなってしまって。
一瞬、緊迫した状況下なのも忘れて、私はニヘラと笑みをこぼした。
「姫様……」
消え入りそうな声で恐縮するシリルの頭を、またナデナデしたい衝動に駆られたけど、我に返ってググッと我慢する。
……いけないいけない。
どうも私ってば、緊張感に欠けるわ……。
「ねえ、セバスチャンもわかるの?」
ひそひそ声で訊ねると、意外にも、セバスチャンはこっくりとうなずいた。
「はい。うっすらとではございますが……。只今、配下の者に様子を探らせておりますゆえ、少々お待ちくださいませ」
……へ? 『配下の者』……?
そんな人、いったいどこに?
ぼけっと考えていると、一羽の小鳥がパタパタと近付いてきて、セバスチャンの肩に留まった。
ピユピユと何やらさえずると、再びどこかへと飛び去る。
「……ふむ。やはり、三人の男が潜んでおるそうです。野盗のような格好はしておらず、騎士のような姿である――とのことでございます」
「え? なんでそんな詳しいことがわかったの?……え? まさか……」
今の小鳥っ?
鳥が教えてくれたってこと!?
「はい。私には、側にいる同族を味方にし、使役する能力がございますので――」
「へぇ~……。それも『神の恩恵を受けし者』の力?」
「はい。そう呼ばれる者たちは、皆一様にそのような能力をそなえております」
「……なるほど。そういうことなんだ……」
――なんて、感心してる場合じゃないって!
三人潜んでるって、これでハッキリしちゃったんだから。
しかも、周りをがっしり囲まれてて、袋のねずみ状態だし……。
「どうしよう……。私も剣さえあれば、ある程度は応戦できるのに」
「姫様! そのような危険な真似、許されませんぞ!」
「でも! 相手は大人の男の人たちなんでしょ? それをシリル一人に相手させるなんて……。いくらシリルが天才だからって、無茶すぎるよ!」
「シリル一人ではございません。今、あの者に仲間を呼びに行かせております」
「――仲間?……って言ったって、あんな小さい子たちじゃ……」
「姫様、セバス様!――来ます!」
シリルの鋭い声が飛ぶ。
「え? 来るって……」
顔を上げた私の目に、ゆるゆると三方向から近付いて来る、剣を手にした男たちが映った。




