幸せを運んだのは
私は私の運命に嘆息した。
本来ならば跡を継がなくても良い立場。家族仲もよいわけでもなく、成人してからは自由に過ごさせてもらった。父、母、そして跡取りである兄が亡くなるまで。
それは雷鳴響く夜中のことだった。研究を続けてようやく成果がでて、その成果をどう使おうかと思いふけっていた。扉が激しく叩かれる。
「誰だ」
「セバスでございます。おぼっちゃま」
かけられた声とともに同時に脳裏に扉の向こうの人の思考が流れてきた。
(早く、早く帰っていただかねば。旦那様も、奥様も、兄君リアム様も皆、もう)
執事だ。私の唯一の味方だった。いつも冷静沈着な男の上ずる声に私は眉を顰めた。
横にかけていたタオルを手に鍵を開けて扉を開く。雨で濡れそぼった姿に急いでタオルを渡した。
「行こうか」
「畏まりました」
私たちにはこれだけで通じる。彼だけだ。私の信頼できるのは。久しぶりに馬車で帰る実家はいつまでも着かないような気持ちがした。
そこからは目まぐるしかった。借りていた研究のための家も手放し、急遽跡を継ぐための仕事をこなす日々。その中でも親戚がわらわら寄ってきて鬱陶しい。
そんな中でもようやく研究成果のその先を開発した。チャーム型に小型加工した能力封印機。私に特化したもので、私以外にも使えるかわからない代物。
常に他人の思考が断片的に流れてきてしまい、触れればより鮮明に他人の考えていることを読み取ってしまう自分には、早く欲しくて仕方なかった代物だ。
「なぜ今、できるのだろうか。早くあれば父上も母上も、気味悪がらなかったろうに」
「いえ、能力も使い方次第でございます。ぼっちゃま。いや、伯爵様。現に寄生虫どもをあしらえたでしょう」
「まあな。しかし相手の思考が勝手に流れてくるのも考えものだ」
「使い分けができたら良いですな」
「ああ、そうだな」
まだ研究しがいはある。自分の意志で使いたければ使えるように、起動の切り替えをできるようになれば。それも相手に見えないようにできれば。
ああ、研究は面白い。やることが山積みなのが嫌になるくらいだ。
机に山積みになった領地の陳情に手を伸ばした。
「して、お嫁様の話ですが」
「なっ。そんな話、もうあるのか」
「兄君の婚約者がおりまして。相手方と連絡取りましたところ、そのままスライドできないかとのことでした」
なるほど、と私は顎に手をおいた。これから求婚の手紙がさらに山積みになるよりはいいかもしれない。
「その通りにしようか。相手が良いと言っているのだから」
相手がどう思っているかは知らない。私でいいというならばそのまま受け入れるべきだ。だが、私の能力を素直に告げるべきかは悩むところである。
「兄君は御相手様をよく思われておりませなんだが、穏やかな方ですよ。我々にも気を配ってくださり、よく学んでおられる。ただご家族に恵まれてなさげでございます」
「そうか」
「政略相手など私好みでないとよく兄君は仰ってました。貴方様はそのようなこと、仰ってはなりませぬぞ」
「分かってる。大切にする」
調べてみれば輸送の道路を通すための政略らしい。雨が降れば決壊をする川もあれば土砂崩れしやすい箇所もある。そこをどうにか安全な道にすれば、物流が豊かになり王都へ向かう日数も短くなる。
父も兄も道の整備しか考えてなかったらしい資料の前で、いかにそれを利用して我が領に足を止めてくれる場所を作るか考えねばなるまいとため息をついた。
山程の問題を片付けていてある日だった。
領地の町の視察で一匹の犬を見かけたのは。薄汚れた茶色い毛並みに肋の浮かぶ哀れな姿だけでない。
───タスケテ、ネェ、アイシテ
魔道具がうっかり外れてしまったせいで聞こえてきた言葉に思わず馬車から飛び降りた。周りから不自然に見えないようにわざと声を上げながら近づく。
「おや、一日動いてないようだから見てみたのだが、この子は生きているね」
「伯爵様、馬車から降りないで、待って、くださいませ」
「セバスよ、この子のための医者を手配しようではないか」
セバスはいきなり馬車から降りた私を息切れしながら追いかけてきた。ニッコリと笑って告げる言葉にセバスは呆れた顔で頷く。
手を伸ばせば唸り声を上げる。しかし、噛みつこうとはしなかった。耳を伏せ、尻尾を丸め、低く唸りながらも私の手から逃げようとはしない。
触れるとビクリと身体をはねさせる。唸り声はやめないが、頭は撫でさせてくれた。
人馴れは何処かでしたのだろう。こんなところに賢い子を捨てるなど、愚かな、よろしくない人間もいたものだ。いや、そもそも捨てること自体愚か。
「こやつ、賢いらしい。唸るだけで噛みつきはしないな」
「嫌がってませんか。唸ってますが」
「噛み付かぬぞ。ほら、こうしてもな」
抱き上げると、尻尾を丸め込み、硬直状態となった。唸り声も止まる。思ったより暖かな犬に生きているんだなとぼんやり思う。
「ほら、怯えているだけだ」
ゆっくり撫でてやる。再び唸り声を上げても気にならない。この子を大切にしてやる。私の大切な子だ。
セバスは呆れたように小言をずっと言う。
「あなたは伯爵となったのです。少しは伯爵らしくしてください」
「うるさい。セバス。いまは屋敷だ。私の自由の時間だ。子作りしなければ市井に出て研究をしていて良い許可出したのに、兄が亡くなったから連れ戻したのだろ。少しは私の自由な時間もほしい」
「はぁ」
仕方なさげにため息をつかれ、やっと犬を引き取ることを受け入れてくれた。
その日から私は少し穏やかな生活となった。まだ親戚の問題も、領地の問題も山積みだ。それどころか婚約者とは文を一方的に送る以外何も音沙汰もない。
セバスに調べてもらえば、どうも私の文は渡されてないらしいし婚約者の文は私に送る前に没収されているらしい。どうやって調べてるのやらとセバスに聞けば、秘密ですとそっぽ向かれた。
どうにか直接できないかと試みて鳥の魔道具による文の交換はできるようになった。
そんなこんなしているうちに私の拾った犬はくりくりとした黒い瞳のかわいらしい姿になっていった。
私を見る度に全力で尻尾を振り回し、歓迎する姿に癒される。私に撫でられるのが好きならしく、気持ちよさげな顔で甘えてくるため、甘えさせすぎないようにセバスには注意されることが多くなった。
大変だけれども穏やかな日々。私は婚約者の領地とその隣の公爵家との間の話し合いに出かけようとしていた。最近は唸り声も上げなくなった私の犬が激しく吠えたてる。眉を顰めてセバスが犬をなだめようとしたが、その手を振り切って私の服を思いっきり引っ張った。布が千切れた。
あまりにおかしい。
私は魔道具を外した。
───襲われる。ご主人様、襲われる。怖い。嫌だ
断片的に雪崩込んでくるこの子の思考は要領を得ない。触れたほうがよく他人の思考が流れてくる。その代わりその人の心と同調して息苦しくなるのだけれど。
何か訴えたいこの子の気持ちを受け取らねば。覚悟すべきだな。ゆっくり座って頭をなでるふりをして触れた。
同時に犬の脳裏に映っているものまで流れ込んできて思わず息を呑んだ。私が山賊に襲われて崖に落ちていく姿だ。崖の場所も心当たりがある。この子は・・・・・・。
尻尾を丸める犬を抱きしめる。絶対私は生きて帰る。
「さみしくなったのかい? 大丈夫、すぐ帰るからな」
徐々に悲痛な声になる。申し訳ない。どうしても行かなければならないのだ。遅れるわけにもいかない。結局私は後ろ髪を引かれながらも服を着替えて仕事へ向かった。
山賊の現れた時刻は犬から読み取った映像の太陽の位置を考えれば、今から一刻後ぐらいだろう。今屋敷から出ればちょうど崖の辺りを通りかかる時刻だ。わかってればその道を使わずとも行ける。公爵家の道を通って行こうか。そうなると少し遠回りになるが、道を変えれば問題あるまい。
急いで公爵家へ出した魔法の手紙はすぐに帰ってきた。もし来るならば公爵家に寄って、共に話し合いの場所まで行こう、歓迎する、と。
これで予知とは全く違うようになったはずだ。
その日結局ほとんど予知どおりとなった。ただ、襲われた場所が崖ではなく、公爵家の領地内であり、助けが入った以外は。
馬車を急かしながら、護衛にどう言うべきか、もし山賊に襲われたらと悩んでいるうちに襲われて、身構えもしてなかった私の護衛たちはほとんど抵抗もできず倒れ伏していった。
私は身につけもしてない下手な剣でなんとか交戦しながらも、血が目に入って前も見えずに振り回すだけとなっていた。
死も覚悟した。
「何者だ。助太刀いたす」
わざわざ公爵家の騎士団が迎えに来てくれていたようだ。そのおかげで私たちは助かったが、私自身脚の腱を傷つけられ公爵家で療養をさせられていた。
公爵からも自分の領で襲われていたのだと手厚く饗され、恐縮する思いでいっぱいだ。
あの山賊はただの山賊ではなかったらしい。婚約者の実家が私の噂を聞いて何に腹を立てたのか、私を下に置くために山賊をけしかけたと聞かされた時、なんと言えばよいか分からなかった。
とにかく私の婚約者の安全を願い、公爵に頼み込めば苦笑いされた。婚約者の生家は当主の交代となることは決定打とした上で、婚約破棄にはならない様にすると約束されてやっと私はホッとした。
時折セバスから届く文と婚約者の文を楽しみにしながら脚を動かす稽古をしていたが、気になることが日々降り積もっていく。
特に私の犬の様子が不安でしかない。どんどんやせていると聞いて、早く戻らねばとより稽古に力を入れた。
帰る許可が医者から出るまで10日もかかった。やっと帰ったら、あの日のように痩せてしまった犬が私を見つめていた。
「やあ、帰ったぞ。こんなに痩せてしまって。心配かけたね、私の幸運の犬よ」
あまりにプルプル震える足で立ち上がってくるもんだから私から近づいて抱きしめた。
「君が吠えるから気になってな。いつもより早く終わらせようとしていたんだ。とある峠で盗賊に襲われたが、早く終わらせようとしたためかたまたま仕事先の領地の騎士団の見回りの時間だったのだよ。君は知らせてくれたのだな、ありがとう」
本当は峠でも崖でもないけれど。なんなら騎士団は私を迎えに来たからだけど。多少はいいだろう?予知通りにすべてなるわけでない、安心しろと全力で撫で回す。
「いや、犬ですよ。予知できない、たまたまじゃ」
「喧しい、セバスよ。これはきっとこの子のおかげだよ」
セバスはあきれ気味に言うけれども、この子が予知できるなんて私しか知らなくていいんだ。私とこの子との秘密だ。この子の能力が誰かに知られれば道具として使い潰されかねない。私だけが知ってればよいのだ。
この子は私の幸運の犬だ。
「あの日、ゆっくりしていたら盗賊に蹂躙されていただろうからね」
頭を擦り寄せて甘えた声で鳴く犬を撫で回した。
ずっと手放しやしないと、決意しながら。
暫くして、婚約者とやっと会えることとなった。涼やかな切れ長の目の婚約者を見た時、私は顔を真っ赤に染めてしまった。この世にないくらい可憐な妖精が目の前に現れたのかと思った。
セバスに突かれてやっと言葉を発した。
「はじめまして。私のことはエドワードと呼ぶように。私の婚約者殿」
「エドワード様。はじめまして。ハーマン子爵家のメアリーと申します」
あまりにも可愛すぎて顔に熱が集まってきた。無言ですら居心地がいいなど思いもしなかった。
その日はほとんど会話もできず、セバスに呆れられた。何回も会ううちに話も弾むようになり、私の幸運の犬は何度も会話の中に出るようになった。
「あの、その子に会ってみたいのですけどもよいでしょうか」
「ああ、いいとも!是非」
「ありがとうございます」
婚約者を連れ立って私の幸運の犬のところへ行く。私の幸運の犬は寝そべっていた体勢から、体をゆっくり起こす。鼻で空気をスンスンと吸って目を見開いたように見えた。
「この子が私の幸運の犬だ。この子が私を守ってくれているんだ」
「まあ、あなたのナイトですの。あら」
婚約者は首を傾げる。そっと私の幸運の犬の顔を細い指先で包む。犬は尻尾を揺らした。はじめはゆっくりだったのが徐々に激しくなる。
私には見せたことがないくらいはち切れそうなくらい振られる尻尾に、大歓迎らしいと寂しさと喜びを覚えた。
「昔飼っていた子に似てますわ。あのコはお父様に捨てられてしまったのですけども」
「ああ、いつも言っている子か」
「新しい子は要らない、あの子を返してって私が叫んだ子ですわ」
そうか、と私はつぶやいた。
「あの子が生きていたらこんな感じだったかもしれないわ。ねぇ、この子の名前は」
「そういえば、私はこの子を「幸運の犬」とばかり呼んで、名をつけていなかったな」
「まあ。あなたらしいけれども。私が名付けても良いかしら」
「いいよ。婚約者殿」
「ねぇ、あなたはサム。私の小さなナイトと同じ名前でも良いかしら。エドワード様の幸運のナイト様」
私の幸運の犬はワンと返事した。私と婚約者は顔を見合わせて笑う。
「婚約者殿、いや、メアリー殿、この子サムともども、よろしく頼むよ」
美しい空の色の瞳が見開き、やがて白玉をこぼしながらほほ笑んだ。私はその涙を指先で拭う。
「あら、ハーマン子爵家の親不孝者ですがよろしくって? 」
「私には過分なお嫁さんだよ。早く私の家に来てほしいくらいだ」
「ありがとね。エドワード様。サムもよろしくね」
何ていう幸運だ。この私の幸運の犬、サムが来たからこそ、幸せが運ばれてきたに違いない。
君は私とメアリーの幸運の犬だ。




