仇神様
「おや、来たのかい。坊や」
森の中にある社。
その中に閉じ込められた薄明の透き通る色に似た髪を持つ少女が僕に親し気に声をかける。
「もう来ないかと思っていたぞ」
そんな声を僕は無視する。
昔、父から教わったことを僕は未だに守っている。
『神様の言葉に耳を傾けてはだめだ。何を言われても無視をし続けろ』
僕の家系は代々、ある神様を祀っていた。
文字の記録にある限りでは千年以上昔から。
一族が伝える言葉が正しいのならばもっと昔から。
いずれにせよ、僕らはずっとこの神様と付き合い続けていたのだ。
何故なら、この方は必要な存在だから。
「坊や、教えてくれ。最近、この近くにあった神社が一つ取り壊されただろう?」
その話なら知っていた。
確かに、隣町にあった神社が一つ取り壊された。
「そこに祀られていた神はな。私を除けばこの土地を支配する最後の神だった」
僕は返事をしなかったし、反応だって見せなかった。
ここで僕がするのは掃除だけ。
神様の住まう場所はいつでも神聖でなければならないから。
この場所を神聖に保つ。
これだけが僕らに出来る唯一の感謝の方法だったから。
「坊や、笑えるだろう? 今やこの土地に居る神は私だけなのだぞ?」
掃除をしていた手が無意識に止まっていた。
確かに考えてみればおかしいかもしれない。
今、この土地に存在する神が彼女だけだなんて。
僕の思考を読んだかのように彼女は言った。
「くだらぬお守りを作るだけで社を蔑ろにしたから北の神は人を見放した」
あぁ、その通りだ。
北にある福の神の神社に行ったことがあるが、社に神はおらず居るのはお守りを買いに来た人間だけだ。
「東の神は土地を奪われ、そのまま妖となった」
あぁ、その通りだ。
東にあるトンネルは僕が生まれるずっと前に神社を取り潰して造られたと聞く。
しかし、トンネルが出来てから何度も死亡事故が起き、今じゃ心霊スポットとして有名だ。
「そして、南の神は誰からも忘れ去られ気づかぬ内に死んでいた」
あぁ、その通りだ。
南にある神社は神はおろか人さえも立ち寄らない完全な廃墟となっている。
こちらも取り壊しの計画が出ていたが、先日、遂に決行され神社は完全に潰された。
「坊や。教えてくれ。西の神である私はいつになれば消え去ることが出来るのだ?」
僕は無言のまま掃除をし終えると踵を返して歩き出す。
「おぉ、坊や。行ってしまうのかい」
神様の言葉を無視する。
「寂しいなぁ、坊や」
無視し続ける。
「酷いなぁ、坊や」
僕は社を出て十分な距離が取れたと確信してから振り返り背を正して静かに一礼をした。
「申し訳ありません」
一つ息を吸って謝罪する。
社がどれだけ寂れようとも、どれだけ不潔になろうとも、きっと、彼女は他の神と違い消え去ることは決してない。
何故なら、彼女は人間であれば誰もが抱く強い感情によって存在する最も恐ろしい神なのだから。
人が誰かを呪う時に力を得る、遥か昔から人間と共に生きてきた恐ろしき神様。
彼女の名は仇神。
人間にとって最も恐ろしい神にして、人間によって最も弄ばれている神様だった。