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甘口

 戦闘実験開始から二日目。午後六時前。

 猫屋敷との会話が打ち切られた後のこと、木嶋はタブレットから動画サイトにアクセスし、音楽を流したままデスクの上に突っ伏していた。

 タブレットのボリュームは弄れないため、音量は小さく物足りないものがあったが、先ほどの猫屋敷とのやり取りから更にストレスを溜めた彼は動画を視聴する気分にもなれず、適当な音楽を流しながら気持ちを落ち着けようと躍起になっていた。


 あの狸親父たぬきおやじめ。

 頭のおかしい奴だってことはわかっていたが、ここまで性格が曲がっているとはな。

 この実験といい、あのいい加減な話し方といい、金持ちってのはやはり頭のネジが何本も吹っ飛んじまってるのかもしれねえ。


 そんな風に頭の中で文句を浮かべていると、やがて『食事の時間です』と、無機質な機械音声が室内に響く。その声に反応した木嶋は顔を上げ、透明なガラス越しに外を見ると、案内人の瑠奈がクレーン車を操作して室内に夕食を降ろしている最中だった。


 外では少し風が吹いているのだろうか――。

 瑠奈の細く、艶のある黒髪は時折揺れ、その動きに合わせるかのように、ひらひらとした服が揺れてなびく。合わせて、女特有の華奢な身体のラインが浮き上がり、そのシルエットには確かな色気が感じられる。

 実験室に入ってまだ二日目だが、常に暇を持て余し、他人と触れ合うこともない生活を送っていた木嶋にとって、若い女を眺める機会そのものが貴重となりつつあったためか、彼はそんな瑠奈の姿を舐めるように見つめていた。表情はいつも通りで、固く、不愛想そのものだ。

 もっとも、この馬鹿げた仕事内容から考えても、それは当然と言えるかもしれないが、彼女の雪のように白い肌と小さな顔、そして大きめの瞳はポーカーフェイスも相まってか、人形に近しい美しさ、あるいは可愛らしさを感じさせるものがあった。


 それから五分もかからず、瑠奈は自分に与えられた仕事を終えるとクレーン車を降り、そろそろと歩き出す。彼女のその足が実験室に近付いてきた時、木嶋は分厚いガラスを少し強めに二度ほど叩いてみた。

 だが、瑠奈の方はそんな木嶋の動きには全く気付かないといった様子で、足早に去っていこうとする。


「おい、今日の飯は何だい、美人さんよ」


 木嶋はデスクにかけたまま、おどけた調子で「ちょっとこっち向いてくれよ」と続けるも、彼女の歩調は緩まない。

 実験室は防音仕様が施されているらしいので声を上げた所で外へは届かないことはわかっていたが、それにしたって目が見えるのならば、こっちの動きに反応くらいはしてくれたっていいんじゃないかと、木嶋はそう思っていた。

 だが、一方で反応がないのは不自然ではないとも考えた。

 召使いという立場を考えてみれば、彼女の方から何らかのアクションを起こすことなど考えにくい。

 その上、こちらは裸だ。椅子に座ってデスクに向かっている今の状態ならば、下半身まで見えることはないが、若い女が積極的に近付きたい状態だとは言えないだろう。

 第一、案内人である瑠奈の方から不要な干渉をすることはない、という連絡は既に先日、猫屋敷から聞いている。その発言を言葉通りに受け止めるなら、今の瑠奈の態度からも、彼女は単なる食事の配給係に終始するつもりなのだろう。


 木嶋は一つ息を吐くと頬杖を突き、もはや触り慣れたタブレットに指を押し当てた。そうして新しい動画を探そうとした所で、ふいに視線を感じた。首を回して、横へと向けると、ガラスの壁の外側には瑠奈が立ち止まっていた。

 不意に目に入った瑠奈の姿に驚いた木嶋が目を丸くしていると、瑠奈は少し不思議そうな表情で小さく首を傾げるような仕草をする。そうして木嶋の目を見つめると、その大きな瞳を宝石のように輝かせながら、ぱくぱくと口を動かす。

 しかし、透明な壁に阻まれた実験室内に外からの声が届くことはない。

 木嶋は眉をよせると、彼女の方も実験室内は防音であることに気付いたのか、ゆっくりとした動作で胸元に右手を入れ、服の中から何かを取り出す。出てきたものは小さなメモ用紙だった。

 瑠奈は次にマジックペンを取り出すと何かを素早く書き出し、木嶋のいる方へかざしてくる。


 “カレーライス”


 ――カレーライス……?

 出てきた文字に、木嶋は訳も分からず困惑の目を向けた。

 木嶋の戸惑いを察したらしい瑠奈は、白く、細い指を立て、軽く動かしながら敷居の方を指差す。指し示された通りに首を後ろに向けると、今しがた瑠奈が運んできた食事が置いてあった。

 プラスチックの容器にはどろりとした茶色の液体。加えて、漂うカレーの匂い。

 きっと、今日の夕食の内容を伝えたかったのだろう。

 そこまできて木嶋は思い至った。


 “甘口がいい? 辛口がいい?”


 瑠奈はメモ帳をめくって更に書き出した。

 木嶋は反射的に口を動かそうとするが、声など出しても意味はないと気付き、何とかコンタクトを取る方法はないかとデスクの引き出しを開けるが、そこにはルールが記された書類と、彼が大切にしまい込んだ百万円の札束があるだけだ。他にはボールペン一つもない。

 見かねた様子の瑠奈が助け舟を出すように再びメモ帳に何やら書き出す。


 “カレーライス どっちがいいか 指でさして”


 それだけのメモを見せると再び『甘口か、辛口か』と書かれたメモを外側から壁に押し当ててきた。

 木嶋は黙って辛口の方を指差した。瑠奈は一つ頷くと背を向け、足を動かし始める。その足が三歩か四歩ほど進んだところで、彼女の足はぴたりと止まった。また何かをメモ帳に書いているようで、右手を忙しなく動かしている。

 間もなく瑠奈は振り返って、先ほどと同様にメモを翳して見せてきた。


 “今日のカレーは甘口 だから 辛口はまた今度”


 その後、早足で歩き去っていく瑠奈の後姿を確認した木嶋は、敷居の上に置かれたカレーライスを手に取り、デスクの上で黙々と頬張り始めた。

 カレーは小さな子供用かと思えるくらい甘味のあるものであったが、味は悪くない。手早く食事を済ませると、いつものようにプラスチックの容器を猫エリアへと放り投げる。

 お遊びで松の木を狙ってみたが、狙いは逸れて容器は木の手前、やや斜めに落ち、落下の衝撃で蓋が外れた。容器からはカレーの残り汁がどろりと垂れて、芝生を汚していく。

 ひゅう、と口笛を軽く吹き、小さく笑う木嶋はデスクに戻ると、面倒臭そうにタブレットを弄り始めた。

 この閉ざされた空間では、それしかやることがなかった。


 やがて日は沈み、実験室がすっかり暗くなった頃、木嶋はマットレスに寝そべると瞼を閉じた。

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