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舞台

 ばりばり――。ばりばり――。


 ヒト一人とネコ一匹、取り残された実験室に乾いた音が立っていた。

 音の方向に目を向けると、敷居の上に下ろされた紙皿のキャットフードに食らいついている猫の姿が見える。前触れもなく用意された餌に警戒もせずありつき、一心不乱に口を動かすその姿は、どこにでもいる飼い猫としか思えないものがある。


 こいつを捕まえて絞め殺してやれば百万円――。だが、まずは――。

 木嶋は口の端を上げ、板張りの床を踏み鳴らしながら敷居へと歩を進めた。

 その動きに気が付いたのか猫は紙皿から顔を上げるが、木嶋は気にも留めずにどすどすと大きな音を立てながら近付いて行くと、右足を浮かせて無防備に餌へとありつく猫の方へと狙いを定めた。

 直後、ぱんっと乾いた音が鳴って、木嶋に蹴られた紙皿が宙に浮く。同時に、皿に乗っていたキャットフードが周囲にばら撒かれると、猫は驚いたかのようにさっと逃げ出した。

 木嶋は思わず声を上げて笑った。


「ばりばりと食い散らかしやがって、意地汚い猫だな。おら、これでも食っとけ!」


 半笑いのままに怒鳴ると、フードが載っていた紙皿を手に取ってから丸めて猫エリアへと投げ付ける。境界線となる敷居の向こうの床は芝生で出来ているため、丸めた紙皿は音も立てずに転がった。

 驚き、逃げ出した猫は、植え替えられたのか、元々そこにあったのかわからないが、松の木の陰に隠れてじっと息を殺しているようだったが、木嶋はそれを追おうとはせず、満足げに見下ろすようにして立っていた。


 猫を追い払った木嶋はその後、敷居付近に転がったトレーから自分の分の食事を拾うと、デスクと共に設置されている黄色いパイプ椅子へと腰かけ、朝食を摂ることにした。

 猫の分はキャットフードだったが、自分の分はおにぎりのセットだ。安っぽいプラスチックの容器を開けてみれば、おにぎりが二つと唐揚げにたくあんが入っている。

 容器といい、中身といい、スーパーの総菜コーナーから買ってきたような安っぽいものではあるが、口にしてみると味は悪くない。上等な料理とは言えないものの、こうした食事が無料で一日三食提供されるなら長居するのも苦にはならなそうだ。


 手早く食事を終えた木嶋が座ったまま伸びをし、軽く体を揺らすと、パイプ椅子が少しも動かないことに気付く。どうにも違和感があるので下を覗き込んでみると、足となるパイプの先には太いネジが打ち込まれ、板張りの床へと強固に固定されていた。不思議に思ってデスクの方も確認するが、そちらも椅子と同様の方法で床から動かないように設えてあった。

 これもあの頭のおかしい主の意味のわからないこだわりの一種だろうか。何とはなしに、力を込めてみるが、椅子もデスクも少しも動かない。

 次に、木嶋はデスクにある引き出しに手をかけながら考えた。


 そういえば、飲み水はどうするのだろうか。

 食事は一日三食提供されると聞いたが、水のことについては特に何も聞いていない。

 水分がなければ何日もここで生活することは不可能だろうに、忘れているのか?


 疑念が湧き起こるが、実験室をよく見ればその疑いはすぐに払拭された。

 位置が低い所にあるので気が付かなかったが、デスクの横には小さな水場が用意されていた。その外観は学校の校庭や公園にあるような水場を小型化したもので、石造りの囲いの中には排水溝。やや上の方には玩具のように頼りなさげな蛇口が付いている。

 コップなどはないので、そのまま手ですくって飲めということなのだろう。蛇口を捻って手の平に溜めた水を三口ほど飲む。味はなく、単なる水道水に思えた。

 木嶋は更に実験室内を観察する。


 まずは自分に用意されたヒトの居住区だ。

 六畳ほどの間取りの長方形のエリア角側には、引き出しが一段だけのデスクと椅子。

 デスクの上には小型の液晶付きタブレット端末が置いてあり、その右隣、低い位置には簡易的な水場がある。更にその右隣りにはパーテーションで仕切られた洋式便器。

 そしてもう片方の角の壁側には、猫屋敷との連絡用の赤いスイッチが取り付けられており、その真下付近には厚手のマットレス。こちらも四隅がネジで固定され、床から動かすことは出来そうにない。


 どうやらここにある物は、何にしても固定化されていて動かすことが出来ないようだが、別段、生活に支障がある訳でもない。タブレットが用意してあるのは予想外だったが、こいつがあれば、暇潰しには事欠かないだろう。

 木嶋はタブレットに指を押し当て、画面が点灯することも、見慣れた動画サイトや天気予報などにアクセスが可能なことなど、確認しながら思った。


 その後、人のエリアを一通り見終わった所で木嶋は大欠伸おおあくびをすると、固めのマットレスに寝そべり、目を閉じた。木嶋からしてみれば、勝負を急ぐ必要もないどころか、出来る限り実験を長引かせてから決着を付けた方が取り分も多くなると考えたからだった。

 睡眠不足の上に、早起きとは程遠い生活を送っていた彼が寝息を立て始めるのに、そう時間はかからず、やがて実験室は静寂に包まれていく。

 猫は自分に与えられたエリアから、無防備に寝息を立てるだけの木嶋を睨むように見つめていた。

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