言葉がわからない少女
いつ帰ってきたのかわからないまま朝が来て。
養父に呼ばれ執務室を訪れると、執事長と母がいた。
養父はシーラはしばらく安静にさせること、王太子が元の地位に戻る事を告げながら、淡々と話していく。
サーシャと自分の世話は乳母、メイド長が率先して行うと当時申し出たこと。父や母には二人の様子が毎日報告で上がってきていた事を話し出す。
「サーシャもカイゼルもとても優秀だと彼女は言っていたんだ。…これ、先日執事長が見つけてきたんだけど」
帳簿、と、見せられたのは自分とサーシャに割り当てられていた資金だった。
こんなにあったのかと驚愕の事実に執事長が話を付け加える。
「これらすべてメイド長周りの使用人達が横領してました。先日告発文が届いたのです。元使用人達からの」
執事長は数枚の紙を取り出すと気まずげに自分に渡し目を通していく。
サーシャが亡くなったことが王都外で流れ出し、悔やみきれないと彼らは訴えてきたのだと。
自分とサーシャの資金横領に始まり、出て行った使用人達への乳母達のいじめ、給料を脅し取られたこと、サーシャが自分の宝石をわけ退職金として王都を出る事を勧めてくれたこと。貰った袋の中にサーシャの字で家族と一緒に王都から逃げてしばらく暮らせる分の品を入れているから売ってくれと書かれていたこと。自分への乳母達のあたりが酷すぎて使用人として自分を雇っていたが、食事と年齢に合った衣類を支給していたのでサーシャを責めないでと書かれていた。そして自分に仕事を任せている時にずっと乳母達の愚痴をサーシャは聞き入れ、彼女が率先的に悪役を買って出ていた事。もし乳母達が自分をいじめていたらもっと酷い事をされていたと手紙の内容に書かれていた。
全て読み終えて、思い当たったのはサーシャが当時追い出した使用人達。
袋を捨ててこいと命を出したまま帰ってこなかった使用人達。
読み終えた後に養父が事実確認をする。
指を差し使用人として過ごしていたのは本当かと。執事長は黙り、母も心配そうに自分を見た後、頷く。
この邸に来て翌日には狭い部屋に追いやられ服も持ってきたもので、食事もひどいもので…と、話していくうちにサーシャの言葉が蘇った。
侯爵家の使用人として恥ずかしくない様な生活を。
思い出せば家庭教師の授業だってそうだと。
鮮明に思い出していく過去の出来事。
自分は確かに汚かった。この邸に来てからは食べる物ももらえない日もあった。勉強も碌にできなかった。
サーシャの一言で変わったのだ。
自分の表情で察しがついたのか、乳母達は後日処罰し、二度と姿を見せない様にすると話す養父。
さらに、この薬に覚えはないか?と取り出された瓶を受け取り蓋を開きにおいを嗅ぐ。
以前サーシャから毒味で無理矢理食べさせられていたスープの匂いだった。
嗅いだこともある、飲んだこともあると答えると、これは側妃が回した毒の解除薬だと教えてくれた。
毒の成分を捕まえて、吐き出すと毒の塊が出てくるものらしい。
黒い血、みたいなのが毒の塊だったのだろう。
サーシャはこの解除薬を側妃から貰い、自分で成分を調べ上げ市井で薬品を作る工房を借り増やしては孤児院の子供達に渡していたと。飲みやすい様に改良を重ねていたと取り出されたものはカラフルな飴玉だった。
「…側妃はサーシャが学園に入学するまで脅しの様に周りに毒を配っていたそうだよ」
ため息をつきながら養父は言って。
王太子が教えてくれるまで自分は一切気が付かなかったけど、と付け加えた。
王太子の生家と側妃の生家は政敵で、側妃の生家は貴族中心社会。王太子の生家は国民に寄り添う思考らしい。王太子も時々お忍びで市井に下り、サーシャの話を聞いていたと。
サーシャの評判だけを利用したい側妃はサーシャを脅し第二王子の婚約者の地位につかせた。サーシャがいることによって国民に寄り添うことはしなくても支持は得られると思ったのだろう。
「サーシャはね、街ではアルテの聖女って呼ばれてたらしいよ。知らなかったけど…孤児院にいる子供達がサーシャの事そう呼んだことが始まりなんだって…」
養父は寂しげに微笑んで、自分の退室命令を出した。
アルテ、の、聖女。
心臓の音が嫌なくらい大きくなる。
最初から気づくべきだった、馬車の中にわざわざ手紙なんか置くわけないと。
自室に戻り、アルテとの手紙を確認する。
最後の手紙は、彼女の心の叫びだったのだ。
何度も手紙を読み返しながら後悔する。
アルテはいつでも自分の手紙を気にかけてくれていた。サーシャを貶す文にも同調してくれた。
自分は当時どんな事を書いていただろう?
自然とサーシャの部屋に足が進み、持ち主のいない部屋のドアを開け、引き出しを探る。
令嬢に似つかわしくない色味、焦茶色の木箱を見つけ中を開けると、水色と白のレースを基調とした内装の中に手紙はあった。
まごう事なき自分の直筆だった。
レターセットも置かれていて、表紙にデカデカと「左手で書く事!」と書かれていた。サーシャは確か、両利きだったけど文字は右手で書いてたな、と脳裏で思い出した彼女は。
…ずっと消えない、あの時の表情のまま。
手紙を取り出し、文面を見ると滲んだ跡があった。
どの手紙も滲んだ後が数滴あり、涙の跡だろう。
どの手紙にも自分は、サーシャの事を魔女と称し、意地悪だ、早く消えないか、と、書いていた。
どんな気持ちで彼女は手紙を眺めていたのだろう。
どんな気持ちで彼女は返事を書いていたのだろう。
自分はアルテに対して、好意にも似た感情を寄せていた。
姿は見えなかったのに、初恋は彼女だと断言できるほどに。
*
「悪い事だとわかっているけど、言葉が思いつかないの。
どんな言葉を返したらいいのか、わからないの。
馬鹿にする言葉だとわかっているけどそんな話し方しか出来ないの。
私は…生きてるのが、もう辛い」
夢の中でサーシャは話していた。
最後に会った、妖艶さ漂う姿で。
彼女は縮こまる様に泣いていた。
そんな彼女でも市井の人は理解してくれたと自分は訳もなく口に出し、サーシャは首を振る。夢の中で勝手に自分が考えた答えを代弁しているのだと理解はできている。きっとこうであったのだろうと。
「全て手紙のやり取りで行っていたから!みんなを前にすると私きっと嫌われ者よ!だってアンタをずっと、馬鹿にしてたのよ?」
本心じゃないだろ、と、言葉に出すと歪む顔。
そしてまた、あの表情で、自分を見てくる。
「好きなの」
その言葉に夢でも返事をしたい。
自分もだと。
返事を聞いて、サーシャは笑みを浮かべる。
夢の中で抱き合い、ようやく巡り会えた恋人同士の様に微笑み合う。指を絡ませ合って何度も唇を、舌を絡ませ合い…。
「サーシャ、愛してるよ」
君に会える夢ならば、ずっと目覚めなければいいのに。
それでも夢は醒めるのだ。
*
あれから八年。
自分が当主の座を引き継ぎ、盟約について教えてもらった。
サーシャは侯爵家の跡取りだった。跡取りは王家と結婚できないのだと養父は話しながら、血の繋がりがない自分にはまだ教えることはできないことはある、と、苦笑いしながら養父は遠縁の子供を養子に連れてきた。
キーゼルと呼ばれた少年は七歳手前の子供だった。サーシャや養父と同じく銀髪赤目の少年で、自分は未婚のままキーゼルに父と呼ばれる様になった。
養父は母と領地に休養しているシーラと一緒に暮らすため王都を出ていき、長年一緒だった執事長も孫に世代交代を終え、彼の孫が新たに自分の補佐に回った。
当時のメイド長達も解雇し、代わりに出て行った使用人達を呼び寄せた。彼らの家族も一緒に働き始め、日々緩やかに時間が過ぎていった。
キーゼルは物覚えがとても良い子供だった。
自分を実の父のように慕い、笑う姿はどことなくサーシャを連想させた。
きっと同じ色味だからだろう。
キーゼルの両親はどうしたのかと、何となく聞いた時、母は未婚のまま自分達を産んだと話してくれた。
「キーゼラが父さんそっくりの髪の色でね、ついつい父さんに親しみ覚えるんだ!」
サーシャと、同じ笑顔で、キーゼルは話したのだ。キーゼラというのは双子の妹だと。
母と二人で暮らしている、と。
「僕は生まれた時に宝石を手に持ってたんだって!だからこの家にやって来たんだっておじいちゃんが言ってたの」
父さんと僕だけの秘密だよ!とキーゼルは笑うと、自分もつられて笑った。
なんとなく、の察しがついたから。
「キーゼル、今度お母様とキーゼラに会いたくないかい?」
おじいちゃんには、内緒だよ、と自分も彼に話して。
男の約束を交わした。
※
キーゼルの生まれ故郷は養父と共に引退した騎士団長の領地だった。
自然に囲まれた国境沿いの街の薬剤師の母。
その話を聞いた時、あの側妃騒動の件、養父は王太子と騎士団長と絡んでいたからな、と推測する。
養父はあの晩自分に話したのだ、血は残さないと、と。
養父はサーシャの実父だ。当時のサーシャに対する自分の感情が顔に出てたのだろう。
約束を養父はそのまま言葉通り守ったのだ。
自分を次期当主に、侯爵家の血筋をきちんと連れて来たのだ。
サーシャの姿を隠蔽して。
改めると、外の景色を見るキーゼルの横顔が、幼少期の自分に良く似ているのだ。
この子は、自分とサーシャの間に出来た子供なのだ、と。
*
「キーゼル、父さんはご家族に渡したいものがあるから後から向かうよ」
勢いで来てしまったが思えばサーシャにとって自分は彼女自身を傷付けた元凶ではないかと。
最後に見せた彼女の泣きながら怒った顔。
部屋を出ていく際に吐き捨てるように言った言葉。
自分と会う事によって彼女がまた傷ついてしまうかもしれない。
そう思うと、会える勇気がなかった。
少し時間が経ち、せめてひと目見てすぐに帰ろう。キーゼルは贈り物と一緒に使用人に任せようと、キーゼルの生家まで足を進ませた。
街外れの林の中に数軒の小屋があった。その一つの家だろう、煙突が立ち込めたこぢんまりとした小屋の前にキーゼルはいた。
咄嗟に木の影に隠れて、キーゼルを見ると、彼の他に二人の人物がいた。
忘れもしない、衰えすらしていない、サーシャがそこにいた。
幼少期のサーシャそっくりの少女が焦茶色の髪の毛を揺らしながら三人で笑い合っていた。
「キーゼル、ご家族に迷惑かけてない?新しいお母様の話はきちんと聞いてる?」
落ち着いた女性の声がし、その声がサーシャの声なんだと理解したのは、キーゼルが「父さんは結婚してないよ?僕と父さんの二人家族だよ!」そう言った彼の言葉だった。
「父さんはね、キーゼラと同じ髪の色なんだよ。優しくていろんな事を教えてくれるんだよ。今回だっておじいさまに秘密だって母さんとキーゼラに会わせてくれたんだ!」
「僕はね、父親がいたら父さんみたいな人なんだろうなって思って、キーゼラも父さんを会わせたいなって!」
「キーゼルばっかり良いなぁ〜!ねぇ、ママ、パパってどんな人だったの?」
甲高い声がして、その声がキーゼラなんだろう。手を万歳させてサーシャの方を見ていた。
そうねぇ、と、言葉を濁した後、彼女はあの表情に変わったのだ。
「真面目な人だったわ、寡黙…ではないけれど我慢強くて不器用な人でね、ママの初恋だったの。人の悪口を滅多に言わない人でね、パパはそんな話をする時に必ず悲しそうな顔をするの。最後まで優しい人だったの」
「ママはね、パパに会えて貴方達に会えて本当に良かったと思ってるのよ」
話が終わると子供達を抱き上げて頭を撫でていて。
「パパの事ね、ママはずっと…」
好きなの、と彼女は微笑んだ。
自分はやっと、現実に引き戻されたのだ。
一歩ずつ進み彼らの元へと足を運ばせる。
愛しい人と、子供達の元へと。
*
「あっ、父さん!」
気配に気付いたのかキーゼルが顔をあげて自分に微笑みかける。
まさか本人が来てるとは思わなかったのか、サーシャは自分を見るなり驚愕し、キーゼラは物珍しげに自分を眺めていた。
「は、はじめまして、侯爵様。キーゼラとキーゼルの母のアルテです」
サーシャはそう言うとすぐに顔を戻し作り笑顔を見せた。
アルテ、とサーシャは白状した。
ここではその名前で生きているのか、子供達にもそう伝えているのか。
自分も名乗るべきなのだろう。
そう思うのに言葉を詰まらせる。
「…父の、カイゼルです」
絞り出すように伝えた言葉にキーゼルが「養子先の父のカイゼル様」と付け足してくれた。
その関係だけで終わらせたくないと、咄嗟に三人を抱きしめて。
結局養父の舞台の上で踊らされていたのか、と思いながらも止まらなかった。
「サーシャ、サーシャ!やっと会えた!ずっと会いたかった!ずっと後悔してた。君にずっと会いたかったんだ!都合の良い事だってわかってる、今更な事だって理解は出来てる。もう君が会いたくないと言えば二度と会わない、でも家から君に援助はさせてくれ。女手一人、誰にも頼らずに子供達を育てた時間を…せめて償わせてくれ」
何を言っているのか?そんな顔をし自分を見上げた二人の子供達を他所に、自分を見るサーシャの顔が熱を帯びて来た。
「カイゼル…私もずっと貴方に会いたかった。ずっと貴方だけが、貴方のことだけを想ってたの」
空気を読んだ二人が自分とサーシャから離れて行き、もしかしてあの人が私のパパなの?とキーゼラの声がしたがキーゼルの返事はわからない。
自分はサーシャしか見えなかったから。
*
その後サーシャとキーゼラも王都に連れて帰り、正式に婚姻届を出した。
子供達の前ではサーシャ、偽名をアルテと名乗っていたらしい。自分が本当の父だとわかり、キーゼルがより一層甘えてくるようになった。やはり仕掛け人は養父だったらしく、サーシャの意思を尊重した結果に落ち着いて良かったと飄々と言われた時は少し憤りを感じたが、側妃が生きてる時にサーシャの存在がわかると利用されることはわかっていたので雲隠れさせていたらしい。
サーシャも乳母達から離れ、のびのびした環境で過ごす内に人との接し方を学び今があるのだと彼女は笑い、邸に帰って来た。
サーシャの自殺は未遂に終わり、領地で休養していた、そんな流れに変わった。そもそも第二王子の本性がアレだったのだ、今では奴を信じる人もいないだろう。王太子が国王になり、彼の口からはっきりと第二王子の死を公表されたのは真実だろう。側妃達の周りの貴族は皆、あの事件の後すぐに処刑されていたし。
サーシャは社交界には復帰しなかった。
自分はキーゼルとキーゼラを連れパーティに参加しては自分の子供だときちんと説明した。自分そっくりの顔立ちのキーゼルと髪色そっくりのキーゼラを見て、当時を知る貴族達は何も言わなかった。
一年後にはサーシャそっくりの女の子が生まれた。
邸中歓喜に溢れ、次女の誕生をお祝いした。
キーゼラとキーゼルの時には生まれを祝福することができなかった。
サーシャは自分に生まれたばかりの次女を近づけ微笑んだ。
「カイゼル、愛してるわ」
この先も、ずっと、貴方だけを。
「私と家族になってくれてありがとう」
これからも、よろしくね。
そう言ったサーシャも自分も頷き。
生まれて来た次女を抱き上げる。
自分は、もう、孤独ではないのだと。
少年少女の話は下書きの段階で一ページに纏まってたんです。
意外に長くなったので二部構成。
幼少期は乳母達がクズ、少女時代は側妃がクズ、学生時代は第二王子がクズのひたすら可哀想なゲーム内サーシャの裏事情。
どのルートでも第二王子エンドなのは第二王子がシーラの相手を脅して結ばれるからです、みたいな。
結局王太子が断罪するけどね、シーラは領地で休養してそれとなく良い感じの人と結ばれる平和な未来が本来のゲームなんだよと勝手に話します。第二王子と、騎士副団長子息以外の恋人だったらその人達とより戻しだけどね、とも。
ゲーム転生系話は本来の悪役令嬢はどんな裏事情があったのかを考えると二度美味しい展開にならなで止まらなくて書いた外伝もどきです。
とりあえず本来のカイゼルは病んでる奴だったと言うオチです。長い反抗期をサーシャに感じていて、母とシーラの生活を守ってもらうために養父の言うこと聞きますマンな人の話を聞き入れる真面目系ヘタレな男です。身体は素直なんだよ、サーシャにしか反応しない無自覚ヘタレなんだよと勝手に解釈して下さい。




