不器用な少年と
自分はいつも孤独だった。
父であるはずの男爵は無関心、自分が両親に似ていない、それだけで男爵の中での自分の存在は消えたのだろう。
腹違いの兄である男はいつも自分を甚振ってきた。
母は妹につきっきりで。自分の着ている服が義兄のお下がりだなんて母は知らない。使用人達の嫌がらせすら母は気づかない。
母は妹ばかり、気にかけていた。
ある日、これから新しい家族のもとへいく。
それだけ母は告げると、自分と妹を抱きしめ逃げるように家を去った。
かろうじて詰め込める荷物を詰め込んで、目的の場所に着くと馬車が止まっていて。
母は馬車の中に入って行き自分や妹も続いた。
悪夢の始まりだった。
新しい家族は父と妹が一人いた。
父は自分を養う代わりに妹、と紹介される少女を将来娶ってくれと自分に投げかけた。
その約束だけ守れば、生活は保証すると。
母は妹の耳を塞ぎながら自分に話した。
よろしく、と。
父、というよりは養父扱いか。彼は娘のことを天使だと称した。
初めて見た時は本当に天使だと思った。
珍しい淡い銀髪に
所々青みがかった冬の色。対象的に火のように情熱的な赤い瞳が少女の存在を際立たせていた。
少女は自分達家族を見るなり睨み付け、養父が説明する間も無くメイド達と消えていった。
自分は母と妹と別室になり、新しい生活が始まった。
新しい妹、サーシャの乳母が直々に自分の面倒を見てくれるようになると養父から伝えられ、自分は頷き受け入れた。
その日以降、母と会うことがなくなった。養父とも。
新しい部屋は以前住んでいた部屋よりこじんまりしたもので、乳母達メイドは自分のことは自分で行え、と言わんばかりに自分に無関心だった。
それでいて母や妹に会いたいと言おうものなら「そんな服装で?奥様はすでに侯爵家の一員なのですよ?」と一瞥される。
風呂すらも入れない、食事も部屋の前に置かれ日に日に雑になっていった中、勉強の日があった。
初めて行う勉強会で、自分は一番綺麗な服を選び部屋に訪れた。
サーシャがいて、家庭教師も来ていた。
二人は顔を顰めると、授業を始め、家庭教師は彼女のレベルに合わせているのか全くわからない。家庭教師が質疑を行い黙っていると、サーシャがため息をつき呼び鈴を鳴らした。
すぐに現れた執事長に彼女は自分を指差しながら「コイツ、今日から使用人として雇いなさい。私の専属従者として」
冷めた目ではっきり話した。
何を言われたか理解できずに授業が終わり、サーシャの言葉は絶対なのか部屋に帰ることもできずそのままサーシャの隣の部屋に案内される。
困惑する執事長に「この家の使用人はこんなに汚くないの!アンタ臭いし、汚いわ!ねぇ、執事。燕尾服持ってきて!早く!!」
怒鳴りつけるように言うと使用人達の浴室に案内されあっと言う間に使用人達と同じ扱いをされた。
「アンタこんなこともできないの?それでも私の専属従者なの?なんでこんなこともできないの?!」
サーシャの従者になって数日後。
母や妹、養父と会う事なく彼女の指示に従う毎日。
先日の家庭教師の前で不意に話題を振られ沈黙を貫いていると怒鳴られた。
「恥ずかしいったらないわ!!アンタは侯爵家令嬢の従者なのよ?…ほら、貴方もこんな可哀想な従者に教えてくださらないかしら?」
そう言うとサーシャは家庭教師を見た後、教師はため息をつきながら数点の本を出した。
基礎、と書かれている本を自分に手渡し、「わからないことがあったらどうぞ」と乱暴に話した。
サーシャに与えられた課題をやりくりしながら使用人達と同じように生活をした。
サーシャの周りにはいつも乳母達がいた。
サーシャが率先して自分のミスを指摘し、彼女達は笑う。
天使の顔をした悪魔じゃないかと脳内で歯軋りしながら従うしかなかった。
母と妹の生活のためならば、と。
*
ある日購入したばかりのドレスを破り、宝石を床に叩きつけ石を大量に入れ袋に詰め込んでいた。
数名の使用人達を呼び「これを捨ててきて」
彼女はそう言うと彼らは恐る恐る受け取り、後日。その使用人達は皆消えていった。
またある時は街に出て数時間帰ってこなかった。馬車で待っていると親切な街の人達が自分にお裾分けをしてくれて、その時間だけが楽しみだった。
楽しみ、と言えば文通相手もできた。街に出かけた時だけの秘密の関係の。
誰かはわからない、ただサーシャに頼まれて羽ペンを買いに行くと自分宛に手紙が馬車の中にあったと乱暴な言葉遣いで手紙を渡されたのだ。
手紙の少女はアルテと言う少女だった。
街で見かけた際に声を掛けたくて、勇気がなくて手紙を。と。
何通か手紙を交わした。
サーシャが怪我をした鳥を看病しろと命を出してきた時にその鳥を文通手段に使った。
馬車置き場の古くからある木箱の中に入れるように、と。彼女は伝えてきたから。
その手紙だけが唯一の楽しみだった。
手紙の内容自体はつまらなかったと思う。自分は特に毎日の勉強内容と食事の内容。色の付かない面白みにかける内容を何日分かためて書く。それでも彼女は楽しい、と書かれていた。彼女の内容も今日は刺繍をした、など他愛のない内容。内容からして商家の娘だろう、孤児院に寄付する事業が楽しいと綴られていた。
本来ならこのままサーシャと結婚することになるのだろう。気持ちはアルテに傾いたままサーシャ以外の家族と会えない毎日が続く。
最近のサーシャはまた当たりが酷くなった。食事の際呼びつけ毒味を強要してくる。
あからさまに嫌がらせ用に作ったネバネバのスープを毎回勧めてきては一口食べると「アンタの食べたものなんかいらない、これは全部アンタが食べなさいよ」と怒鳴り散らす。
苦い味がするスープを飲み干した後にせせら笑うサーシャ。
寝る前には必ず気持ち悪くなり、吐き出すと必ず黒い血が。
養父にも会えず、母や妹の顔すら忘れ、サーシャと使用人達に囲まれる毎日。
食べたくないと出されたスープを拒否すると後日頭から紅茶をかけられた。
「ほら、私が直々にアンタに与えたのよ?飲み干しなさいな」
サーシャは怒鳴り散らし、垂れてきた紅茶を舌で舐める。
スープと同じ苦い味がした。
*
もう嫌だ、何が楽しくてサーシャといるのだろう。
いつしかアルテとの手紙の内容はサーシャの愚痴へと変わっていった。
サーシャの事を魔女と称し、日々行われる悪行を綴っていく。
アルテはこんな事を絶対にしない様に、と、会ったこともない彼女に何度も書き綴った。
何が楽しくて使用人だからとサーシャと同じレベルを求められるのだろう?
家庭教師の授業も、他の使用人はやってないじゃないか。
街に出たら人と関わるな?今まで親切にしてくれた人達と距離を置け?
そんなのお前の勝手な意見で人を縛り付けるな。
苦虫を噛み潰しながら自分は街の人と交流を続けた。
彼らはいつも優しく自分に育ち盛りだからと沢山のお菓子を分けてくれた。
サーシャは自分に毒を。
嫌がらせの様に…多分死ねば良いと思っているのか。
助けてと声を出したら養父は助けてくれるのか?
母は?妹は?
わからないままサーシャの側で過ごしていた。
アルテの手紙だけが唯一の救いだった。
*
ある日煌びやかに着飾ったサーシャを乗せた馬車が王城に向けて走り出した。
いつもは御者席に着いている自分はサーシャの指示の元、一緒に同乗していた。
何度ため息をつくのだろう。
あまりにわざとらしいその仕草に苛立ちを覚えながら横目でサーシャを見ると彼女は窓の外を遠く見ていた。
見た目だけなら美少女、と評される顔立ち。性格は圧倒的に悪い。破綻していると言って良いほど傲慢、我儘。人の不幸を楽しむ。
到着したのだろう、窓の風景が止まる。
と、サーシャが自分に顔を合わせた。
「ねぇ、カイゼル兄様」
サーシャは今まで自分のことを名前呼びや兄と呼んだことはなかった。
驚きを隠せず反射的に肩を震わせるとサーシャはだんだん近づいてきて。
唇を奪われた。
何が起きたかわからないままサーシャを見ると、彼女は今まで見せたことのない顔で自分を見た後、口を動かす。
「好きなの」
泣きそうな瞳を潤ませ、悲願にも似た表情と、慈愛に満ちた愛しい人でも見る様な顔で、自分を見た後背を見せた。
馬車から降りて歩き始めたサーシャの背中を馬車の中で立ちすくんだまま見ていた。
使用人は馬車で待機だと、御者が言うとそのままドアを閉められて。
何が起きたのかわからないまま、先程のサーシャの表情が頭から離れなかった。
その数時間後。
王都中に第二王子とサーシャの婚約が発表された。
屋敷に先にかえれと指示が来たかと思うと、帰ってきたサーシャが自分を見て「アンタは練習台だったのよ。ヴァイオス様も私にメロメロだったわ」
悪魔の様に笑みを浮かべた。
*
サーシャが第二王子と婚約後癇癪がさらに悪化した。
何かにつけて第二王子の婚約者なのだから、と自分の行動を押さえつけた。
「ヴァイオス様の婚約者の私の従者が街で卑しい者達から変なものをもらわないでよ!品位が疑われるでしょ?アンタ本当に世間知らずね」
何かにつけてネチネチ言われ、学園入学するまでの辛抱だと歯を食い縛りながら我慢した。
その頃にはすでに養父や母達に相談すると希望すら湧かなかった。
自分の世界はサーシャと、サーシャの周りで自分を笑う乳母達だけだったから。
*
学園入学前に数年前に一度見た養父に会った。
彼は自分の事を立派に成長した、と乳母達を褒めていた。乳母達は大事に育てましたと胸を張り養父に報告していた。
久々に見た母と妹は元気に過ごしていた見たいだ。妹のシーラはとても綺麗に成長していた。笑った顔がとても愛らしかった。
学園入学において、アルテから文通の終わりを告げられた。
おめでとう、と綴られ、何度も会いたいと自分は書いていた。いつも彼女は話し下手だからを理由に逸らされていた。
アルテの育った環境が特殊だと。周りはアルテに口悪く罵る言葉しか使わない。まともな大人がいない。頭ではわかっているけれど言葉にするといつも人を罵る言葉になってしまう。話し方がわからない、人の喜ぶ言葉が思いつかない。人を傷つける話し方はわかるのに、いけない事だとわかっているのに。
文字にすると表現できる。が、人を目の前にすると頭がぐちゃぐちゃになると。
だからアルテの手紙の内容はいつも差し障りのない毎日を書き綴られていた。お互い一方的な報告とも呼べる手紙は自分にとっては心地よいものだった。ただ、一般的な会話と呼べる内容かと思えば程遠かったかもしれない。それでも自分はアルテの手紙に救われたのは確かだった。
やっとサーシャから解放された学園生活はとても充実したものだった。
勉学面やマナー授業においてはいつも上位だった。礼儀正しい侯爵家子息として周りは自分を認めてくれた。
同学年の王太子からも数回話しかけられる様になった。彼はとても礼儀正しい人物だった。
毎日、とても、楽しかった。
*
地獄はすぐにやってきた。
サーシャが入学してきたのだ。
自分の汚点とも言える魔女の存在。
学年違えどサーシャの悪評はすぐに広まった。そしてみな、自分に同情的になった。
それからまた一年後。
今度はシーラが入学してきた。
シーラの存在がサーシャの悪評を掻き消す様に、皆口々にシーラを褒め称えた。
そして広がった噂。
第二王子はシーラを懇意にしていると。
サーシャがシーラをいじめている、と。
*
自分はただ傍観していた。
正直サーシャが第二王子と結婚するのであれば自分はそのまま彼女の婿にはなれないかもしれない。しかし母とシーラの生活は今まで通り安定するだろうと。養父は母とシーラを可愛がっていたから情は移っているだろう。このまま今まで通りの生活を彼女らは送れるだろう。
第二王子とシーラが結ばれてもサーシャは今までの悪行で断罪されるだろう。
見た目に似つかわしくない中身どす黒女めとほくそ笑む。
王族の恋人を傷つけた罰で二度と姿を見せることはできないだろう。
自分との約束も破談となるだろう。
そう思っていた。
*
案の定と言うべきか、サーシャはシーラをいじめ抜いた罪で第二王子から断罪された。
王太子達が魔物遠征に向かってしばらくの出来事だった。
第二王子とサーシャの卒業式の日、婚約破棄からの地下牢獄への幽閉を余儀なくされた。
国王と王妃は王城に。側妃は領地に視察、養父達が魔物遠征に向かった時期に起きた出来事だった。
邸に伝えに来た使いが母に話し、母と自分はほっと胸を撫で下ろしたのだった。
*
一年にも及ぶ遠征が終わる頃にはシーラの卒業が迫っていた。
あれから王都に届いた知らせは心優しき王太子が魔物に討たれ死亡したという話だった。
国王はすぐに第二王子を立太子させ、彼は王太子になった。
それからすぐ後に養父が帰ってきた。
サーシャの話を聞いたのか、養父は自分と二人きりになると話を持ちかけてきた。
サーシャに流れる侯爵家の血を途絶えさせてはいけない、と。
地下牢獄への看守を一部買収した、と、養父は自分を見た。
何を言われているのか?養父は自分に言う。
「君は母と妹、それに君を今まで育ててきた恩返しをしたくないかい?それに君がこの家を継ぐことになるのに?」
妻を迎えても良いけどね、養子を一人取るだけで良いから。血は必要なんだよ、と養父は呟きながら自分に地下牢獄への鍵を差し出した。
*
地下牢獄に着くと買収したであろう看守達から部屋に案内された。
結局は腐っても貴族。与えられていた部屋は質素なりにも生活には困らない部屋の中で紺色のワンピースを着たサーシャがそこにいた。右手には似合わない金色のブレスレットを付け、静かに目を閉じていた。
囚人達はみな口を封じられる、と看守は説明した後自分とサーシャを部屋に二人きりにした。
自分の存在に驚いたのか、サーシャは目を見開き後退りを行う。
幸いにもベッドに近づく彼女をそのまま押し倒し唇を封じた。
自分の全てを台無しにした魔女を追い詰めてやる。
唯一の妹をいたぶった魔女を同じくらいいたぶってやる。
これは自分なりの復讐だった。
「サーシャ、愛しているよ」
心にも無い笑みを浮かべ自分は微笑むと再度唇を合わせる。
声の出ない彼女の態度は表情でしか確認出来ない。
唇を離し、サーシャをみると、あの時も同じ顔をしていた。
嬉しさと歓びを涙を流し表現している姿はまるで長年の恋人と繋がり合う。そんな表情に加え、年相応の色香を醸し出したサーシャに一瞬惑わされそうになった。
そうやってお前はあの時も自分を騙した。
無垢な自分を嘲笑い、自尊心を踏み潰して、お前は自分を馬鹿にしたんだ。
今ここで本音を言わない、と、サーシャと何度も唇を交わす。
唇を離すたびに何度も甘い言葉を吐き甘い表情を出すサーシャと恋人の様に指を絡ませあい、額を合わせ、甘い時間を過ごす。
本来なら第二王子とするべき行為を自分とする気分はどうだ、などと黒い感情が苛立ちとなって表に出そうになるのを抑えながら、舌を絡ませ、愛おしげにサーシャの唇を舐める。
第二王子に捨てられ、自分に靡くなんて尻軽なやつだという軽蔑と、目の前で自分に抱き付いてくるサーシャの庇護欲そそられる可憐さに男としての本能を制しながら。
サーシャは自分を受け入れてくれた。
恥ずかしそうに頬に手を当てながら涙目で自分を見た後、はにかみながら微笑み、出ない声を懸命に出そうと口を動かす。
あの時と同じ言葉を、嬉しそうに。
*
「誰がお前なんかを好きになるかよ」
自分はサーシャを嘲笑った。
「お前はシーラをいじめていただろ?俺を昔からいたぶって喜んでいただろ?そんな女を誰が好きになると思ったんだ?」
一瞬にして歪むサーシャの表情に湧き上がる達成感。
この屈辱的な姿をずっと心待ちにしていた、胸の底から抑えきれない感情をそのまま吐露する。
いくら憎い女だからと言っても本能には逆らえない。
自分の色に染まったサーシャの身体を無造作に抱きながら罵る。
使用人同然の扱いをしていた男に抱かれる気分はどうだ?
お前の純潔は腐っても第二王子に捧げたかったんだろう、残念だったな。
第二王子は王太子になった事、王太子の、ひいては国の国母になれたかもしれない。
お前は悪女だからな、なれるわけなかったよな。そもそも第二王子と婚約者になれたことすら奇跡だったよな、人の踏み台にしてまでこじつけた婚約だったのにな。
そうやって罵りながら目を瞑り唇を噛み締めていたサーシャを抱いた。
*
当主教育を行いながら社交界の人脈作りに励んだ。
養父やシーラと関係を持ちたい貴族達はこぞって自分に娘を紹介してきた。
夜会では数名の令嬢とダンスを踊る。
綺麗なはずなのに。
いくら令嬢達と話していても脳裏を横切るのはサーシャだった。
飾られた令嬢達と身体を密着させてダンスする。時には純粋に自分の事を見てくれていた令嬢もいただろうが。
彼女達に触れ合う。そんな夜は決まってサーシャの元を訪れた。
人形の様に抱かれ、自分も罵声を飛ばす。
憎い、その気持ちだけを言葉にすれば心は晴れた。
憎い、のに、サーシャ以外の令嬢には身体が拒否を起こし始めた。
夜会でのエスコートでさえも嫌悪感が芽生え、こうなってしまったのはサーシャのせいだと彼女の元を訪れながら怒鳴り散らす。
無表情のサーシャの表情に余計腹が立ち、何度も不意打ちで唇を奪う。
唇を離した時に見える一瞬の変化が心地良くもあり、本能を掻き立てた。
他の男にも抱かれているのだろう?
冗談まじりに話した言葉を聞いてサーシャは懸命に首を振り否定した。
それでも言い続ける自分に対して彼女は非力な手を伸ばし自分を叩くと涙を溜めて睨みつけていた。
その態度が気に入らなかった。
睨まれる筋合いはないと行為を中断して部屋を後にした。
「お前を抱いているのは父様の命令だからだよ」
吐き捨てる様に言って乱暴にドアを閉めた。
その日以降、地下牢獄へ訪れることは無くなった。
*
期間にして二ヶ月だった。
その間何度も訪れては身体を交わらせた。
夜になれば人肌恋しい時もあった。
何通にも届く令嬢達との手紙を見ながら、思い出すのはサーシャの顔だった。
消えろ、と、唇を噛み締めると思い出すのはサーシャの唇の感触で。
あの女を思い出したくなくて仕事に打ち込んだ。幸い養父も遠征に出掛けていて家の仕事を任されていたから。
そんな事を考えていた翌日。
王都中にニュースが駆け巡った。
地下牢獄で、王太子の婚約者の姉が死亡したと。食事で持ってきた食器を喉に刺した自殺だと報じられた。
新聞を読み、喉が渇くのがわかった。
まるで自分が喉を刺されたみたいに、痛かった。
死ね、とは言ってない。
憎い、許さないと、自分は言っただけだ。
誰に伝えるでもなく頭の中で言い訳が浮かんでは消え、痛みは胸元を覆った。
わけもわからず地下牢獄の買収した看守の話を聞きに行くと、サーシャの死体はすでに処分したと彼らは話した。
彼らが制する中部屋を訪れると、やはりと言うべきか部屋の主はいなかった。
血痕も拭き取られ、彼女はまるでそこにいなかったかの様に部屋は綺麗で。
込み上げてきたのは復讐が終わったという達成感ではなく、虚無感。
魔女が消えて嬉しいはずなのに、自分に見せたあの表情が頭から離れない。
ずっと、サーシャが消えないのだ。
*
長い側妃の領地視察が終わり夜会が開かれた。主役はもちろん第二王子の母である側妃だった。
養父や騎士団長が遠征で不在の中、王都中の貴族達が招待され王城へと足を運ばせた。
サーシャの自殺の後、自分は食事をあまり取れてなかったみたいだ。心配した母が執事長を付き添いに頼み三人で夜会に参加した。
第二王子とシーラが仲睦まじく登場した後、主役の側妃が登場した。
彼女はシーラを見るなり、第二王子に「サーシャはどうしたの?!」と叱りつけていた。
知らなかったのか?彼女は第二王子の話を聞くや否やシーラを扇で叩き始め、異様な光景に近くにいた騎士達が側妃を宥め始めた。
「ヴァイオス!!貴方はサーシャでなくてはいけないの!!」
怒りに任せて側妃は第二王子を怒鳴りつけ、サーシャの名前を呼び続ける。
第二王子の口からサーシャは死亡した、という話を聞いて、痛み始めた胸を手で押さえながら彼らを話を聞いていた。
あろうことか、サーシャの自殺はシーラの陰謀だと話し始める側妃。
自殺だと懸命に話す第二王子の言葉を無視して側妃はサーシャがいかに優秀であったか、自分にとって可愛い娘分であったか語り出す。
「サーシャはね、王都の孤児院に忍びで慈善活動をしていたのよ?!個人の資産で土地開発の援助も行っていたのよ?!国民からサーシャは慕われていたのよ?!貴方は何故サーシャを手放したの?!あの子じゃ無いと平民の理解は得られないのよ?平民達の会話を街に出て聞いたことがある?みなサーシャの名前を出せば喜んで命を投げ出すぐらいサーシャは慕われていたのよ?!」
信じられない、と、自分を含め貴族達は顔を顰めた。
その時。
「その、サーシャ嬢を慕う彼らを人質にとってお前は無理矢理サーシャ嬢をヴァイオスの婚約者に仕立て上げてたであろう?」
どこからともなく声が聞こえ、同じ王族の席から…死んだはずの王太子が姿を現した。養父と騎士団長を引き連れて。
「婚約に乗り気でなかった彼女を孤児院の子供に毒を与え、解除薬を条件に婚約をのませた。こいつらを使ってサーシャ嬢の周りの人々を利用し、彼女を駒に仕立て上げた。街の者の…国民の評価を得たいがために。私を暗殺し、ヴァイオスの隣で国妃として人形として扱うために」
こいつら、と、王太子が指示を出せば拘束した人物達を騎士団が連れてきた。
…見覚えのある、市井で自分に優しく接してくれた、人達だった。
「コイツらは毒物を食品に含ませ彼女の周りの人々に接触を図り与えていった。婚約すれば助けてやる、と」
王太子の言葉に貴族達からざわめきが起きた。
聞きたくない、と、自分の心が悲鳴を上げていた。
王太子が側妃の悪事を次々と話している中、頭がぐるぐる駆け巡る。
望んだ婚約じゃなかった、脅されていた。
自分は毒を与えられていた、いつも街に出る時関わるなと言われていた。
「好きなの」
あの表情で、自分の中に棲みつくサーシャは言うのだ。
彼女を理解していなかった、自分に対して。
*
ふと気がつくと第二王子側近達が階段に立って王族席を見ていた。
ある子息が魔法を使い、シャボン玉を出しては消していく。
聞こえてきたのは第二王子がある令嬢に話していた会話だという。
お前との婚約は母が望んだから一緒にいるだけだ。
お前が死ねば俺がシーラと結ばれるのに。
可愛げのない女、ノロマでグズで見た目だけしか脳がない女。
怒鳴りつけに近かった声に叩く音など聞こえ、側近二人は第二王子に伝えていく。
サーシャの悪評は第二王子周りの取り巻きが流していた話だと。
サーシャに暴力を加えていたと話す彼ら。
驚く貴族達の中には第二王子を見て怯える令嬢も出てきた。
シーラも父に守られながら、王太子が話し出す。
シーラに対するサーシャのいじめは第二王子の周りの令嬢が勝手に行った事だと。令嬢達はすでに取り調べを行い白状したと。サーシャが唯一シーラにしていたことは、第二王子を諦める様に会話をしていたことだけ。
第二王子の本性を知ってるサーシャがシーラを庇っていた、とも取れる内容に背筋が凍った。
何もわからず、理解せず。
サーシャを最後に傷つけたのは自分なのだと。
好きなの。
そう言ってサーシャはフルーツナイツを手に持ち、泣きそうな、笑顔で。
喉元に突き刺す光景が頭の中で繰り返す。
やめてくれ、と手を伸ばそうにも届かなくて。
何度も何度も痛めつける喉元は血に染まっていた。
彼らの話はまだ続いていたはずなのに。
自分の耳元にはずっとサーシャが、囁いていた。
「好きなの」
それはまるで、呪文のように。




