【cafe du monde】いつもの。
「俺は巨乳で年下が好きだ」
親の反対を押し切って高校を中退。ボロボロのいわく付きアパートを嬉々として契約し、一人暮らしを日雇い仕事で稼ぐ無計画性を擬人化したようなこの若者は、現在集合住宅地に新しく出来るモデルハウスの建てかたを、補佐として働いている。年齢は十九。若々しい金髪と剃りすぎている眉毛、こめかみの剃り込みは幼少時のジャングルジムで出来上がったナチュラルなハゲである。彼は午前仕事が雨で潰れてしまい、約二時間ほどの休憩場所を探していた。親方によると、犯罪っぽい若さの可愛い巨乳アルバイトのいる喫茶店がこの商店街にあるそうだ。若者は、通りすがりの女子高生を片っ端からジャッジしてまわる親方の趣味を理解しているため、眉間にしわを寄せてやってきた。眉唾ものである。
商店街は坂道に無理やり作ったような構造になっており、中途半端な階段もある。若者はその一番最後の角っこに見える喫茶店のマークに怒りをたてていた。若者の気は短い。彼の頭の中は珈琲が不味かったときの店長へのクレームを、フリースタイルラップでつづるためのリリックでいっぱいだ。韻はあまり踏めていない。あえてベルトの穴を一つ下げ、やや気合をいれた腰パンもとい半ケツパンで、第一関節の爪先しか入らないほど下についたポケットに、無理やり手を通すための中腰をキープしながら喫茶店のドアを開いた。
風鈴の音が鳴る。客は暇そうな女が二人で勉強しているのみ。落ち着いた雰囲気、という奴が彼にはなかなか落ち着かない。奥から現れたおでこの広い男が、陰気臭い奴の無理やり感溢れる笑顔、みたいな感じで席を案内する。若者はちょいワルで喫煙席を選ぼうとしたが、昼間は全席が禁煙であった。
広めのテーブル席に通された若者はメニューにざっと目を通すが、頭の中は巨乳アルバイトがいるかどうかと、店長の生え際のコンプレックスを絶妙につくためのリリックでいっぱいだ。当然無駄な長考から頼むメニューはアイス珈琲のブラックだ。しかし若者はガムシロップが三つなくては珈琲が飲めない。当然ここは味にいちゃもんをつけてから、コーヒーフレッシュとガムシロップで薄めるだのなんだのと言い放ち、ハゲとアルバイトを困らせるのが狙いである。
若者はオーダーを呼ぶことにした。客に声をかけさせるような喫茶店は接客失格だという独自の世界観を持つ若者は、無言でスッと手を上げた。しばしそのポーズを維持する。すると、
「あ、店長、あの子オーダー待ってるんとちゃう?」
という気の抜けたような女の声がした。店長はチョコレートケーキとアサイーボウルを両手に持ちながら、変態的な笑顔でこちらを向いてから、カウンターシンクに向かって大きな声を出した。
「すいませんただいまお伺いしまーす!結城さんオーダーお願いー!」
若者はなんだかんだで期待していた。親方の存在など、アルバイトが居たという事実の前ではもはや頭に無い。若者の頭の中は巨乳アルバイトのアサイーボウルにコーヒーフレッシュを三つかけるフリースタイルのリリックだけだ。奥から出てきた小柄な女の子のショートの髪が、宝塚のカーテンの如くひらひらとゆれながら若者へ振り向いた。
若者は絶頂した。彼の頭の中はガムシロップで満たされた。つややかに輝く黒髪が潤いを保ちつつ綺麗にそろえられ、美白の頬にほんのりと赤みがかった顔立ちは、若者のお気に入りである四十八人から厳選した推しメンを容赦なく過去にする。あどけない表情を作り出す大きい眼とまつ毛をまたたかせ、彼だけを映した瞳で笑顔を振りまく彼女は、照明を上品に反射させた柔らかそうな唇で彼の耳の奥を優しく愛撫した。
「いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします」
(この間は一分の間をおいて読み進めていただきたい)
「おきゃくさま?」
はっとし、紅葉しきった顔の若者は、背中からメデューサに覗かれているような心境でなんとかアイス珈琲の写真を指差すことに成功した。
「アイス珈琲ですね。サイズはいかがなさいますか?」
彼女はひとつひとつの受け答えに身体を少し弾ませる。当然若者の頭の中は巨乳メイドの珈琲ミルックでフレッシュだ。彼はメイド服の第二ボタン辺りを見て心を落ち着かせながら、半ば反射的に返答した。
「でっかい……」
「トールですね。かしこまりました」
彼女が一歩下がるタイミングで、彼はふと目が醒めた。そう、彼はブラックを頼む計画であることを思い出したのだ。間一髪で巨乳メイドを呼び止めると、冷静を装いながら話しかけた。
「あの、砂糖とミルクは……」
「テーブルについております。お好みでどうぞ」
満面の笑顔で受け答える彼女に、結局彼は完全に骨抜きになってしまったのである。
***
モデルハウスは内装工事が始まった。今日はシロアリの業者がはりきって五年保障で塗っているため、いつもより早めの休憩時間である。親方はハイエースの中で臭い足をハンドルに乗せていびきをかいていた。たまにクラクションを押してバーっと鳴る。
若者はというと、あれから実に連続四日目の喫茶店である。我がもの顔で喫煙(禁煙時間)席のテーブルに腰掛けると、アルバイトの女の子はあたたかいくるくる巻きのおしぼりを持ってやってきた。
「いらっしゃいませ。いつものですか?」
若者は仏頂面で頷く。その仕草で微笑みを返すメイドさん。彼に「常連」としての誇りと余裕が感じられたのは、三日目のオーダーで「いつもの」注文をすることに成功したためである。わずか三日という短期間でオーダーを覚えられたことに彼は違和感を感じることは無かった。そう、彼はこの三日間が永遠とさえ感じていたのだ。まさに幸せの、彼の理不尽なストレスの多い職場を忘れていられる癒しの店として、彼は救われていたのだった。
「お待たせしました。アイスカフェモカのトールサイズです」
いつものようにメイドさんが彼のテーブルに置いたのは、生クリームたっぷりのチョコ風味のモカである。彼はまた渋い顔をして頷くと、内心で複雑な注文を覚えてくれたメイドさんの笑顔に絶頂する。甘さ引き立つこの香りは一度嗅いだら胸いっぱいに幸せが広がるのだ。十代を最後に控える若者の、最後の青春の夏の味である。このカフェモカとメイドさんを思うと、食事ものどを通らなかった。そのせいもあってか、突如若者のお腹から「ぐぅ」と情けない音が鳴り、それをメイドさんが聞いて小さく笑った。若者は顔面がもみじ色で染まりながら、これは違うんだ、と身振り手ぶりで抵抗する。するとメイドさんは、ひと指し指を頬の横に立てて笑顔で「そうだ」となにか閃いたジェスチャーをした。
「おきゃくさま、ただいま丁度ショコラが焼けたんです。カフェモカととても良く合いますよ。いかがですか?」
***
「店長、ショコラ追加注文です」
埃だらけになりながら厨房の下の戸棚を開け、朝から異音がするラテ機の調子を見ていた額の広い店長の尻に、戸棚の扉をぐいぐいと押し付けるメイちゃん。客足が無いからといってワンオペにした店長への仕返しである。
「えっほんとに?うっかり焼きすぎちゃったから廃棄になるかと思ったのに、良く注文あったねえ」
「ただでさえ売り上げ低いんで、そういう盆ミスはやめてください。でも、これからはショコラ一つ多めに焼いていいですよ」
スポっと棚から顔を出す店長。灰色の埃が額の汗で黒くしめっているアホ面で、不思議そうにメイちゃんに尋ねた。
「え?なんで?」
メイちゃんはショコラにポンポンと粉砂糖を振りながら、眼に輝きのない不敵な笑顔で答えた。
「――いつもの、がまた更新されたんです」