一生未完の戦車日常モノ
寝室。閉めきられたカーテンから漏れる光から、日が昇り始めていることがわかる。
しかし、この部屋の主が動く気配はなく、部屋は静寂が支配していた。
そこへ、静かに音を立てて扉が開き、何かが侵入してきた。
ベッドで眠る青年の、静かな寝息以外に何も聞こえなかった部屋に、機械の駆動音が響く。
それは、決してうるさいわけではなかったが、それまでの静謐な空間を壊すには十分だった。
侵入者は、それを気にする様子もなく、部屋に一つだけ設置されたベッドに近づいていく。
しばしそのまま、ベッドの上を眺めたまま侵入者は静止する。
そして、再び部屋に静寂が訪れ……る前に、パシャリ、と、侵入者から神妙な音がした。
その音を聞いて、ベッドの上の青年は眠ったまま顔をしかめる。
それを確認してから、侵入者はカーテンを一気に開け、青年の方に顔を……いや、身体そのものを向けて、口を開くことなく音声を発した。
「マスター、起床時間です」
その音声を耳にして、半覚醒状態にあった青年の意識は、完全に覚醒した。
そのまま、部屋に侵入し、自分を起こした侵入者に顔を向ける。
カーテンが開いたことにより、侵入者の姿は朝日に照らされてはっきりと見える。
……それは、例えるなら、ドラム缶に手足が生えたような外見をしていた。
円筒型のボディの下部には、自らの自重を支え、移動するための四本の脚。
用途に応じて使い分けが可能な作業用アームが1対に、正面には一つの円形のカメラ。
それが、彼女の姿だった。
青年が、身体を起こしたまま、彼女の姿を見つめてボーっとしていると、彼女は再び、口を開くことなく音声を発する。
……いや、口など存在しない彼女にとっては、それが自然な行動であるのだが。
「マスター。予定の遂行には残り3分26秒以内の起床が必要です。迅速な行動を提言します」
その言葉を聞いて、青年はようやくベッドから降りて、彼女の前に立った。
「はいはい。わかったわかった。着替えたら行くから、リビングで待ってろ」
寝癖のついた頭を掻きながらそう言うと、青年は目の前の機械に対して手を追い払うように動かした。
「了解しました。朝食の準備は済んでおります。では、失礼いたします」
機械は、アームを伸ばして扉を開けると、四本の脚で器用に階段を降りて行った。
視界から機械が消えたのを確認すると、青年は、ため息をつきながらも、機械の待つリビングに降りるため、着替え始めるのであった。
青年--久瀬俊樹にとって、これが毎朝の当たり前の光景であった。
着替えを終え、リビングに降りると、先程部屋まで起こしに来たのと同じ機械が、器用に二本のアームを用いて食器を運んでいるところだった。
俊樹が席につくと同時、テーブルの上に朝食が並べられる。
「フィア、現在時刻は」
「6時54分です」
俊樹の言葉に、フィアと呼ばれた機械が答える。
「そうか。それなら、まだ余裕はあるな」
「いいえ。今日は、登校前にメンテナンスの予定が入っています」
フィアの返答を聞き、パンにジャムを塗っていた俊樹の動きが止まる。
「……しまったな。すっかり忘れてた。まあ、時間もそんなにないし、別に今日でなくとも--」
言いかけて、俊樹はフィアのほうを見て、少し何かを考え込んだ。
「何かご用でしょうか?」
フィアは、怪訝そうな声--多少無機質ではあるが--で、俊樹にカメラを向ける。
「いや、気が変わった。やっぱり早いうちに行こう。フィア、準備しておいてくれ」
「了解しました。マイマスター」
俊樹が食事を終え、登校の準備を整えると、玄関でフィアが待機していた。
「よし、行くぞフィア。本当はあまり使いたくないんだが、今日は時間が無い」
フィアがアームを用いてドアを開けると、外には一台の大型車両が止まっている。
少なくとも、学生が個人で所有するものとしてはあまりに不釣り合いであろうその車両は、タイヤの代わりに履帯が存在し、上部には日常生活には確実に不要な、一本の火砲と、それを支える回転砲塔が存在していた。
俊樹がハッチから中に乗り込むと、車体後方にある穴に、作業用アームと脚を全て収納したフィアが収まった。
「局地支援用機体。収容完了」
「全地形対応多目的可変重戦車“フィア”起動開始」
車体内部のスピーカーから、直接フィアの声が響き、エンジンが始動する。
「目的地、センチュリオン」
「了解。ナビゲートを開始します」
俊樹の声に応え、操縦席の正面のモニターに光が灯り、周辺の地図と目的地への最短ルートが表示される。
俊樹はそれを確認し、アクセルを踏み込む。それに伴い、履帯が回転を始め、“彼女”は発進した。
全地形対応多目的可変重戦車“フィア”
それが彼女の本当の名称であり、本来の役割である。