第2話:招かれざる熱狂
嵐の前の静けさ、という言葉があるが、今の状況はまさにそれだった。
「……なぁ、サクラコ」
「うん、わかってる。多いね」
『Farm Cafe Katze』の開店三十分前。
俺とサクラコは、ログハウスの窓から外の様子を窺っていた。
普段なら、この時間帯に店の前にいるのは、散歩ついでに立ち寄る猫村さんか、新聞配達のバイクくらいのものだ。
だが今、店の前の砂利道には、見慣れない県外ナンバーの車がズラリと列をなしていた。念の為、と思って駐車場を作っててよかったなぁ。
「品川、横浜、大宮……随分と遠くからお越しだなぁ」
「動画の影響力って凄いね。アルゴリズムが『おすすめ』に載せただけで、こんなに人が動くんだ」
サクラコは冷静に分析しているが、その表情は少し硬い。
そのサクラコの表情は、当然だろう。車から降りてきた人たちが、スマホを片手に店の外観を撮影したり、あろうことか勝手に畑の畝に入り込んでポーズを取ったりしているからだ。
「おいおい、そこは昨日種を撒いたばかりだぞ……」
俺は思わず舌打ちしそうになるのを堪え、エプロンの紐をきつく締め直した。
厨房では、ほなみが仕込みの最終確認をしている。彼女のお腹には新しい命が宿っている。ただでさえ体調に気を遣わなきゃいけない時期に、この騒動は正直頭が痛い。
「ほなみ、無理はするなよ。ホールは俺とサクラコで回すから、厨房の中だけでいい」
「はい、ありがとうございます。でも……こんなにたくさんのお客様、食材が足りるでしょうか?」
「足りなくなったら『完売』の札を出せばいいさ。無理して作る必要はない」
俺は努めて明るく言い、開店の札を掛けに外へ出た。
「お待たせいたしました、オープンです」
ドアを開けた瞬間、どっと人が押し寄せてきた。
いつもの「いらっしゃいませ」の声が、喧噪にかき消される。
「ここだここだ! 動画で見たまんまだ!」
「ねぇ、あの子が天才少女ちゃんでしょ? 写真撮っていい?」
「マスター! あの無言で大根洗うやつやってよ!」
失礼な視線と、遠慮のないカメラのレンズ。
彼らにとってここは、食事を楽しむ場所ではなく、動画の聖地であり、映える写真を撮るためのスタジオでしかないようだ。動物園のパンダになった気分だ。……とてもじゃないが、良い気分ではないな。
「お客様、店内での無断撮影はご遠慮ください。他のお客様のご迷惑になります」
俺はなるべく穏やかな口調で注意して回るが、効果は薄い。
しかしお客さんは、スマホを下ろしたそばから、また別の誰かがシャッターを切る。これぞイタチごっこというやつだろう。
「……ふぅ」
厨房に戻ると、ほなみが額に汗を浮かべてフライパンを振っていた。
オーダーの伝票が、見たこともないスピードで積み上がっていく。
「孝文、3番テーブルさん、畑に入って配信始めようとしてたから止めてきた」
サクラコが戻ってきた。少し怒ったように頬を膨らませている。
普段は冷静な彼女も、自分たちのテリトリーを荒らされるのは我慢ならないらしい。
「ありがとう。……やっぱり、少し甘く見てたな」
俺はタオルで手を拭きながら、ホールの喧噪を睨んだ。
かつて、神宮寺夫妻という「権威」からこの場所を守った俺たちだ。
だが今、目の前にあるのは「大衆の熱狂」という、形のない、それでいて暴力的な波だった。
その時、テラス席の方から「キャーッ!」という悲鳴と、何かが割れる音が響いた。
「な、なんだっ!?」
俺とサクラコは顔を見合わせ、店外へと飛び出した。
そこには、スマホを構えて黒ヤギを追い回す若いカップルと、驚いて暴れ、植木鉢をなぎ倒してしまった黒ヤギの姿があった。
今は亡きクロエの孫にあたるこの黒ヤギは、祖母譲りのマイペースな性格なのだが、見知らぬ人間に執拗に追い回されてパニックになっているようだ。
いくら温厚なヤギでも、限度がある。
「ちょっと! 危ないじゃない!」
「服が汚れた! どうしてくれんのさ!」
逆ギレする客の声に、俺の中で何かがプツリと切れる音がした。
俺は深呼吸を一つして、腹の底から声を張り上げた。
「――いい加減にしろっ!!」
一瞬、店内の空気が凍りついた。
⚫︎あとがき
クロエ「許さないわよ、私の子供に……っ!」
烏骨隊長「怒る気持ちも分かるがまぁ落ち着け、黒ヤギよ」
クロエ「……なによ、あんたの子達は今回出てないからそんな態度が取れるのよ」
烏骨隊長「それはそうかもしれぬが……またヤカフミ様がどうにか納めてくれるだろう?」
作者「君達さぁ、孝文くんに期待しすぎでしょー」
烏骨隊長「当たり前であろう、我らが主人だからな」
クロエ「そうよ、私のタカフミだからね」
作者「……この信頼感、凄いよなぁ」




