第1話:世界からの通知
スマートフォンの通知音が鳴り止まない。
それが、俺――喜多孝文の新しい朝の始まりだった。
「……うるさいなぁ」
枕元で震え続けるスマホに手を伸ばし、寝ぼけ眼で画面をタップする。時刻はまだ五時半。いつもなら、アリスの散歩をねだる鼻鳴らしや、初代クロエの孫にあたる黒ヤギが「メェ~」と朝飯を催促する声で起きる時間だが、今日は無機質な電子音が先だった。
画面を見て、俺は目を疑った。動画投稿アプリの通知欄が、とんでもない数になっていたからだ。
『あなたの動画が100万回再生を突破しました!』
『コメントがつきました:Amazing!』
『コメントがつきました:Is this Japan? So beautiful...』
『コメントがつきました:I want to eat that radish!』
「……は?」
英語、英語、英語。たまにスペイン語やフランス語。
昨日投稿したのは、なんてことのない動画だ。ただ畑で採れたての大根を川の水で洗い、それを遊びに来ていた松田さんが豪快にかじり、最後にほなみが「ふろふき大根」にして出すだけの、字幕すらない五分程度の動画。
タイトルも『大根』としかつけていない。手抜きもいいところだ。
「孝文、起きてるー?」
障子の向こうから、制服に着替え終わったサクラコの声がした。高校生になってから、彼女は朝の支度が早くなった。昔は当日に授業の準備をしてバタバタしていたというのに、成長とは早いものだ。
「起きてるけど……なんかスマホが壊れたかもしれん」
「壊れてないよ。バズったんだよ、世界で」
襖を開けて入ってきたサクラコは、呆れたように、でも少し楽しそうに俺のスマホを覗き込んだ。
「昨日の夜から急に伸びたの。アルゴリズムに乗ったんだね。ほら、この『Zen Life』みたいなタグ、海外で流行ってるらしいから」
「全ライフ……?」
「禅、だよ。ZEN。孝文のあの無言で大根を洗う姿が、向こうの人にはすごくストイックでクールに見えたみたい」
クールも何も、ただ寒くて言葉が出なかっただけなのだが。あと、手がかじかんで動かなかっただけだ。それが「禅」に見えるとは、世の中何が受けるかわからないものだ。
「おはようございます、孝文さん。サクラコちゃん」
台所の方から、出汁のいい香りと共にほなみが顔を出した。エプロン姿の彼女は、今日も変わらず穏やかな笑顔を浮かべている。
「朝ごはん、できましたよ。今日は大根の葉っぱの炒め煮と、卵焼きです」
「はーい! すぐ行く!」
サクラコがパタパタと走り去っていく。
俺は改めて、通知が止まらないスマホを布団の上に置いた。
画面の中では世界中が騒いでいるらしいが、ここには土と味噌汁の匂いしかない。
不思議な感覚だった。
俺たちの生活は何も変わっていないのに、世界との扉だけが、勝手に少しだけ開いてしまったような。そんな予感がする。
「……ま、とりあえず散歩か」
足元で「くぅ~」と鳴いたアリスの頭を撫でる。
世界がどうなろうと、この子たちのトイレタイムは待ってくれない。アリスももう10歳のシニア犬だ。無理はさせられないが、散歩への執着心は衰えていない。
俺はスマホを置いて、いつもの作業着に袖を通した。
これが、俺たちの「世界への扉編」の、静かな幕開けだった。
⚫︎あとがき
烏骨隊長「第二部、開幕であるっ!」
クロエ「始まったわねぇ」
烏骨隊長「悲しいことに、我らの出番はあとがきのみであるがな……」
クロエ「仕方ないでしょ、もう本編にはいないんだもの」
烏骨隊長「そうであるが……っ! もっと出たかったのであるぞぉぉぉ!」
クロエ「……まぁ、確かにそうね。でも、子供たちが活躍してくれるわよ」
烏骨隊長「そうであるな! では我らはあとがきで活躍するとしよう!」
作者「君たちは変わらず元気だねぇ。変わらず活躍お願いね」
烏骨隊長「当然であるっ!」




