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高卒サラリーマンが脱サラして田舎でスローライフするだけの話  作者: らいお
第一部

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84/92

高卒サラリーマンの最高なスローライフ

「いらっしゃいませー! お好きな席へどうぞー!」


 元気な声が、木の温もり溢れる店内に響き渡る。

 声の主は、少し背が伸びて、中学校の制服を着崩したサクラコだ。

 かつては人見知りで、本の世界に閉じこもっていた彼女も、今では立派な看板娘としてホールを駆け回っている。


「ご注文はお決まりですか? 今日のおすすめは、採れたて夏野菜のカレーですよ!」


 お客さんに笑顔でメニューを渡すその姿は、板についたものだ。

 俺はキッチンの奥で、大量のタマネギを刻みながらその様子を眺めていた。


「孝文、手が止まってるよー。カレーの注文、あと三つ入ってるからね!」

「おっと、いかんいかん。見惚れてたよ」

「もう、親バカなんだから」


 隣でフライパンを振るうほなみが、呆れたように笑う。

 エプロン姿もすっかり馴染んだ彼女は、今やこの店『Farm Cafe Katze』のオーナーシェフだ。

 俺たちが結婚してから数年。

 あの夜に語り合った夢は、俺の手作りログハウス(制作期間一年半、猫村さん監修)という形で実現していた。


 ◇


 俺たちの店は、予想以上に繁盛していた。

 当初は動画を見て興味を持ってくれた人が中心だったが、今ではほなみの料理の味が評判を呼び、遠方からもリピーターが訪れるようになっている。

 動画の方も『脱サラ男と天才少女』シリーズとして細々と続けており、収益はサクラコの学費や店の維持費として十分に役立っている。


「おーい、喜多! カレーまだかー! 腹減って死にそうだぞ!」


 テラス席から、野太い声が聞こえてきた。

 見れば、松田さんがビール(ノンアルコールだが)ジョッキを片手に騒いでいる。

 その向かいには、相変わらず爽やかな笑顔の青央さんと、何やらまた新しい機材をいじくり回しているてんちょー。


「はいはい、今持っていきますよ。松田さんはせっかちだなぁ」

「うるせぇ! 俺はこの店の一番のファンなんだよ!」


 俺がカレーを運んでいくと、松田さんは子供のような笑顔でスプーンを構えた。

 かつて会社で理不尽に耐え、ストレスを抱えていた頃の面影はない。

 週末になるとこうしてツーリングがてら顔を出してくれる彼らは、今や常連客の筆頭だ。


「うん、やっぱ美味いな! お前の作った野菜と、奥さんの料理。最強のコンビだぜ」

「ありがとうございます。……あ、奥さんって呼ぶのやめてくださいよ。照れるんで」

「なんだよ、新婚気分が抜けないねぇ!」


 青央さんに茶化され、俺は頭を掻く。

 そう、俺とほなみは、あの騒動の翌年に入籍した。

 式は派手なものではなく、この庭で、いつものメンバーとBBQウェディングという形で行った。

 神宮寺夫妻からは、分厚い祝電(という名の契約書めいた手紙)と、高価なワインが届いたっけ。


「そういえばキタサン、最近サクラコちゃんの親御さんからは連絡ある?」


 てんちょーがカメラを置きながら聞いてくる。


「あぁ、あるよ。といっても、サクラコが書いた論文の添削が返ってくるだけなんだけどね」

「論文!? 中学生で!?」

「そう。『田舎における生物多様性と農業の相関関係』とかいうテーマで。……正直、俺には内容がさっぱりわからん」


 サクラコは、あれから一度も「帰りたい」とは言っていない。

 だが、学ぶことをやめたわけではない。むしろ、この環境でしか得られない「生きた知識」を貪欲に吸収し、それをあろうことか両親に送りつけているのだ。

 両親も両親で、それを無視するのではなく、真っ赤になるまで添削して送り返してくる。

 歪だが、それが彼らなりの親子のコミュニケーションなのだろう。


「やっぱ天才だなぁ……。将来が楽しみだ」

「本人は『将来はここをもっと大きくして、世界中の人が来る農園にするの!』なんて言ってるけどね」


 ◇


 ランチタイムのピークが過ぎ、店内にゆったりとした時間が流れる頃。

 俺は休憩がてら、庭へと出た。


「メェ〜」


 のんびりとした鳴き声と共に、子ヤギが寄ってくる。

 クロエの子供だ。

 クロエ自身はもういい歳になったので、日向で寝そべっていることが多いが、その血を引く子供たちは元気いっぱいに庭を駆け回っている。

 烏骨鶏たちも代替わりし、相変わらず庭の警備隊長として(主に虫を)追いかけ回している。

 アリスは……今は店内で、お客さんの足元で寝ているはずだ。あの人懐っこさは看板犬として最強の武器になっている。


 庭のベンチに腰掛け、コーヒーを一口飲む。

 ほなみが淹れてくれたコーヒーは、香ばしくて、優しい味がした。


 目の前には、俺が耕した畑が広がっている。

 大根、キャベツ、ブロッコリー。どれも瑞々しく育っている。

 その向こうには、俺が建てたログハウスのカフェ。

 窓からは、ほなみとサクラコが笑い合っている姿が見える。


「……最高だな」


 独り言が漏れた。

 あの頃、会社のデスクで死んだような目をしていた俺に、今のこの景色を見せてやりたい。

 理不尽な評価に絶望し、何もかも投げ出したくなった俺に。


『逃げてもいい』と言ってくれた清水さん。

『自分のために生きろ』と背中を押してくれた人たち。

 そして、この場所で出会った、かけがえのない家族。


 俺は高卒の元サラリーマンだ。

 特別な才能があるわけでも、大金持ちなわけでもない。

 それでも、自分の手で選び取り、自分の足で歩いてきた道の先に、こんなにも鮮やかな世界が待っていた。


「孝文ー! 休憩終わりだよー! ディナーの仕込み手伝ってー!」


 店の中から、ほなみが手を振っている。

 その隣で、サクラコも「早くー!」と呼んでいる。


「はいはい、今行くよ」


 俺はコーヒーを飲み干し、立ち上がった。

 作業着の土を払い、大きく伸びをする。

 冬の空は高く、澄み渡っている。


 これから忙しくなるぞ。

 でも、ちっとも苦じゃない。

 だってこれが、俺が選んだ、最高のスローライフなのだから。


⚫︎あとがき

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

後日談みたいな形で更に更新する予定ですので、そちらもお待ちいただけると幸いです。

引き続き、他作品も含めて応援頂けますとありがたいです。


鷺ノ宮「最後まで! 本当に最後まで出番が無かったよぉぉぉぉぉ!」

クロエ「まぁ……うん。ドンマイよ」

烏骨隊長「我なんてほら、世代交代で……うん……ね?」

鷺ノ宮「アッ」

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