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高卒サラリーマンが脱サラして田舎でスローライフするだけの話  作者: らいお


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夢への足掛かり編 第九話

7月29日 AM8:30


 俺は今、部屋の荷物を断捨離をしながら段ボールに詰める作業を淡々とこなしていた。


「これは要る……これは要らない……これも要らない……これは、要るのか?」


 ぶつぶつと小さく呟きながら作業をしているが、この断捨離という作業、なかなか難しい。そもそも、要る要らないの仕分けがなんとも判断しにくい。どうしても要らないと思っていても、そのうち使うんじゃないか、といった事を考えてしまってなかなか進まない。もう着ない服や必要の無くなった書類などはすぐに要らないと判断できるが、学生時代に使っていた教科書やノートなど、ちょっと思い出深い物などもあるわけだから難しい。

 俺は別にミニマリスト的な思考は持ち合わせていないので、極限まで要らない物は排除しなくてよいと思っている。…であれば、今回の断捨離はする必要が無いんじゃないか?あれ、今やっている作業って、無駄なんじゃないか?

 そもそも、今の部屋はワンルームだ。そして引っ越し先は3LDK。今と比べると、格段に大きいわけだ。つまり、断捨離なんてしなくてもしまうスペースは沢山あるわけだ。


「もう、いい。詰め込むだけ詰め込んでしまおう」


 俺は吹っ切れて断捨離を中止する。そして、部屋にあるものでゴミや本当に要らない物以外は全て段ボールに詰め込むことにした。

 そうするとどうだろうか。ものの2時間で詰め込み作業が終わったじゃないか。やるな、俺。よく頑張った。

 あとはこの段ボールを明日来る引っ越し業者に受け渡すだけだ。


「さて、詰め込み終わったし、後はもう遊ぶとするか!」


 俺はパソコンでゲームでもやろうと思い、意気揚々といつもパソコンを置いているデスクに向かう。そこで、ある事態に気が付く。


「あ、パソコンもう段ボールの中じゃん…」


 とんだ凡ミスをして、出来る事がせいぜいスマホをいじるくらいになってしまった俺は、その日一日ただボケ―っとスマホをいじって退屈に過ごすのだった。



7月31日


 とうとう、引っ越しの日がやってきた。

 俺は昨日荷物を引っ越し業者に受け渡し、何もなくなった寂しい部屋を独り眺めていた。もうこのワンルームの部屋ともお別れだ。就職すると同時にここに越してきたので、かれこれ7年以上住んだことになる。長いようで、あっという間に過ぎた7年だった。なんだか、感慨深いな。

 感傷に浸っていると、チャイムが鳴った。誰か来たようだ。


「喜多さーん、大家ですー」


 あぁ、大家さんか。鍵を受け取りに来たんだろうな。俺は玄関を開ける。


「おはようございます、大家さん」

「おはようございます、喜多さん。鍵受け取りに来ましたよ」


 俺は部屋の鍵を大家さんに渡す。


「はい、受け取りました。部屋出るときに、ブレーカーだけ落として出てきてね」

「はい、わかりました。今までお世話になりました」

「いいのいいの、頑張っていってらっしゃいね」


 そう言うと大家さんは帰っていった。大家さんは積極的に住人とコミュニケーションを取るような人では無かったが、だからといって話しにくいというわけではなく、一定の距離間を常に保ち続ける人だった。だからこそ、良いとまではいかないまでも悪い関係にはならないのだろう。俺としては、程よく住みやすい場所だった。こういう人が、不動産賃貸業に向いているんだろうな。


(さて、そろそろ行くか…)


 俺はガスの元栓を締め、窓が戸締りされているかを確認する。確認し終わると、ブレーカーを落とし部屋を出た。

 今日は雲一つない快晴、良い旅立ち日和だろう。俺は車に乗り込む前に車の周りをぐるぐると周り、何か目に見える不備が無いかを確認する。そして、無い事を確認すると車のタイヤを確認。高速道路に乗って行くので、空気圧が低すぎると最悪の場合バーストしてしまう可能性があるので、十分に確認する。


「うん、良い感じだ。これなら大丈夫だろう」


 程よく空気が入っていることを確認すると、俺は車に乗り込みエンジンをかける。


「……あっつ!!」


 車内は雲一つない快晴のせいで蒸し風呂状態になっていた。空調を回してある程度涼しくなるまで外で待機しておこう。

 車の蒸し風呂はこの時期の風物詩と言ってしまえばそうなんだろうが、正直俺はあまり好きではない。これさえ無ければいいんだがなぁ。

 俺は特にすることも無いので、雲一つない快晴の空をただ、ボーっと眺めていた。

 すると、パタパタと小気味良い足音が聞こえてくる。


孝文(たかふみ)さん!」

「んなっ、ほなみさん!?なんでいるんですか!?」


 そこには、肩で息をしたほなみさんがいた。走ってきたのか、額には薄く汗をにじませている。


「どうしたんですかほなみさん!?」

「た、孝文さんが、昨日、電話で……」

「あぁ、息整ってからでいいですよ」


 ほなみさんはゆっくりと深呼吸を2回、3回と行う。

 昨日電話で…?あぁ、確かに昨日の電話で「明日の9時くらいに出るかなぁ」みたいなことを言った気がする。もしや、それを覚えていたから来たのか?


「……すみません、もう大丈夫です」


 ほなみさんは申し訳なさそうな顔をしながら額ににじむ汗をぬぐい、そう言った。


「あぁ、ごめんなさい。暑いですよね。もう車の冷房効いてると思うので車乗っちゃってください」

「あっ……はい……」


 俺はほなみさんに車に乗るように指示をする。車内は案の定いい具合に冷えていて、快適だ。


「さて…ほなみさん、どうしたんですか?」

「…昨日電話で、今日の9時頃に出るって言ってたので…最後に、会っておきたくて…」


 この前告白された日の夜から毎日のように夜の電話は続いていたが、なるほど…余計な事を言ってしまったかな。つい無意識のうちに言ってしまったんだろう。


「そうですか…確かに、次会えるのがいつになるかは分かりませんからね」

「はい…急に来て、すみません……」

「いえいえ、いいんですよ。……でも、なんで家の場所知ってたんですか?言いましたっけ?」

「結構前ですけど孝文さんが引っ越すって言う前に、年賀状送りたいので、って住所聞いたじゃないですか。その時に……」


 あぁ、そういえばそんな事があったな。なるほど、そこから住所を引っ張ってきたわけか。


「なるほど、そういう事ですか。まぁ、会えてよかったですよ」

「もう、行っちゃうんですよね?」

「そうですね、そろそろ行こうかな、って思ってましたよ」


 さて、どうしたものか。このままほなみさんを連れていくわけにもいかないし……


「じゃ、わざわざ来てもらってこのままバイバイ、ってのも悪いので、俺の運転で良ければ店まで送っていきますよ」

「えっ、そんな、悪いですよ!私が勝手に来ちゃっただけなので!」

「いいんですよ。送っていきます」


 俺はこのままだとほなみさんが車を降りてしまいそうだったので、車を走らせる。


「わわっ、孝文さん!」

「シートベルトしてくださいねー。安全と、俺が捕まらないためにもー」


 ほなみさんは慌てながらカチャカチャと音を鳴らしてシートベルトをつける。よし、大丈夫そうだな。


「短いドライブになりそうですけど、楽しみですねぇ」

「ちょっと孝文さんっ!……はぁ、よろしくおねがいします……」


 やっと観念したようだ。いい子いい子。

 ここから”Katze”までは来るまで約20分程だ。楽しい短めのドライブになりそうだ。


「にしても、ほなみさんはアクティブですねぇ。昨日俺が言ったことを聞いてわざわざ来たんでしょう?」

「次いつ会えるかわからなかったので、つい来ちゃいました……」

「もし俺が9時より前に出てたらどうするんですか?っていうか、店大丈夫なんですか?」

「そこは孝文さんを信じてましたから!お店は今日は臨時半休です!」


 ほなみさんは自信たっぷりにフフンと鼻を鳴らせながら言う。さっきまでの申し訳なさそうな顔はどうしたんだろうか。にしても、臨時半休か。流石は店主だな。個人で営んでいる店だからこそ出来る事だろう。


「また自信満々に言いますねぇ。でも、次こっち来るのはこの車の点検の時だったので、半年後だったから今日会えたのは嬉しいですよ」

「半年後こっち来るんですか!?絶対連絡してくださいね!?」

「はははっ、もちろんしますよ」


 次こっちに来るときは必ずほなみさんに連絡しよう。点検は結構時間がかかるので、”Katze”にでも寄ってコーヒーを飲もう。その頃には食べ物のメニューも増えてるだろうからいっぱい食べよう。あぁ、今から楽しみだ。


「そういえば、ほなみさん」

「はい?」

「この前、おじいさんに会いたいって言ってましたけど、いつ頃行くかとかって考えてます?」

「うーん……」


 この前ほなみさんは霞ヶ浦出身と言っていた。きっと、そのおじいさんの家も霞ヶ浦周辺なんだろう。であれば、車ですぐの距離だろうからその時は俺から会いに行くのも良いだろう。


「おじいちゃんとは会えてないだけで、電話はいっぱいしてるのでまだ先になるかもですね。最近は、お店のほう頑張ろう!って気持ちが強いので、おじいちゃんに会いに行くとなっちゃうと、長い事お店開けちゃう事になるので……」

「あー、確かにそうですよね」


 確かに、頑張ろうとしている時期に長期間店を開けるのは勿体ない。スポーツでは「1日のロスは取り戻すのに3日掛かる」と言われる程だ。これが客商売に於いても当てはまるかは分からなないが、大体あっていると思う。


「じゃ、落ち着いたらですね」

「そうですねっ!……あれ?」


 ほなみさんは後部座席側を見ながら首を傾げる。


「孝文さん、これからお引越し先に行くんですよね?」

「えぇ、ほなみさんを送ったらそのまま行こうかと。どうかしました?」

「いやぁ、お引越しの割には荷物が少ないなぁ、って思いまして。後部座席も荷物でパンパンなのかな、って思ったんですけど」

「あぁ、大きい荷物は先に送ってますからね。あんまり服とか持ってないので、手荷物はトランクで済むくらいしかないんですよ」


 そう、俺はあまり服を持っていない。そもそもファッションに興味が無いのだ。とはいえ、カッコいい服はカッコいいと思うし、可愛い服は可愛いと思う。なので感性としては普通なものを持ち合わせていると思う。

 普段着る服はほとんど同じで、ラフなオフィスカジュアル風な服ばかりだ。似たような服ばかり着るのには理由があり、何を着るかを迷う必要が無いからだ。なので無駄な思考リソースを裂かずに済むというわけだ。


「へぇ、いいですね!確かに引っ越し当日にいっぱい荷物があるとドタバタしちゃいますもんね!」

「そうですね、俺は面倒な事は明日の自分に任せるタイプですからね」


 俺たちはそんな具合で談笑しているわけだが、もう駅前付近なのでもうじき”Katze”に着いてしまう。


「さて……そろそろ着いちゃいますよ」

「えー、もうちょっとゆっくり走ってくださいよぉ」

「無理言わないでくださいよ、これ以上ゆっくり走ったらクラクション鳴らされますよ」

「でもー……」

「こら、駄々こねないの」

「はぁーい」


 ほなみさんは頬を膨らませて不機嫌そうに返事をする。


「とはいえ、行く前に会えてよかったですよ。わざわざ来てくれてありがとうございました」

「いえ、私のわがままですから!」

「でもほなみさんのわがまま、俺は嬉しかったですよ」

「あはは……そう言われると、なんか照れちゃいますね……」


 ほなみさんの横顔を運転しながら横目で確認すると、少し頬が赤くなっている。なんだかなぁ、可愛いよなぁ。


「よし、到着です」

「あーあ、もう着いちゃった。やっぱり車だと早いなぁ……」

「そんなに残念がらないでくださいよ、また会えるんですから」

「そうですけど……」


 ”Katze”に着いたが、ほなみさんはなかなか車から降りようとしない。


「孝文さん、最後にお願い聞いてくれてもいいですか?」


 お願い?なんだろうな。


「えぇ、俺にできることであれば何でもどうぞ」

「じゃあ……敬語!やめてください!もっと、私はフレンドリーに話したいです!」

「あ、うん。わかった」

「対応速いっ!?」


 ほなみさんの反応に声を出して笑う俺。そして、笑う俺を見て怒るほなみさん。やっぱりほなみさんにちょっかいを出すのは面白いな。


「ちょっと孝文さん!?」

「あぁ、ごめんごめん。俺も前から思ってたからさ。なんでずっと敬語使ってるんだろって」

「あ、そうなんですね!私だけがそう思ってるんじゃないかな、って思ってたんですよ」

「あれ、ほなみさんは敬語やめないの?」

「あっ……実は私、昔からお友達と話すときも敬語になっちゃってるんですよね……癖なのかなぁ?」


 今の「癖なのかなぁ?」は敬語になってなかったよ、と言いたかったが、本当に癖っぽいのでこれを言うのはやめておこう。変に意識されて混乱させても意味のない事だ。


「そっか、癖ならしょうがないね」

「直そうとは思ってるんですけど、どうにも難しくって」

「いいんじゃないかな?変に矯正してお客さん相手に出ちゃってもだし、そのままでいいと思うよ。むしろ、俺は今のほなみさんが好きだし」

「えへへ、そうですかね……?わかりましたっ!私、そのままでいますっ!」


 ほなみさんはニコニコと笑顔だ。うん、今のままのほなみさんがいいな。


「……よし!送ってくれてありがとうございました!私、がんばりますね!」

「うん、お互い頑張ろうね」

「はい!」


 ほなみさんは満足したような表情で車から降りた。俺が車内から手を振ると、振り返してくれた。そして俺が車を走らせると、車が見えなくなるまで手を振っていた。

 これからちょっと長めの移動だったが、なんだか元気が出てきたな。頑張れそうだ。


 これから俺は、霞ヶ浦に移住する。住み慣れない土地だ。右も左も分からない。唯一その土地で知っている人はお隣の猫村さんだけだ。そんな環境でやっていけるのかが心配になる。だが、同時に楽しみでもあった。

 今までに体験したことも無いような問題に直面する事もあるだろう。解決策が思いつかなくて、頭を抱える事もあるだろう。でもそれらの問題はこれまでと違い、企業に縛られていない自由な悩みだ。だからそんな事は些細な問題は、言ってしまえば正解の無い事なので気にする事でも無いのだ。そんな事がこれから待ち受けていると思うと、ワクワクするだろう?

 俺は今、まるで子供に戻ったかのような感覚だ。近所の公園で、山で、廃材を集めて秘密基地を作っている時の感覚に限りなく近い。しかもそれは、子供の頃であれば大人に怒られるような事だが、今は怒る人がいない状況だ。なんせ俺は大人だからな。そんな環境で、やりたい事を心置きなく出来るわけだ。自分の思うまま、何でも好きな事をやれる。あぁ、今から楽しみだ。


 俺は、高揚感が隠せていないよなニヤついた顔で車を走らせる。空は快晴、遠くの山にはもくもくと上に伸びる入道雲が見える。夏らしい、素晴らしい空模様だ。そんな素晴らしい空の元、俺はまだ見ぬ自由へと向けて幼心を全開で走り出すのだった。



夢への足掛かり編 ~完~


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