怪9
正直に言って、花子の言っていることをすべて理解できた訳ではなかった。
だが、花子が本気で日本という場所に帰りたがっているということだけは感じられた。日本のトイレは、さぞ素晴らしい場所なのだろう。
出来ることなら、花子を日本に帰してあげたいとアメリアは思った。
「ねえ、花子さん。日本に帰るために、誰かに協力してほしかったというのはわかったわ。でも、どうしてわたくしだったの?」
アメリアには、花子が自分に声をかけた理由がわからなかった。彼女があのトイレでずっと自分の協力者を探していたのだとしたら、もっと役に立ちそうなーーしっかりしていて頼りになりそうな生徒に声をかければ良かったのにと思った。
「それは、あんたがこの世界に絶望していたからよ」
花子は言った。
「この世界に居場所がない、この世界の誰も自分を必要としていない、そう思っている気持ちが、あたし達が感じたのと似ていたから」
花子の言葉に、アメリアは目を見開いた。
そうだ。確かに、自分はあの時、「いっそどこか別の世界に行ってしまいたい」と望んでいたのだ。
クラウスに婚約破棄され、味方は一人もいなくて、皆に嘲笑されて、もう自分がここにいる意味はないと思ったから。
「あんた、クズ男に浮気されて、公衆の面前で無実の罪を着せられたんでしょう? そりゃあ、この世界に嫌気がさしても無理ないわよ」
「……嫌気がさしたのではなくて、わたくしがこの世界の役に立たないと思い知っただけよ」
そして、自分のしてきたことがすべて無意味だったと知ったからだ。
「そんなに深刻に落ち込まないでよ。あんなクズ男と結婚しなくてよかったじゃない」
「……そんな風に割り切れないわ」
「まあ、気持ちはわかるけどね。あたしも昔はいろいろあったし」
「花子さんも?」
「ええ。昭和六十年代から平成初期にかけて、太郎くんっていうオトコがいたのよね。まあでも、あいつ闇子さんと浮気しやがって。最低よね。だから、あたしの方から捨ててやったの」
「まあ……っ!」
アメリアは瞳を潤ませた。花子にそんな過去があったなんて。
「だからね。あんたとなら取引出来ると思ったの」
「取引?」
「ええ。そうよ」
花子はニヤリと笑った。
「あたしに協力してくれたら、あたし達が日本に帰る時に、あんたを一緒に連れて行ってあげる」
アメリアは目を丸くした。
「もうこの世界にいたくないんでしょう?」
そうだ。確かにそう願った。
花子は、その願いを叶えてくれるというのだ。
アメリアはぎゅっと拳を握った。
「わたくしも、日本に行けるの? 日本に行けば、わたくしでも……花子さんのように強くなれるかしら。いつか」
「何言ってんの!」
ぽつりと呟いたアメリアに、花子はけらけらと笑って言った。
「あんたの方がよっぽど強いわよ! 周りが敵ばっかりなのに、よく頑張ったわ!」
花子はそう言ってアメリアの背中を叩いた。
アメリアは息が詰まって、ぽろりと涙をこぼした。
よく頑張った。その言葉が、アメリアの心にじわじわと染み込んできた。
本当は、誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれない。
「……ぐすっ」
人前で涙を流してはいけないのに、アメリアはこぼれ落ちてくる涙をとめることが出来なかった。