怪39
子供達は学校へ行っている。
離れには誰もいない。
その離れにこっそりと忍び込む影があった。
「ふふふ……」
誰もいないというのに、壁に張りつきながらじりじりと廊下を進む怪しい人影は、アメリアの部屋の扉をそっと開けた。
「義娘い・び・りは 義母のた・し・な・み♪ ふふふ~ん♪」
妙な節回しでとんでもないことを歌う彼女はセレナ・アーバンフォークロア公爵夫人である。
ユリアンの実母で、アメリアの義母だ。
「ふふふ……アメリアのいない間に、部屋の中をめちゃくちゃにしてやるわ。手始めに本棚からよ。作者順に並んでいる本を背表紙の色で分けて並べ直してやるわ。読みたい本がみつからずに戸惑うといいわ!」
元々がお花畑な伯爵令嬢なので、やってることは大したことない。
「次はお茶のカップを新しいものと入れ替えてやるわ! ふふふ。バラの模様がひまわりに変わっていることに気付いた時の愕然とした表情が楽しみね!」
実際には気付いても「侍女がお茶セットを新しくしたのね」ぐらいにしか思わないであろうが。
「さて、次は……」
悪事の限りを尽くす非道な義母であるセレナは、さらなる悪事を働こうと部屋の奥へ足を踏み入れた。すると、椅子に座った人影に、思わずぎくりと硬直した。
赤い服を着た何者かが椅子に座っている。一瞬、生きている人間かと思った。だが、よく見るとそれは人形だった。
人形、と言っても、布を人型に切って縫い合わせて綿を詰めただけの適当な代物だ。その簡素な人形に、奇妙な形の赤いガウンを着せてある。
「な、なんなの、この不気味な人形は!」
人形には一応、顔が描かれていたが、その虚ろな目と半開きの口が余計に不気味さを強調している。額に「肉」と書かれているのも意味が分からなくて怖い。
「こ、これはまさか……悪魔の儀式に使われた人型では!?」
そう言えば、先日から夫は離れを「悪魔の館」と呼んで近寄ろうとしない。その代わりに息子が離れに住み着くようになってしまった。
「な、なんてこと……」
この不気味な人形はきっと召還した悪魔を宿らせる形代に違いにない。真夜中に動いたりする。たぶん。
戦慄するセレナだったが、恐怖はそれで終わりではなかった。
「ひっ……」
壁に掛けられた釣り竿、その糸の先に、小さなビスクドールが括り付けられており、恨めしげにこちらを見ていた。
「ひいい!」
たまらず、セレナは逃げ出した。離れから飛び出して本邸に戻るまで、あの不気味な人型が追ってくるのではないかと不安でたまらなかった。
「離れは悪魔に支配されているわ! アメリアは悪魔に魅入られてしまったのだわ! ユリアンも、もう……ああ! 神よ!」
そんな風にセレナを怖れおののかせた人型であるが、実際は『赤いチャンチャンコ』をいつまでも椅子にかけて置くわけにはいかないと思ったアメリアがチャンチャンコ掛け用に作っただけである。魂の宿った『赤いチャンチャンコ』を自分の服と一緒にクローゼットに閉じこめるのも気の毒だと思ったからだ。ちなみに顔を描いたのは花子である。
そして、釣り竿に括られた人形は修行用である。
だが、そんなことは知らないセレナは「悪魔の呪い」を怖れるあまり「窓の外に赤いガウンを着た人形が!」と怯えて使用人達を困らせた。
まあ、『赤いチャンチャンコ』は歴とした怪異であるので、怖れるのは間違いではないのだが。




