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第三章 唐人笠と銀煙管④

       *


 見知らぬ土地の賭場を訪れるということで、三人は大いに緊張をしていたのだが、どうやらそれは取越し苦労であった。

 中間部屋の警戒は薄く、見張りらしき男に江戸の辰吉の紹介できたと告げると、難なく中へと入ることができた。

 江戸と異なり、名古屋では万事大らかな空気が流れている。


 案内されたのは、普段は中間たちが寝起きするための座敷なはずだが、今はすっかり賭場へと様子は変わっている。

 畳の上に白布が敷かれ、その上で平安双六やカルタ賭博が行われていた。

 ここでは印将棋の光景は見られない。


 部屋の中にはざっと二十人はいるだろうか。中にはふんどし一つで博奕に興じている気合の入った者もいて、見たところ彫物の入ったようなならず者の客はおらず、多くは町人のようだ。

 武士らしき者の姿もチラホラと見えた。


 新兵衛は清三郎に種銭たねせんを預け、博奕のほうは任せることにした。

 自分は兄の消息について調べるべく、室内をぐるりと見回す。


 すると、部屋の奥に陣取っている男と眼が合った。

 その男は胡坐をかいて、腕組をしながら、つぶさに賭場の全体を観察している。

 でっぷりと太って、腹が布袋様のように出ている。

 褌に法被はっぴを着ただけの姿で、その貫禄からこの男がここの胴元であろうことは直ぐに察しがついた。


 新兵衛はそ知らぬふりをして視線を逸らそうとしたところ、胴元は逆に怪しいものを感じたか、目ざとく話しかけてきた。


「お前さんらここじゃあまり見ない顔だが何者だ?」

 腹を揺らして言う。

 見た目通りの低くこもった声である。


「はい手前どもは尾張様の江戸屋敷に出入りしておりました商人でございまして、辰吉さんの口利きでここに上がらせてもらっています」

「辰吉の知り合いねえ。あんたらみたいのが来るなんて話は聞いちゃいなかったが…」

「ところで名古屋は景気がよござんすね。江戸じゃどうもお上のほうから質素倹約を煩く言われて、博奕どころじゃありませんよ」

 胴元が何か言葉を続けようとするの遮って、新兵衛が上手く話題を転換した。


「そう言えば辰吉もそうボヤいてたっけな。だがこの名古屋は別だ。今の殿様が名古屋城に入ってからは、芝居小屋に女郎屋がいくつもできた。それを目当てに人が集まって来るから景気は鰻登りだ。だから俺たちの商売も調子がいいってもんよ。それもこれもお殿様と織部様のお陰だ」

「本当に織部様のお陰だと辰吉さんもよく申しておりました。ここの儲けも、やはり織部様に収めるのが筋でございましょうな」

「そりゃあそうだ。俺たちがこうやって楽しめるのも織部様が万事取り計らってくれるからだからな」

「いやあその通りでございますな。手前どもの仲間も向こうで随分と負けておるようですが、それが織部様の元へ行くのであれば仕方のないことですな。はっはっは」


 わざとらしい笑い声が、座敷内に響き渡った。

 胴元は横目で清三郎のほうを確認し、本当に大きく負けているようなので、新兵衛と一緒に満足そうに笑い声をあげた。


 兵助はこの茶番劇を、醒めた眼で眺めていた。

 新兵衛が、胴元に正体を悟られぬよう殊更お世辞めいたことを並べているのは分かるが、そこまでする必要があるのかは甚だ疑問である。


 こんな馬鹿げた芝居には付き合ってられないと、新兵衛に背を向けて大きく伸びをしたその瞬間、兵助の後ろのほうで襖が開いた音がした。


 誰かが部屋に入ってくるときには、一応は見張りが素性を確かめてから入れるはずなのに、今はその手続きがされた様子はない。

 全く突然に、襖は開いた。


 一瞬座敷内が静まり返って、入口に視線が集中する。

 入口には、その視線にひるむことなく、一人の武士が仁王立ちに立っていた。

 身なりからすると、ただの平士ではない。

「…あっ!」

 と兵助は心の中で声を上げた。


 どこかで見覚えのある顔だと、すぐに気がついた。慌てて身をかがめるようにして、手拭いで頬かむりをする。すると、

「おお織部様どうなさいましたか。金はいつも通り晦日みそかに届けさせる予定ですが」

 新兵衛のことを腹で押し退けて、胴元が素早く侍の足元へ平伏した。


 現れた人物は、尾張徳川家家老星野織部その人であった。

 織部は胴元には目もくれず、ゆっくりと座敷内を眺め回すと、

「鼠が這入はいってきたと思ったが、小童こわっぱを含めた三人か。だとすると思い違いであったか…」

 低く歯軋はぎしりをするように言った。

 頬かむりが幸いしたか、どうやら兵助たちが、先程ひと悶着あった者たちとは気づいていないようである。


「いや鼠なんぞは見ていませんよ。何しろあっしは鼠とゲジゲジが大の苦手ですから一匹たりとも入れやしませんぜ」

 織部は胴元のことを蔑んだ眼で一瞥すると、

「晦日の金、きっと忘れるでないぞ」

 と捨て台詞を吐いて、身を翻し部屋から出て行ってしまった。


「おい今のはあの織部じゃねえのかい?」

 清三郎がすぐさま駆け寄ってきてそう耳打ちすると、新兵衛は黙って頷いた。

「やっぱりそうだったのか。何だか俺も冷や汗をかいちまったぜ。ところで新兵衛さん、種銭をもっと都合しちゃくれねえか。全部すっちまって…」

 冷や汗をかいたというのは口ばかりで、清三郎が寄って来たのは種銭を融通してもらいたいからである。


「いやもうここは出ましょう。これ以上いると危ないかもしれません」

 新兵衛は胴元に愛想よく挨拶した後で、兵助を連れてそそくさと中間部屋を出て行ってしまった。

 清三郎は名残惜しそうに座敷を振り返りつつ、舌打ちを一つして二人の後を追った。


 星尾織部下屋敷から宿屋までの行路、新兵衛の足取りは速かった。

「兵助さんのお陰でどうやら命拾いをしましたよ。私と清三郎さんの二人だったら危なかったかもしれない…」

 無理に笑顔を作って兵助に話かけたが、眼は少しも笑っておらず、顔色は冴えなかった。

 あの中間部屋で兵助は、新兵衛の傍らでぼんやりしていただけで特に何をしていたわけでもない。


 二人の関係を知らない人から見れば、確かに商店の旦那と丁稚のように見えただろうから、そのせいでうまいこと中間部屋に入り込めたというのは、一理あるかもしれない。

 兵助は感謝されて悪い気はしなかったが、何となく腑に落ちない気がしていた。

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