第三章 唐人笠と銀煙管③
通りがかったのは尾張中将、即ち徳川御三家筆頭、尾張徳川家の藩主、徳川左近衛権中将宗春その人である。
宗春は尾州家第三世徳川綱誠の二十男として名古屋に生まれ、幼名を萬五郎といった。
元服し松平求馬通春と名乗った後、正徳六年二月に、七代将軍徳川家継に御目見得し、享保元年七月には八代将軍吉宗より従五位下主計頭に叙任されている。
同十四年八月、吉宗の肝煎りで奥州梁川にて三万石の封地を受け、梁川藩大久保松平家を再興を任される。
併し、その僅か一年後の享保十五年十一月に、兄であり尾張藩第六代藩主である継友が急死したため、継友の遺言ということで、尾張徳川家宗家を相続し、従三位左近衛中将へと進んだ。
その際に将軍吉宗より偏諱を賜り、徳川宗春を名乗っている。
宗春は名古屋城下にて、幕府の質素倹約政策とは一線を画した独自の政策を打ち出し、領地の発展と民の繁栄に尽くした領主であった。
『愛知県城主伝』には、その政策について次のように分析されている。
「宗春の政治は名古屋に取りて一大時期を割したるものにして、その豪放闊達なる性格は、政治上に於いても義直(初代尾張藩主徳川義直)以来の厳粛質朴なる風を破りて、俄かに積極主義を取り、自由主義平等主義の政治に傾き、名古屋の繁栄膨張を来したり。これと同時に、奢侈淫逸の弊風を生ずるに及べり」
藩祖である尾張大納言義直は学問に通じ、自身で古書を収集し、蓬左文庫と称する文庫を設けて日々勉学に励んだとされている。それだけに留まらず、剣術も能く遣い、柳生兵庫介利厳より柳生新陰流正統を継いだほどの腕前であった。
即ち尾張藩には、立藩以来ずっと質実剛健の気風が流れていた。
そんな中では宗春の存在は、確かに異端ではあった。
だが宗春の記した政教書『温知政要』に見られる自由闊達な精神は、市民の間に深く浸透し、大きな支持を得ていたのは間違いない。
あの奇矯なる装いも、単なる遊蕩ではなく、宗春自身の哲学に基づいて行われているということを、誰もが承知していたのである。
「随分とお洒落な殿様だねえ」
一行が過ぎ去ってから、兵助が溜息をつくように口を開いた。
結果的に自分を助けてくれた宗春に対しては、どうやら好意的な印象を持ったようだ。
一方の新兵衛は、先程からむっつりと黙ったままで、何やら考え込んでいる様子である。
自ら名古屋息を提案しておきながら、着いた途端不機嫌になってしまったので、兵助と清三郎は互いに顔を見合わせて不思議がっていると、
「そうだ清三郎さん、ひとつ名古屋で博奕の勝負をしてはいかがですか」
自分に向けられた不穏な空気を感じ取ってか、新兵衛は急に明るい調子で言った。
これまで博奕に対して興味を示していなかったはずなのに、わざわざ新兵衛のほうから勧めて来るとはいかにも訝しいが、
「噂によると、星野織部という武家の中間部屋が随分と盛っているようでございます」
清三郎から向けられた疑いの視線を無視して、眉根を寄せて囁いた。
「その織部ってのはさっきのいけ好かねえ侍じゃねえのかい?いってえ奴は何者なんだ?」
「尾州の家老でございます。元は小普請組十人扶持のごく軽い身分でしたが、随分と悪知恵に長けていて、今では五千石の大身にまでなったとか」
一介の商人である新兵衛が、なぜ尾張の内情にまで通じているのか、兵助と清三郎は怪しんだ。
それに、家老格の中間部屋に余所者が行くのはいかにも敷居が高い。
きっと地元のならず者が取り仕切っており、初顔を歓迎しないことは容易に想像がつく。
「やめとこう。きっと俺たちが行ったところで入れちゃくれねえだろう。江戸から来たって分かりゃカモにされるのが落ちだ。勝てねえ勝負に手を出すのは利口とは言えねえよ」
博奕の熟達者であればあるほど、勝負に対しては用心深いもので、清三郎の発言も道理である。
「それなら私にいい考えがあります。清三郎さんは尾張家の江戸屋敷で奉公していたことにするのです。暇をいただき伊勢参りする途中に立ち寄ったことにすればいいでしょう。江戸屋敷の辰吉という者の紹介できたと伝えれば、きっと直ぐに入れてくれます。私は屋敷出入りの商人で、兵助さんはそこの丁稚ということにしましょう」
「おいちょっと待ってくれ。なんで新兵衛さんがそんな辰吉なんて奴のことを知ってるんだい?何か裏があるんじゃねえのかい?」
清三郎はとうとう我慢できなくなって聞いた。
この新兵衛の立て板に水の如き口上は、あらかじめ周到に用意されたもののような印象を受ける。
それはつまり、何かを企んでいるに違いない。
清三郎に睨まれて、新兵衛はとうとう観念するようにして、
「実は…私の兄が三年ほど前に家業に嫌気がさして出奔してしまったのです。風の噂では名古屋城下で暮らしているということで。博奕好きの兄でしたからひょっとすると名古屋のどこかで今でも博奕に手を出してるんじゃないかと思い色々と調べを致しました。だから悪いとは思いつつも、こうやってお二人に名古屋までお付き合いしていただいたのです。私は博奕にはとんと疎いものですから、三人で一緒に賭場まで行くことができれば実に心強いと思い無理にお願いをしてしまったのです…」
手拭いで眼の辺りを押さえながら己が身の上を語った。
「なるほどねそういうことだったのかい。だったら端からそう言ってくれりゃよかったんだ。人助けのためなら俺も一肌脱がねえわけにはいかねえな。その織部ってのの屋敷に一丁行ってみようじゃねえか」
単純で人が困っていることを見過ごせない江戸っ子気質の清三郎は、あっさり新兵衛の要求を聞き入れた。
博奕嫌いの兵助も、そういう事情があるならと同調した。
この時新兵衛が、手拭いの下でニヤリと怪しげな笑みを浮かべていたのを、二人は知る由もなかった。