第十三章 囲碁家将棋家席次争い①
享保も終わり元文年間に入ったこの頃、将棋家は正に設立以来の隆盛を極めていた。
七世名人宗看に、その弟看寿という二人の天才が登場し、将棋という遊戯そのものの地位を高め、社会に極めて大きな影響力を持つようになった。
前田家のような大大名から小者・足軽に至るまでが将棋の虜となり、今や将棋は人々の生活にすっかり根付いていたのである。
一方で、囲碁はと言えば、名人因碩が享保の初期に亡くなり、次いで六世本因坊が六段のまま早世し、元文二年の正月には安井仙角もこの世を去った。
七世本因坊は僅かに十四歳の少年であり、これは囲碁家開始以来の寂寥にして、死は自然と摂理と雖もこの運命の悪戯には囲碁家の誰もが心を痛めていた。
元文二年五月十八日、七世名人伊藤宗看は弟看寿と連れ立って、桜田門外にある寺社奉行井上河内守正之の上屋敷を訪れていた。
黒紋付に袴姿の正装で、いつになく重々しい雰囲気を纏っている。
「ハテ、今日は稽古の日取りではないが何事であろうな」
正之は丁度下城したばかりで、自室にて旗下の幕吏より提出された書類を評定しようとしていたところだった。
だから裃のままで、宗看・看寿の応対に出た。
正之は将棋家を管轄する寺社奉行の任にありながら、宗看の弟子であり、五段を有する無類の将棋好きであることは先に述べた。
突然の名人訪問に、ひょっとすると六段の免状が許されたのかと浮かれた様子でいた。
併し、そんな正之の予想に反して宗看の表情は固かった。
「本日は河内守様に折り入ってお願いしたい儀があり罷り越した次第にござりまする」
宗看は改まった形で深々と頭を下げた。
その様子から、どうやら免状の許しなどではないことを悟って、正之は内心でがっかりした。
だが悠然とした態度を装って、
「改まってなんじゃ、その方が願いとあらば、わしも一肌脱がぬことはない」
正之は宗看と立摩との一戦以来、もはや宗看の信奉者と言っていいくらいだった。
本来寺社奉行は、全国の寺社だけでなく能楽師や陰陽師、そして囲碁家・将棋家などを所管して業務は多岐に渡る。
だが正之の将棋家に対する肩入れの仕方は尋常ではなかった。
それを見越して宗看は、とあることを陳情に来たのである。
「我ら将棋家は権現様より禄を賜って以来、技芸を以て代々公方様へと奉公して参りました。我らの貢献は将棋の技のみならず、武士の嗜みとして心の修業にもその功甚だしいと存じます。然らば、是非我ら将棋家の扱いを改めて頂き、御典医並みの待遇を望みたくお願い申し上げます」
とうとうこの日がやって来たか、と正之は内心で思った。
今の将棋家は、宗看・看寿の圧倒的才能と魅力を武器に、飛ぶ鳥を落とす勢いでその権威を政界経済界に誇っている。
その影響力を考慮すれば、将棋家への家禄は少なすぎるほどであり、頭の切れる宗看であれば、いつかはこのような交渉をしてくるのではないかという予想はあった。
だが封建制度の武家社会においては、家格というものが厳密に規定されており、前例に従うことこそが幕藩体制を維持する上で要となる。
奥医師は若年寄の支配に属し、常に将軍の側に控えて命を預かる職責を負っている。
それと同等の扱いが果たして可能であるのか、正之だけでは到底決めかねることであった。
「ふむ…」
正之は難しい顔をして黙り込んでしまった。
宗看も看寿も一応は神妙な面持ちでその様子を見守っている。
だが実は、宗看の本心は別のところにあった。
正之が苦り切った表情で何かを言おうとした瞬間、それを遮って宗看が言った。
「ではそれが叶わぬのでしたら、公方様御前での席次を、囲碁家より先にして頂きたくお願いいたします」
囲碁家及び将棋家は、江戸城登城の際、中奥黒書院に詰める。
その時の席順は、第一位が囲碁家家元、それに次いで将棋家家元という順番になっていた。
歴史的に囲碁のほうが将棋より上位に置かれていたのである。
だがこの時代、囲碁家では実力者が次々と亡くなって人材不足に苦しんでいた一方で、将棋家は隆盛を誇っている。
これを好機とばかりに、宗看は将棋家の地位向上を求め、席次の改革を要求したのである。
囲碁家と将棋家は同じ寺社奉行の支配であるから、これならば正之にも検討の余地がある。
正之自身の考えからしても、将棋家の席次一位は望むところであった。
「心得たぞ。そなたらの望み、我らにて検討してみよう。正式な申し入れは書状にて頼むぞ」
正之は胸を張って言った。
この時の正之には、事は上手く運ぶであろうという目算はあった。
なぜならば、寺社奉行四名のうち、もう一名の松平紀伊守信岑も、正之と同様将棋を愛好しており、且つ将棋家の門人だったからである。
合議になったとしても、多数決で負けることはない。
正之は直ぐに評定に当たろうとしたが、運悪く月替わりで、月番の交替がやって来てしまった。
この決裁は正之自身の手で進めたいという希望があったが、そういう独断専行を防ぐためにも月番制が取られている。
近頃体調も思わしくなく、多くの仕事を抱えるのも難儀なので、正之は、申し送り事項として将棋家の言い分とそれに賛同する添え状を付して、次の月番に当たる奉行へと引き継ぐことにした。
すると暫くして、この儀につき寺社奉行全員で協議をしたいから担当奉行邸へと集まるよう要請があった。
重要事項について、寺社奉行全員で合議すること自体は珍しいことではない。
だが将棋家の席次など、正之はさして大事とは考えていなかったから、招集のあった時には嫌な予感がしていた。
会合の日、正之の顔色は優れなかった。
寺社奉行は、自身の屋敷で公務を行う。
江戸町奉行、勘定奉行を含めた三奉行の筆頭に位置し、他の奉行と異なり老中の支配は受けない。
譜代大名の中でも有能な者が抜擢されるのだが、現職の四人の中で一人だけ、正之は相手にしたくない人物があった。
そして今からその人物の屋敷へと向かわなければならないのである。
非番ではあるが公務の一環なので、騎馬での訪問であったが、馬の軽やかな足取りに比べて正之の気持ちは重かった。




