第七章 秘密と陰謀①
復路の東海道は、往きとは打って変わって平穏な行程で、何事もなく江戸まで帰ってくることができた。
日本橋に着いたのは未の下刻の頃で、新兵衛とはここで別れることになっている。
「新兵衛さんいろいろと世話してくれてありがとう。とっても楽しい旅だったよ」
兵助は心から新兵衛に感謝した。
この旅のお陰で多くの人々と出会えたし、将棋の腕も上げることができた。
兵助にとってはかけがえのない経験だったに違いない。
「俺からも礼を言うぜ。いろいろ危ない目にもあったが無事こうやって帰って来れたんだ。あんたがいなけりゃ無理な旅だったぜ。ありがとうよ」
「いえ私のほうこそ兵助さんと清三郎さんにお礼を言わなければなりません。私の仕事がきちんとできたのもお二方のお陰でございます」
新兵衛の言葉と表情には、嘘のない気持ちが込められている。
深々と一礼し、新兵衛は自分の店へと去って行った。
新兵衛の後姿を見送って、兵助たちも深川へと帰ることにした。
日本橋からなら、永代橋を渡れば対岸の深川まで直ぐだが、まだ陽も高かったので両国橋に一度出て、おりんに土産物を渡してから帰ろうということになった。
随分と遠回りにはなるが、二人は久しぶりの江戸の町をゆっくり見物しながら歩きたいという気持ちがあった。
約一ヵ月ぶりの江戸で、見た目は何も変わっていないはずなのに、妙に懐かしい気持ちが兵助の胸の内には湧き上がる。
両国橋を渡って東詰の広小路に来ると、おりんのいる水茶屋が見えた。
いつも通りに今日も営業しているようである。
兵助が一丁ほど離れた辺りから手を振って声をかけると、向こうでも気づいたらしくおりんも満面の笑みで手を振って応えた。
その様子を微笑んで眺めていた清三郎が、懐中から小町紅を取り出して、一歩踏み出そうとしたその時———
どこからともなくバラバラと数名の男たちが躍り出て、兵助と清三郎を取り囲んだ。
身なりから推測するに、町方同心のようである。
「清三郎に兵助、その方ら東海道道中にて博奕に及び、金銭を授受した咎にて捕縛いたす。神妙にいたせ!」
同心の内の誰かが叫んだかと思うと、二人とも後ろから物凄い力で羽交い絞めにされて身動きが取れない。
両手を後ろ手にされて締め上げられるうちに、清三郎の手からはポロリと小町紅が零れ落ちた。
「てめえらなにしやがる!」
必死に抵抗を試みようとするも、口は直ぐに手拭いで抑えられて、もう声も上げることはできなかった。
二人は何人もの男に締め上げられて、物陰に引きずられていってしまった。
おりんも駆け寄る暇もない程の、あっという間の出来事であった。
二人がさっきまでいた跡には、踏み潰された小町紅の貝殻だけが、無惨に散らばっていた。
兵助と清三郎は、頭からすっぽりと頭巾を被せられ、目隠しをされている。
そのまま後ろ手に縛られて、どうやら駕籠に乗せられたようだった。
清三郎は駕籠に揺られながら、これまでの己の行状を思い起こしてみた。
道中ではそこまで大っぴらに博奕に手を出していたとも思えないが、全く身に覚えがないとも言い切れない。
現実に胸中にはそれなりの銀貨が入っている。
もはや観念して、小伝馬町にあるという牢屋に入れられるものと思っていた。
片や兵助は、博奕をした覚えなど一切ないので、何故自分まで捕えられたのかがさっぱり合点がいかない。
だからこれは何かの間違いで、きっと身の潔白が証明されて無罪放免になるものと信じていた。
どこをどう走ったか分からないが、途中駕籠は一休みをして、担ぎ手が交代した様に思えた。
だが目隠しをされているから外の様子は分からない。
そもそも駕籠を使って連行するのも不自然で、誰かが糸を引いてわざわざ手の込んだやり方をしているに違いなかった。
再びしばらく走って、思いのほか静かな場所で再び駕籠は止まった。
二人はそこで降ろされて、縄に繋がれながら、自分の脚で歩くよう命じられた。
耳から入る音だけが外界を知る頼りだが、耳を欹ててみても、日本橋小伝馬町辺りの賑やかさは感じ取れない。
捕吏と思われる男が、
「そこを上がれ」
と、二人に命じた。
そこと言われても、目隠しをされているのでどこを上がったらいいのか分からない。
二人が足で辺りを探って、上がれるような場所を探していると、男がわざわざ足を取って草鞋を脱がし、手を取って板の間へと上げてくれた。
どうやら建物の玄関だったらしい。
捕吏の態度は手荒いものではなく、捕縛時の扱いとは大きな変わりように思える。
手を引かれて廊下を進み、それから畳敷きの座敷へと通されたことが、足の裏の感覚で分かった。
そこで座しているよう言いつけられ、兵助と清三郎はそのまま黙って胡坐をかいた。
頭巾は被せられ、手は縛られたままである。
建物内は物音ひとつしない静けさに包まれている。
しばらくして、誰かが座敷に入ってきたような気配がした。
捕吏とは違う空気を纏った何者かである。二人にも自然と緊張が走った。
「頭巾を取ってやれ」
男の声で命じられると、二人の顔にかけられた頭巾が抜き取られた。
室内には西日が射しこんでおり、ずっと暗闇の中にいた二人には、眩しすぎて男の顔が直ぐには判別できない。
徐々に目が慣れてきて、その顔がぼんやりと見えるようになった。
兵助と清三郎は、二人同時に「あっ!」と声を上げた。




