第五章 大坂名人②
喜右衛門の吝嗇家振りは相当なもののようで、こう言われてしまうと清三郎も大助も従わざるを得ない。
二人は文句を言いながら喜右衛門を運んだが、途中新兵衛も加わって交替で担ぐことにした。
他の二人とは鴻池新田へ向かう意気込みが違うようで、新兵衛は愚痴ひとつ言わずに黙々と担ぎ棒を握っている。
やがて船場を抜けて大坂城の東へ出ると、そこは一面の水田が広がる農地だった。
まだ稲穂の付いていない青々とした田圃に、陽の光が反射して目が痛い。
これから勝負に行くとは思えぬほど長閑な気持ちになってくる。
だが兵助が先のほうへ眼をやると、着物の裾を端折って歩く怪しげな男が、辺りを気にしながら畦を往くのが見えた。
きっとあの男も会所で博奕の勝負をしに行くのだろう。
田圃の美しい風景には目もくれず、担ぎ手の三人は汗をかきつつ交替で喜右衛門を運んだ。
この時、前の担ぎ手をしていた清三郎の足元へ、小さいなにかが飛び出した。
「あっ、あぶねえ!」
現れたのは一匹の雨蛙で、それを踏みつけまいとした清三郎は、大きく足を踏み出して何とか躱そうとした。
その拍子に担がれたたらいは大きく動揺した。
中にいる喜左衛門もろとも三人が倒れ込むと思われたその時、
「なんのっ!」
と、ひとつ気合を入れると、八十の老齢とは思えぬ機敏な動きでたらいの淵から片足を延ばし、何とか地面を捕らえて転ぶことを回避したのである。
「何しとるんや!しっかり担がんかえ!」
「足元に蛙がいたからそいつを避けたんですよ。勝負の前に殺生をしちゃゲンが悪りいや」
「蛙やと?そんなもん踏み潰したったらええねん。わしは蛙が嫌いで嫌いでしゃあないんや。あないな気味悪いもんなんでこの世におるんやろな。ああ足袋が泥まみれになってしもうたがな…」
喜右衛門の子供じみた文句に苦笑しながら、他の四人は先を急いだ。
水田地帯を抜けると、今度は一面の木綿畑になり、その畑の中にポツンと、立派な瓦屋根を頂く屋敷が見えた。
屋敷は土塀に囲われており、その内部の敷地も広大であろうことが外から予想できる。
とは言え浪花の賑わいとは比べ物にならないほどの寂しさで、本当にここに鴻池の者がいるのかと、兵助は疑問に思った。
鴻池新田会所の入口である冠木門には門番がいて、怪しい者が出入りをしないか睨みを利かせている。
喜右衛門はたらいに乗りながら、大声で自らの名を名乗ると、
「や、これはこれは御老体。今日はえらいぎょうさんでお越しでんな」
「江戸からのお客人や。あんじょう案内頼むで」
門番は最初怪しげな集団がやって来たと警戒を強めていたようだが、喜右衛門のことに気づくと、手揉みをして中へと通してくれた。
冠木門を抜けて、漆喰で塗り固められた長屋門を潜って敷地内に入ると、右手には広々とした庭園が見える。
生駒山を借景とする見事な平庭である。
この地は天領であったから、大坂城代がしばしば訪れてはこの会所で休息をしたというが、その際とある代官は、
「紅葉多く、泉水もあり。落葉多しと雖も、紅葉の残り有りて見事成。橋も有りて、その趣閑静にして心を楽しむ。垣外東方、田野遠く開け、村落も見へ渡り、生駒山遠からず見ゆ」
とその美観を感想を日記に記したという。
長屋門の正面には、本屋が堂々と鎮座している。
大庄屋の如く土間のある梁の高い造りで、その屋根も見上げるほどの高さがある。
その裏手には巨大な米蔵に道具蔵が立ち並び、支配人の役宅らしきものも見える。
役宅の前にはもう一人門番が佇立しており、どうやらそこが賭場となっているような雰囲気があった。
どの建物も松や杉を用いて簡素で実用を第一としているが、一棟だけ異質な建物があった。
庭園の老木鬱蒼たる中に、茶室を思わせる雅趣に富む庵が、離れのように建っている。
屋根は柿葺で、壁は藁の練りこめられたすさ壁をしている。
鄙に似つかわしくない都を思わせる雅な造りで、どうやらそこに鴻池の家人がいるようだった。
門番に連れられて庭のほうへと廻ると、土間廊下から座敷の内部が見えた。
鎖の間と思われる四畳半の茶室で、床の間を背にして一人の茶人が静かに座している。
兵助一行は、縁側から茶室に続く次の間に通され、一同そこへと座し、鴻池の家人と対峙することになった。
「だんさん、えらいご無沙汰でんな」
喜右衛門が大声で話しかけると、
「おや御老体。こないな田舎にまでようおいで下さいましたなあ」
茶室の主は、兵助たちが居並ぶ姿を見ても少しも動じることなく、丁寧な言葉遣いをしながら頭を下げて、
「今橋のほうじゃ公儀のお達しで茶室すら拵えられませんで。ほんに窮屈な世の中ですわいなあ」
色の白い顔に微笑を浮かべて言った。
この頃は幕府及び諸藩の財政悪化に伴い、八大将軍吉宗の主導する質素倹約を旨とする緊縮財政が敷かれていた。
経済の中心地である大坂も例外ではなく、いかに豪商と雖も市中の屋敷に茶室を設けることは憚られたという。
「申し遅れましたが、あてがここの主、鴻池一棋にございます。商いの才能がないもんでっさかい、こないして茶人の真似事して将棋指して暮らしてまんが、ここのほうが騒がしい船場よりなんぼかましでんなあ」
茶の湯の嗜みが相当深いと見え、その所作には気品が漂っている。
当代の鴻池家の当主は五代目鴻池善右衛門であり、若干七つにて家督を相続し、今はまだ十三歳で形式的なものだった。
実権は隠居している父の四代目善右衛門・鴻池宗貞が握っているが、一棋斎はその宗貞の弟に当たる。
四代善右衛門宗貞は、宗羽・了瑛・練磨斎などと号し風雅に親しむ数寄者で、表千家七代である如心斎天然宗左に師事し、茶器の収集家としても有名だったとされている。
その弟であるこの一棋斎は、幼少の頃から商売には一切興味を示すことはなく、喜右衛門が語っていたように日夜将棋にうつつを抜かしていたという。
将棋だけでなく茶の湯にも傾倒し、兄と同じく天然宗左から教えを受けており、宗匠の格があったとされる。
一棋斎は商売へのやる気のなさから一族からは愛想をつかされ、閑職である鴻池新田会所内の役職を名目上拝受し、そこで将棋や茶の湯の趣味に没頭していたのである。




